治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

本を売っておきながら生意気なんだけど越権行為をしてみます

2018-03-28 10:32:55 | 日記
さて、藤家さん二部作が無事出たので、昨日はまた十万円の本の作業に戻りました。
本を作る作業ってね、やろうと思えば永遠にできるんですよ。でもどこかで見切り発車しないといけないのね。東大教授で翻訳家の柴田正幸氏はこれを「愛の見切り発車」と呼んでいらっしゃいましたけど、実感がこもっているなあ。なんというか、「ここまで育てたから、あとは世の中にもまれてくれ」みたいな感じで愛を込めて見切り発車させるための背中を押す、みたいな感じ。

だから本来版元が「読み方」を指南するのは越権なんですよ。でも藤家さんの二部作に関して、それがどうしてもやりたくなってしまったので越権とは知りつつ自分の考えを述べます。昨日いただいた二つのコメント。

まずは「就活記」から読んでくださったというふなさんのコメントから。

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就活記を読みました (ふな)
2018-03-27 18:32:16
闘病記も就活記も買いましたが、やっぱり就活記を先に読みました。
いろいろ体験してみることって、障害の有無に関わらず必要だよな〰️と思います。失敗して挫折して、でも次のチャレンジを諦めない。大切なことですね。「しつけ」のことも含め、うちの凹凸っ子にいろいろ体験のチャンスを持たせたいなと思いました。
よいご本をありがとうございました!

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これは、エピソードから見事に再現性を引き出していることが現れたコメントですよね。本当に今回思ったのは、私もリアルタイムで見ながらがっかりしていた挫折、それすらも藤家さんの資質の表れで、ああいう挫折を肥やしにしたというだけではなく、資質があったから挫折したのだし、また同じ資質が回復をもたらしたということです。たとえば転居失敗。あれは行動力があったから起きたこと。でも行動力があったからここまできた。そう考えると失敗をおおらかに受け止める心の習慣ができる。それがこの本の魅力じゃないかなと思います。そして瀧澤久美子さんの指摘。あれはユニバーサル。誰にでも可能な「再現性」ですよね。大きな大きな芋づるの端っこです。

そして「闘病記」からお読みになったしのぴさん。

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「挫折が愛おしい」なんて、なかなか言えない (しのぴ)
2018-03-27 10:08:53
今、「闘病記」を読了。
私は仕事で、障害のある子どもたちの心身のリラックスを支援することがよくあります。当事者の感じ方を知ることができ、より細やかな支援に生かすことができそうです。
「就活記」はこれから読みます。楽しみ。
まわりにもおススメします!

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ありがとうございます! どんどんオススメください。そして買っていただいて読んでいただいて生意気なんですけど、「ああ支援者の人はやはり闘病記から読むのだな」というのが版元としての私の冷静な観察だったりします。そして私、実はいつの頃からか、当事者の記録を読んで「感じ方を知ることができ、支援に活かせる」という支援者の人たちと感覚がずれてきたような感じがしているんです。それは神田橋先生や愛甲さんとすらずれてきているかもしれない。なんというか、当事者の命の記録を「支援に活かせる」ってなんか書いた人に対して無礼な感じがするんです。これ、誰かわかってくれる人いますかね? 書いた人ですら私と感覚は共有できないかもしれませんね。彼ら彼女らは「活かしてもらいたい」って思って書いているのかもしれませんから。
昔は私も「当事者の言葉を支援に活かしてもらいたい」とか思っていたと思うんですよ。でもそれが彼ら彼女らの記録を正しく消費していることなのかどうか、わからなくなってきたんです。なぜなら彼ら彼女らは「他人の教材になりたい」と生きているわけではなく、日々生きて仕事をして稼いだお金で遊んで・・・という中で人間として成長していっているだけ、つまり私たちと同じように生活しているだけだからです。自分が誰かの教材になっていると朗々と告げられたら皆さんどういう気持ちがします?
そして「当事者の感じ方を知ることができ、助かる」って本気で思っている人どれくらいいるんだろう? と疑問もわくんです。当事者ったって様々だし。私は自閉の人たちがある一定の文化を持っているのは感じます。藤家さんとニキさんと三人で話していると明らかにこっちが蚊帳の外、っていうことも多く(そのいい例は『自閉っ子におけるモンダイな想像力』の冒頭漫画です。お手元にある人は読んでみてください。笑えます)、自閉の人と非自閉の人が共有していない文化は確実にあり、それはただの異文化であるのだから排除の対象ではない、とは強く思っていて「異文化だよ」と伝えてきた人間なのですが、じゃあ自閉っ子の感じ方を知ることができた、と安易に言う気にはなれないわけです。いやもちろん、「闘病記」を読むと「自閉だなあ」とつくづく思ってしまう箇所はあるわけですが。
それより版元として越権になるのは覚悟で、「闘病記」から何を学んでほしいかというと「実はあそこまでひどかった」ということです。あそこまでひどかったのです。そしてもっとひどい話を読みたい人はぜひ『他の誰かになりたかった』に進んでください。まだ混乱の中で書いています。「闘病記」は混乱が静まってから書いています。そして、あそこまでひどかったのです。繰り返し書きます。あそこまでひどかったのです。
そして私が皆さんに引っ張り出していただきたい再現性は「あそこまでひどかった人が立ち直る」ことなのです。今支援者として、あそこまでひどくない人をみている人、たくさんいると思います。そしてその精神症状や虚弱体質や機能不全家庭はどうにもならない、と思い、この人は将来施設に入るしかない、と思っている思われている人たちがいるはずなのです。でもあそこまでひどかった人が立ち直る。どうやって立ち直ったか。それを二冊にまとめたのです。

今日は版元として越権行為をたくさんしました。ついでに「すごろく」を作らせてください。「藤家さんすごろく」です。


「闘病記」を読んで「当事者の感じ方が知りたい」と思った方
→『他の誰かになりたかった』に進んでください。

「就活記」を読んで「働ける大人になるプロセスをもっと知りたい」と思った方
→『30歳からの社会人デビュー』に進んでください。

そしてそして

藤家寛子の闘病記




藤家寛子の就活記



引き続き、よろしくお願いいたします!