治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

何より大事な主体性

2019-06-04 06:08:38 | 日記




さて「名無しさんへ」の記事に(もしかしたらあとで削除するかもしれないけど)イチゴさんからいただいたコメントに「決めるのは利用者」とありました。
そのとおりなんですよね。
多くの療育も花風社の本も強制ではない。
どれが大事か決めるのは利用者なんです。
薬だってそうです。
藤家さんは断薬を選んだ。でものみたいひとはのんでいればいいだけの話。
ところがその主体性を放棄している人も多いんですね。

昨日8:41にYの勤め先と想定される病院に公益通報の写しがつきました。
今のところ「人違いです」の連絡はありません。
東北厚生局にも午前中に着いています。
官僚機構の中でどう処理されるかわかりませんが、今後も匿名の医療従事者が読者に対しハラスメントを行い、今回のように情報がもたらされた場合、公益通報はしていくつもりです。
公益通報の文章はひみつのお部屋に上げました。「ありがとうございます」と読者の方々に言われています。
それだけ悔しい思いをしたのだし、それを見るに見かねたからこそ情報提供してくださった名無しさんがいたわけですね。
今後もツイッターにしか居場所がない人たちに忠告したいのは、あまりに集団で誰かを追い詰めると必ずそれに反感を感じる人が出てきてしっぺ返しを食らうかもしれないということですね。

私が今回、に限らず行政に考えてもらいたいのは

・本名に対して与えられているはずの国家資格を振り回し
・自分なりに工夫している親御さんを匿名で罵倒する

という資格の振り回し方は医療ハラスメントではないか? 国家資格保持者にふさわしいか?です。
藤川先生はネット上の医療行為を強く戒められています。
だったら匿名で「医者でござい」「言語聴覚士でござい」と資格だけ振り回して、「だから自分たちの言うことは正しいのだ!」とネット上で自分たちと考えの違う障害児の保護者をハラスメントするのはどうなんでしょう。
エビデンスがないという指摘に怒っているのではないのです。
あるエビデンスでも見ようとしない不勉強な人たちだから。
現行医療ができることには限界があるのに個々のご家庭の努力をなぜ罵倒するかに怒っているのです。

匿名で資格を振り回してパワハラすることが国家資格にふさわしいか。
それを行政に考えてもらいたいと思います。
そしてこれは、「治そう! 発達障害 どっとこむを立ち上げた理由」(仮)にも書こうと思います。
私が「治そう! 発達障害 どっとこむ」を立ち上げる理由の一つが匿名でしか発言しない、訴訟よけの卑怯な支援者たちから読者を守ることです。
公益通報の文章もことによっては載せるかもしれません。
予価199円。アンチは花風社に金払うのがもったいないから買わないでしょうから。

それと、Yの務めているとされている病院のリハビリテーション科のFBが問題だと知らせてくださった方医療関係者の方たちがいました。
文章がそのままYでした。
ひどい人権侵害でした。そしてそれは、田舎の病院あるあるなんだそうです。
たしかにみるさんが受けた扱いとかに近いものがあります。
職場に自浄能力がないとすると、やはり厚生局に話を持っていってよかったです。

Yが情報漏洩などしているのを見たことがない、という人もいますが、あのFBを見てしまえばドン引きすると思います。
私は保全してあります。
それと、Yは花風社が反ワクチンの本を出していると主張していたそうですが、それこそ見たことないですよね。
エビデンスエビデンス言う割には全く一次資料に当たらない人なんですね。

私は基本、身体頑健なんです。
だからアトピーも喘息もないし、興味もないし、その療法を巡ってどういう派閥がありどう争っているかは知りません。
反ワクチンに至っては、なんで一部の人がワクチンを打たないのか理解できていませんし興味もありません。決まっているものは打った方がいいんじゃないですかね?

父は何回か癌をやり、そのたびに治って、最後は違う原因で亡くなりましたが、一貫して標準療法でした。なぜなら癌の世界では標準医療の人たちが治そうと努力を重ねてきたからです。
ところが発達障害の世界では医療が治すのを放棄している(していない先生方もいますけど)。
そして発達は医療ではなく生活に促されるものである。
だから発達援助の非医療化をすすめているのです。
反医療ではなく、非医療化です。
なぜなら医療に取られている時間がもったいないからです。

ちなみに
情報提供者の提供した画像をアップしたあの記事に関して、gooからは一本の通報も来ていません。
ただ私からgooに最初に伝えました。
ツイッターで祭りが起きていて何か言ってくるかもしれないと。
削除したのは私の判断によるものです。

どっちみち6月半ばには自社サーバー内に新ブログが立ち上がると思います。
だから別にここが消えてもいいのだけれど
「治るは希望だから消してほしくない」という読者がいらっしゃることもまた、お知らせしておきますね。
そしてそういう他人の気持ちなどわからずに自分たちの思い通りにならないと生きづらいのが自閉症でしょう。
社会が生きづらいのではないのです。
生きづらい脳みそなのです。
だったら治った方がいいですね。