
今回、新型コロナの流行が都市部で顕著だったことで
人が密集して住むことの危険等が浮かびあがってきたと思います。
今、「ホモ・サピエンス全史」という本をオーディオでぽつぽつ聴いていますが
ここでも農業始まる→定住→疫病
という流れが語られており
なるほどなあ、と思います。
狩猟採集民だったころのホモサピエンスはさほど疫病の危険にさらされなかった。
密接して定住するようになってから、ということです。
北海道で最初にはやって長野県では感染が少なかったのはなぜか?
それは北海道の方がずっと観光地として人気があるからです。
今長野県は他県排斥運動を必死にやっているようなので、私は首都圏民としてもちろん訪問を控えますし、なんだったら一生行かないどころか、スーパーで見る長野県産レタスさえ避けるようになりました。
私は「新しい生活様式」がすべて定着したら人類は種として弱くなるので最後には肉体の力が勝つだろうと思っていますが
いくつかは残しておいた方がいいものもありそうです。
それは通勤の制限ですね。
リモートワークやなんか。
私自身は20代の頃からそれを意識してキャリア形成をやってきたので
今回それが一気に報われた感じです。
なぜ20代の頃から意識してきたかというと、もう何度も書いていますが
年上のお姉様方(今の私より年下)がだんだん疲弊していくのを見ていたからです。
長く働き続けるには通勤に費やすエネルギーは無駄だと思いました。
同じようにエネルギー使うのでもジムで運動するとすかっとするけど通勤は疲れるだけだし。
そして今回テレワークが多くなって、「都会を離れても生きて行けるかも」と思う人が多くなり
茅ヶ崎とかの中古物件に見学が多い、みたいな話を聴きました。
でも鎌倉はあんまり行かないそうです。
都民もわかっているんですよね。
閉鎖的な土地柄は。
そしてコロナ禍が続くにつれ、他県ナンバー狩りや各自治体凡知事の閉鎖的発言も相次ぎ
今は「帰省警察」や罰当たりな「墓参り警察」も出てきたようで
なんだかんだ都会の方がいいな~という空気も形成され
地方は移住者を増やす絶好のチャンスを逃したかもしれないと思います。
では凸凹キッズの育ちにはどっちがいいのでしょう?
もちろんどちらにもいい点はあります。
田舎のいい点は、発達に欠かせない(と花風社クラスタが発見した)「名もない遊び」に手が届きやすいところです。
だから育ちそのものを見れば田舎は有利かもしれない。
ちょっと方向は違いますが、たとえば秋田県が教育熱心で学力高いとか、そういう風に田舎でもできることはたくさんあります。
でも私は、自分が都会育ちだからというのもあるだろうけど、凸凹キッズの将来が開けるのは都会、とくに首都圏だと思っています。
それはなぜか?
多様な成功モデルを間近に見ることができるから。
たとえば医者や教師を含む公務員がエリート という社会では
成功のパターンが限られており
その限られたパターンに能力が及ばない場合には
同調圧力に合わせておくことが処世術となるでしょう。
とくに学校で埋め込まれる「上の言うことを聴いていたら安泰」という地方公務員メンタリティを解毒することなく社会に出るのかもしれません。
我々民間人が、社会でやっていくためにまず壊さなくてはならないのは学校が仕掛けた「地方公務員養成講座」なのですが。
そして凸凹があると、それがなかなか難しいかもしれません。
ところが都会では教師を含む公務員はエリート層ではなく
医師免許を持っていない人で医師より年収の高い人は別に珍しくないので、医師が最高に尊敬される職業でもなく
むしろ腕の悪い医療者は軽んじられます。
そして、社会的に成功した人たちはむしろ同調圧力から自由な暮らしをしています。
私はこっちの世界を当たり前だと思って育ったので、「四大出た女子には教師しか道がない」みたいな同年代の地方の人たちが味わう閉塞感を知りませんでした。
また、うちの親戚でずーっと田舎に住んでいるおばさんが「医者の娘である」というのを生涯の誇りにしていて
80年生きてきて親の職業以外に自慢がないとはつまらない人生を送ってきたのだろうなあ、と身内ではあるのですがずっと心の中で軽蔑したのですが
今になるとあれも広い世界を知らずに生きてきた老婆だったからだ、とわかります。
あとになって知ったのは
地方は「成功モデル」が本当に乏しいということです。
そういう世界では視野が狭くなるし、非常に限られた成功のパターンから外れると、無力感を感じ、人と同じ事をなぞるのが精一杯になるだろうなと思いました。
首都圏で生きることの有利さは、色々なオプションがあるだけではありません。
多様な成功モデルを目にすることができることです。
成功っていったって大成功でなくていいのです。
たとえば満員電車から自由になっても食い扶持に困らないとか
嫌いなことはしなくて食べていけるとか
嫌いな人とつきあわなくても食い扶持に困らないとか
同調圧力に屈しなくても食べるに困らないとか
そういうささやかな成功です。
おそらく「コロナうつるから帰ってくるな」とか言うような田舎ではそういう自由はないと思うので
私が凸凹さんならやはり都会を選びますね。
それがこのコロナでどう変わるか楽しみに見守ります。
人が密集して住むことの危険等が浮かびあがってきたと思います。
今、「ホモ・サピエンス全史」という本をオーディオでぽつぽつ聴いていますが
ここでも農業始まる→定住→疫病
という流れが語られており
なるほどなあ、と思います。
狩猟採集民だったころのホモサピエンスはさほど疫病の危険にさらされなかった。
密接して定住するようになってから、ということです。
北海道で最初にはやって長野県では感染が少なかったのはなぜか?
