治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

屈託なく、私が自分で築いた価値観

2018-04-20 12:28:06 | 日記
最初に業務連絡です。
昨日告知した二件のコンディショニング講座ですが、現在定員の半数は優に超えている状況です。すみませんがまだどなたにもお返事はしておりませんが、今受け付けている方には夕方までにはお手続きのお返事をいたします。明日朝までに返事を受け取っていない方は不達や迷惑メールフォルダーにこちらのお返事が入った可能性がありますので、お確かめの上確認のメールをください。部屋は80名入れるという触れ込みなのですが、それほど大きくない。講演中心ですが若干身体を動かすかもしれませんので、スカート等はオススメしません。動きやすい服装で来てください。

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さて、本日の本題です。

昨日、横浜の「里山ガーデン」に母と遠足に行ってきました。こんなところです。これも横浜です。











途中同窓会の話やなんかしまして、母から「○○君来た?」ときかれ、そういえばいなかったなあと思い出しました。母にとっても思い出深い同級生です。
なんでかっていうと彼は学校に通っていた途中に何らかの事情でおうちが貧しくなり、お母さんがいなくなり、お父さんが病気になったのです。そして学校はひっそりとなんか学費面で助けていたのですが、お金もお母さんもいないのでランチを食べていないというのを聞き、即ママたちのお弁当ネットワークができあがったのでした。お当番のママがお弁当をふたつつくり我が子に持たせる。そうしたらその子がロッカーに入れといて帰りは空のお弁当箱を回収するという仕組みでした。うちの母も一枚噛んでいたので私もデリバリーをしたもんです。すっかり忘れてました。

もっとも今思うのは、あの時代のあの学校だからお弁当を持ってこられない子は珍しかったけど、今社会に出てみると別に珍しくはなかったということです。そしてどっちかというと、そういう人に手を差し伸べずむしろさげすむ人もいるということです。これは私、ここ数年で知ったことです。赤本出したころにはまだ知らなかったと思います。というか、あの頃には「お金がないために大学進学できなかった」人の存在も知らなかったと思います。お弁当の彼にしてもできる子で、きちんと大学に行き、なんかお給料がいい仕事についたということを聞きました。よかったよかったと喜んだもんです。

私はこういうこと書いて育ちがよいことを自慢しているわけではありません。何しろうちはしょせんサラリーマン家庭でしたし、もっともっとお金持ちがたくさんいたので、自分が恵まれている方だとは思っていませんでした。恵まれていないとも思っていませんでしたが、これが「普通」でした。なんらかの事情でお金がなくなったおうちに学校がそっと色々便宜をはかってもずるがる人がいないこと、むしろお弁当ネットワークがただちに立ち上がること、そういう環境が私にとっては「普通」でした。

私が今「治ろうよ」というと、「ケチだから福祉予算削減を狙っている」なんていうトンデモなく卑屈な解釈をする人が時々いますが、要するにそういう人は自分の民度が低いんでしょう。いや、自分の民度は低くないとしても、民度の低い環境に育って弱い人がたたかれた経験をしたかあるいは見聞したかで警戒心がよぶんにある人なのでしょうね。私はそういう環境は知りません。きっぱりと知りません。だから私が「治ろうよ」というとき、それは屈託なく「そっちの方が便利でしょ」ということです。感覚過敏はない方がいい。四季を通じて体調は安定していた方がいい、障害特性を助長するような支援はない方が世の中のため、そういうことです。「社会性の障害うんぬんの前に週五日働けると選択肢広がるよね」というのがそもそも、身体方面に興味を持った理由です。

大嫌いだった理科の女教師は、今でも嫌いだったと母に報告しました。とにかく俗物過ぎるし、その俗物の価値観をいいものと考え、同じ価値観を共有しない人に説教しすぎる。最新の自慢の孫が美形、私が生まれてから聞いた中で五本の指に入るくらいくだらない自慢ですが、母のいとこにもっとくだらない自慢をする人がいます。「私は医者の娘だから」というのを80年自慢にしているイタいおばあさんがいるのです。そして母とは仲がいいけど、私はその人が大嫌いなんです。

医者の娘に産まれるためには、ただの一ミリの努力も必要としません。そして田舎で唯一の開業医だったから、きっとお金持ちなんだと思うのです。生涯働かずにいい生活をしてきたのだと思うのです。「でもそういう人は私の敬意の対象じゃないんだ」と私は母に言いました。母は私を産んで育てたけど、その後社会に育てられた部分の私は知らないからです。

「医者の娘に生まれて贅沢し放題の一生」を威張るおばあさんもいる。でも私が自分で社会に出て、それなりに人と出会い、苦労もし、挫折も味わい、自分で築き上げた価値観の中で、そんなおばあさんは一ミリも尊敬に値しない。むしろ、軽蔑に値する。それが一番の自慢だなんて、なんてつまらない一生だと思う。それよりはたとえ幼いころキャベツを拾うような経験をしても、28年間介護を務めたこよりさんの方がずっと尊敬に値する。それが私が大人になって自力で築き上げた価値観だと母には言ってやりました。

そして私は社会に出て女で苦労したこと。それは「そういう生き方は損をする」と「忠告」してくる女たちが本当にうざかったこと。そして私はその人たちのアドバイスをことごとくはねつけてきたこと。なぜかというとその人たちに一ミリの敬意も憧れも抱かなかったからとうていきくきになれなかったこと、この年になってやっとそういうバカ女が周りからいなくなってせいせいしていること、を母に告げました。そもそも損とかトクとかそういうのがさもしくていやなんです。ていうかなんにも不自由していない今、これで損なら上出来です。

そして「孫がハーフで美形」にしても「親が医者で一生贅沢」にしても、そういう自慢をされて「わ~すごい」って言えてしまう人がおそらくマジョリティなんですよね。母はそういう点でマジョリティなんです。その中で私はつねに孤独を感じてきたこと。でもその孤独は全くいやなものじゃないこと。

私は弱者ではないかもしれない。でもマイノリティです。そこで「わ~すごい」というトークには絶対加われないという意味では一生マイノリティです。でもそういうマイノリティはマイノリティで気の合う人もいるはずだ。中学生時代からそう思っていました。

要するに、付和雷同力がないんです。
そして付和雷同力がある人から見ると、私の生き方は損。
そこにつけこまれて説教されることが多い人生でした。

でも私は今「孫が美形」「医者の娘に生まれた」という自慢を「わ~くだらね」という価値観を共有できる家族と仲間に恵まれています。
これは私が自力で勝ち取った環境です。
親元から独立し、経済的にも精神的にも独立したからこそ、自分が心地よい環境を勝ち取れるのです。
私が言う「治るが勝ち!」は要するにそういう自由な人を増やそうよ、ということです。

付和雷同のすすめはきっぱりと拒絶したまま、これからも年を取っていくつもりです。