田んぼというものは美しい。
私は都会の外を旅するたびに
その美しさに目を奪われる。
そして不思議に思う。
一度も田んぼのあるところで育ったことがない私が
どうしてこれほど稲穂の実る(育つ)田園風景を懐かしく思うのか、と。
その田んぼを津波が襲った。
それを見ることは私に
バンダアチェの悲劇より切なさを感じさせる。
2004年12月26日の夜。
私たちは現地で、乏しいディナーを食べていた。
空港は閉鎖され、ホテルのレストランはすべてクローズ。
なぜなら食料が町に入ってこないから。
もちろん町の中で食事を提供できるところは他にありそうもない。
前日食事をした海辺のレストランは、鉄骨の東屋に変わり果てていた。
とりあえずホテルの宿泊客にホテルが提供できるのは
ありあわせの乏しい食事だった。
充分ではないポテトフライ。
充分ではない米。
充分ではない野菜炒め。
漁師は海に出られない。だからエビも魚もない。
輸入に頼る肉はただのひとかけらもない。
実に乏しいディナー。
その列に並ぶ西洋人たちは強欲だった。
とにかく自分たちのポーションをがっぽり取り
足りなければタイ人のスタッフたちを怒鳴りつけた。
日本人は違った。
一すくいのライスを自分がすくうとき
後ろに待っている人の分を常に意識した。
だから自分の思う量は食べられないかもしれない。
でも非常事態の中、利他を考える習慣が身についていた。
それは私たちのような大食漢でさえ、この国に育てば自然に身についていたものだった。
西洋人たちは、乏しい食事を終えるとずかずかレストランを出て行った。
今日のディナーはいくら、と訊く人はただの一人もいなかった。
でも私たちはタイ人のスタッフにきいた。
今日のお代はいくらですか?
タイ人のスタッフは目に涙をためて
「今日はいらない」と言った。
「それはいけない」と私たちは言った。
でも彼らは断固として言った。泣きながら。
「今日はいらない。これだけのものしか提供できなかった」と。
明日から食料はしばらく手に入らないかも。
私たちはそれを覚悟した。
それもいい。今日三十万人の人が全世界で亡くなった。
同じインド洋のほとりで。
私たちは命を永らえた。これほどありがたいことはない。
部屋にはちょっぴりお菓子がある。
それで数日つなげばいいではないか。
ところが翌朝早く
朝食に出かけた私たちを迎えたのは
ふだんよりちょっぴり乏しいだけの朝食ビュッフェだった。
誰かが夜のうちに、エビを、野菜を、肉を、ここに運んでくれて
誰かが朝に間に合うように調理してくれたのだ。
私はあのときほど、日本人であること
いや、私たちにじゅうぶんな朝食を提供しようと、おそらく夜通し頑張ってくれたタイの人たちも含めて
アジア人であることを誇りに思ったことはない。
東北の被害は、知れば知るほど甚大だ。
そのために何ができるか、私たちにはまだその全体像がわからない。
とりあえず私は自分にとっての近道として
節電と義捐金を考えている。
今これだけの危機の中にあり
あのときに感じた誇りが、わが同朋に共有されていること
それが世界から賞賛されていることを誇りに思う。
大好きで大嫌いな日本。
ガンバレ日本!
私は都会の外を旅するたびに
その美しさに目を奪われる。
そして不思議に思う。
一度も田んぼのあるところで育ったことがない私が
どうしてこれほど稲穂の実る(育つ)田園風景を懐かしく思うのか、と。
その田んぼを津波が襲った。
それを見ることは私に
バンダアチェの悲劇より切なさを感じさせる。
2004年12月26日の夜。
私たちは現地で、乏しいディナーを食べていた。
空港は閉鎖され、ホテルのレストランはすべてクローズ。
なぜなら食料が町に入ってこないから。
もちろん町の中で食事を提供できるところは他にありそうもない。
前日食事をした海辺のレストランは、鉄骨の東屋に変わり果てていた。
とりあえずホテルの宿泊客にホテルが提供できるのは
ありあわせの乏しい食事だった。
充分ではないポテトフライ。
充分ではない米。
充分ではない野菜炒め。
漁師は海に出られない。だからエビも魚もない。
輸入に頼る肉はただのひとかけらもない。
実に乏しいディナー。
その列に並ぶ西洋人たちは強欲だった。
とにかく自分たちのポーションをがっぽり取り
足りなければタイ人のスタッフたちを怒鳴りつけた。
日本人は違った。
一すくいのライスを自分がすくうとき
後ろに待っている人の分を常に意識した。
だから自分の思う量は食べられないかもしれない。
でも非常事態の中、利他を考える習慣が身についていた。
それは私たちのような大食漢でさえ、この国に育てば自然に身についていたものだった。
西洋人たちは、乏しい食事を終えるとずかずかレストランを出て行った。
今日のディナーはいくら、と訊く人はただの一人もいなかった。
でも私たちはタイ人のスタッフにきいた。
今日のお代はいくらですか?
タイ人のスタッフは目に涙をためて
「今日はいらない」と言った。
「それはいけない」と私たちは言った。
でも彼らは断固として言った。泣きながら。
「今日はいらない。これだけのものしか提供できなかった」と。
明日から食料はしばらく手に入らないかも。
私たちはそれを覚悟した。
それもいい。今日三十万人の人が全世界で亡くなった。
同じインド洋のほとりで。
私たちは命を永らえた。これほどありがたいことはない。
部屋にはちょっぴりお菓子がある。
それで数日つなげばいいではないか。
ところが翌朝早く
朝食に出かけた私たちを迎えたのは
ふだんよりちょっぴり乏しいだけの朝食ビュッフェだった。
誰かが夜のうちに、エビを、野菜を、肉を、ここに運んでくれて
誰かが朝に間に合うように調理してくれたのだ。
私はあのときほど、日本人であること
いや、私たちにじゅうぶんな朝食を提供しようと、おそらく夜通し頑張ってくれたタイの人たちも含めて
アジア人であることを誇りに思ったことはない。
東北の被害は、知れば知るほど甚大だ。
そのために何ができるか、私たちにはまだその全体像がわからない。
とりあえず私は自分にとっての近道として
節電と義捐金を考えている。
今これだけの危機の中にあり
あのときに感じた誇りが、わが同朋に共有されていること
それが世界から賞賛されていることを誇りに思う。
大好きで大嫌いな日本。
ガンバレ日本!