治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

千代に八千代に

2016-08-15 19:28:45 | 日記
八月八日の午後三時から、天皇陛下のお言葉を聴きました。
その翌朝、オリンピックを見ていて、二度君が代を聴く機会に恵まれました。
お言葉のあと、君が代の詞が一層心に沁みました。

陛下は大変な提言をされたと思いました。
象徴の重みとはどういうことか。
高齢化社会となり、寿命と健康寿命のかい離が進む今後も、象徴としての重みに変わりはない。
ならば、皇位の継承はどうあるべきだと考えるか。
政治にかかわることを制限されているお立場から、誠実に国民に語り掛けてくださった、そしてかなり思い切った提言をされた、と思っています。

私は実のところ、血統を重んじる考え方は好きではありません。
けれども皇統だけはその血統を重んじるべきだ、という感覚が強くありました。

それはなぜか、私は陛下のお言葉を聞いて初めて自分で自覚しました。

皇室を戴くという国のかたちは、なんと賢いのだろう。
私たちの先祖は、ある時点で、権威と権力を切り離した。
昭和二十年八月十日、日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えてからの四日間
国体護持に関する日本と連合国との交渉があり
結果として国のかたちは、敗戦後も保持されました。

戦後民主主義の時代になり、
日本国民は権力を自分で選ぶ権利を得ました。
天皇は象徴とされ、ひたすら国民の安寧を祈る存在になりました。
皇室の存在に反対の人も、親にすら幸せを祈念されない人も、その祈りの対象です。

私はこれこそが、最強にして最後の安心の土台だと、はっきりと自覚しました。
神田橋先生や愛甲さんは、愛着障害の治療に当たって「雰囲気」をとても重視される。
灰谷さんは発達支援の中で「本気で」遊ぶことを大事にする。
優れた治療者たちは「気」の力を大事にします。(海老踊りの人たちはバカにしますが、だから彼らは治らない。)
そして私は「ただひたすら国民の安寧を祈る存在があること」はきっと、この国を救ってきたと思いました。

今般のお言葉を受け、保守界隈では「陛下のお気持ちを鑑みて特措法で」という声が強いそうですね。そして皇室典範そのものはいじりたがらない。それが保守の姿だとすれば

そのかたくなさは、彼らが忌み嫌う九条信者とそっくりに映ります。

私は陛下のお言葉を「千代に八千代に」この国がある意味今のかたちで、日本がありつづけることを祈る大御心の表れと受け取りました。
それまではなんとなく反対気味だった女系の話も、検討した方がいいのではないかと考えるようになりました。
それはフェミニズム的観点からだけではありません。
権力をもたず、ただひたすら安寧を祈る存在が、この先もずっと安定的にこの国にあってほしいからです。


先日浅田次郎氏の著作「日本の「運命」について語ろう」の中で
清朝は名君が続いたけれど、徳川幕府はそうでもなかった。
それは近しい中から優れた子を選ぶ大陸の継承方法と、血のつながりを重んじる日本との違い、という指摘があり
なるほどと思いました。

その体制の中で、明治維新からの短い間に
明治、昭和、そして今上と名君に恵まれたこと

日本はやっぱり「もってる」と思います。

そしてそれが幾多の犠牲の上になりたっていることに、私たちは自覚的でありましょう。
ポツダム宣言受諾にかかった四日間にも命を落とした人はいたのです。
そして七十一年前の今日のあとも、満州で、千島で、戦闘は続きました。

戦争で亡くなられた方すべての方のご冥福をお祈りいたします。

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1 コメント

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何も知らなかったころ (あやみ)
2017-08-15 09:54:58
私は貧しい家で育ちました。

子どもの頃、天皇陛下や皇族の方々は、綺麗な服を着て、美味しいものを食べれて、みんなに大切に思われて、それが羨ましくもあり僻み根性もあり、天皇制なんていらないと思った時期がありました。

でも、昭和天皇が戦後に日本各地を訪問されていたこと、今上天皇が災害被災地や戦没者慰霊の地を訪問されていること、様々な行事で天皇陛下にほとんどお休みがないことを知り考えが変わりました。

『天皇は象徴とされ、ひたすら国民の安寧を祈る存在になりました。
皇室の存在に反対の人も、親にすら幸せを祈念されない人も、その祈りの対象です。』この文章に涙がでました。
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