それは北海道の方がずっと観光地として人気があるからです。
今長野県は他県排斥運動を必死にやっているようなので、私は首都圏民としてもちろん訪問を控えますし、なんだったら一生行かないどころか、スーパーで見る長野県産レタスさえ避けるようになりました。
私は「新しい生活様式」がすべて定着したら人類は種として弱くなるので最後には肉体の力が勝つだろうと思っていますが
いくつかは残しておいた方がいいものもありそうです。
それは通勤の制限ですね。
リモートワークやなんか。
私自身は20代の頃からそれを意識してキャリア形成をやってきたので
今回それが一気に報われた感じです。
なぜ20代の頃から意識してきたかというと、もう何度も書いていますが
年上のお姉様方(今の私より年下)がだんだん疲弊していくのを見ていたからです。
長く働き続けるには通勤に費やすエネルギーは無駄だと思いました。
同じようにエネルギー使うのでもジムで運動するとすかっとするけど通勤は疲れるだけだし。
そして今回テレワークが多くなって、「都会を離れても生きて行けるかも」と思う人が多くなり
茅ヶ崎とかの中古物件に見学が多い、みたいな話を聴きました。
でも鎌倉はあんまり行かないそうです。
都民もわかっているんですよね。
閉鎖的な土地柄は。
そしてコロナ禍が続くにつれ、他県ナンバー狩りや各自治体凡知事の閉鎖的発言も相次ぎ
今は「帰省警察」や罰当たりな「墓参り警察」も出てきたようで
なんだかんだ都会の方がいいな~という空気も形成され
地方は移住者を増やす絶好のチャンスを逃したかもしれないと思います。
では凸凹キッズの育ちにはどっちがいいのでしょう?
もちろんどちらにもいい点はあります。
田舎のいい点は、発達に欠かせない(と花風社クラスタが発見した)「名もない遊び」に手が届きやすいところです。
だから育ちそのものを見れば田舎は有利かもしれない。
ちょっと方向は違いますが、たとえば秋田県が教育熱心で学力高いとか、そういう風に田舎でもできることはたくさんあります。
でも私は、自分が都会育ちだからというのもあるだろうけど、凸凹キッズの将来が開けるのは都会、とくに首都圏だと思っています。
それはなぜか?
多様な成功モデルを間近に見ることができるから。
たとえば医者や教師を含む公務員がエリート という社会では
成功のパターンが限られており
その限られたパターンに能力が及ばない場合には
同調圧力に合わせておくことが処世術となるでしょう。
とくに学校で埋め込まれる「上の言うことを聴いていたら安泰」という地方公務員メンタリティを解毒することなく社会に出るのかもしれません。
我々民間人が、社会でやっていくためにまず壊さなくてはならないのは学校が仕掛けた「地方公務員養成講座」なのですが。
そして凸凹があると、それがなかなか難しいかもしれません。
ところが都会では教師を含む公務員はエリート層ではなく
医師免許を持っていない人で医師より年収の高い人は別に珍しくないので、医師が最高に尊敬される職業でもなく
むしろ腕の悪い医療者は軽んじられます。
そして、社会的に成功した人たちはむしろ同調圧力から自由な暮らしをしています。
私はこっちの世界を当たり前だと思って育ったので、「四大出た女子には教師しか道がない」みたいな同年代の地方の人たちが味わう閉塞感を知りませんでした。
また、うちの親戚でずーっと田舎に住んでいるおばさんが「医者の娘である」というのを生涯の誇りにしていて
80年生きてきて親の職業以外に自慢がないとはつまらない人生を送ってきたのだろうなあ、と身内ではあるのですがずっと心の中で軽蔑したのですが
今になるとあれも広い世界を知らずに生きてきた老婆だったからだ、とわかります。
あとになって知ったのは
地方は「成功モデル」が本当に乏しいということです。
そういう世界では視野が狭くなるし、非常に限られた成功のパターンから外れると、無力感を感じ、人と同じ事をなぞるのが精一杯になるだろうなと思いました。
首都圏で生きることの有利さは、色々なオプションがあるだけではありません。
多様な成功モデルを目にすることができることです。
成功っていったって大成功でなくていいのです。
たとえば満員電車から自由になっても食い扶持に困らないとか
嫌いなことはしなくて食べていけるとか
嫌いな人とつきあわなくても食い扶持に困らないとか
同調圧力に屈しなくても食べるに困らないとか
そういうささやかな成功です。
おそらく「コロナうつるから帰ってくるな」とか言うような田舎ではそういう自由はないと思うので
私が凸凹さんならやはり都会を選びますね。
それがこのコロナでどう変わるか楽しみに見守ります。