えじそんくらぶってまだあるのかな、と思ったら
検索してみればいいんですよね。
これが俗に言う「ググレカス」ってやつだな。
と自分で自分につっこみながらえじそんくらぶのHPに行ってきました。
ふーん。「社会の理解ガー」以外に、ストレスマネジメントの活動とかやっているんですね。
なるほど。
以前のえじそんくらぶって、すごい治療志向が強かったような。
私は泊まりがけでイベントに出かけてお勉強したりしましたよ。
今でいう「ビジョントレーニング」みたいなのも知ったのはここが最初だった。
でも今は治療志向じゃないみたいだ。
そうなのか。いろいろだね、どう活動方針を変えていくかは。
花風社は支援じゃなく発達援助に舵を切ったんだけどね。
昔話もう一つ。「平行線」再読。
やっぱり二日続けて読める本ではないです。途中ではあはあしないといけない本。
一日おきくらいに読みます。
でも前ほどつらくない。
どうしてかっていうと、こういう人も治るの、今の私は知っているから。
ていうか森口奈緒美さん、本当に才能あふれる方ですよ。
文章だけじゃなくてね。
そしてその才能が発露する場があれば(別にプロにならなくても)
ずっと健康を保つ方法はあっただろうに、新設校に通ってろくすっぽ部活動もなかったのが本当に痛かったですね。
翻訳者の河野万里子さん(ドナ・ウィリアムズの翻訳者)が一貫して森口さんとその作品にあたたかな視線を注いでいらっしゃいますが、
元翻訳ギョーカイ人として言わせてもらえば、河野さんは数少ない天才の部類の方。
やはり才能ある人同士って波長が合うのかもなあ、と思うくらい森口さんは色々な才能に本来恵まれている人ですね。
それがね、治るチャンスになったかもしれないのにね。
というのも私が今
アナログなアセスメント→資質の開花 っていうことを知ったからで
それを最初に教えてくださったのは神田橋先生で
でも私はそれがどういうことかなかなか飲み込めなくて
どうして飲み込めなかったかというと
「資質」と「才能」をごっちゃにしていたからで
でもニキさんや藤家さん、それにどんどん健康になっていく発達障害の人たちの姿が私に
「資質の開花」っていうことを教えてくれて
それでできた「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」の本。
「研究会でお会いしたら『いい本ができたねえ』と神田橋先生がおっしゃっていました」と、昨日愛甲さんが教えてくれました。よかった。自分なりのえっちらおっちらの理解だけど、ようやくたどりついた成果が「10年目の自閉っ子」ですよ。
多くの凸凹の人に健康になってもらいたくて作った本です。
そして健康になるためには、ギョーカイ人と過度につるまないことも大事。
ニキさんや藤家さんは、その辺もうまいことやったよね。
だってギョーカイ人にとって、メジャー当事者っていうのは支援の対象じゃないから。
自分たちの「社会の理解ガー」を訴えるための「飛び道具」ですからね。
だから彼らが抱いているルサンチマンに正当性がなくても「正当性ないよそれ」という指摘をせず「おおよしよし」するのです。その方が自分たちが使えるからね。道具として。高山恵子さんがYTに言ったおべんちゃらなんてその一つでしょ。
当事者が苦しい苦しいと訴えれば訴えるほどギョーカイは仕事がしやすいんです。
「ちやほやすれども支援せず」っていうのが、ギョーカイメジャーがメジャー当事者に接する態度です。
そして当事者の人たちはハイパーりちぎなのでそれを真に受け、こうやってルサンチマンがいつまでも解毒されず
っていう循環に取り込まれることのなかったニキさんや藤家さん。よかったよかった。
とくにニキさん、ギョーカイにちやほやされても、奇跡的に人権感覚がまともなままに保たれた人ですね。
それだけ「幸せになる力」が強かったんだよ。
ぶっちゃけ、健常者に対するニキさんの人権感覚って、かなりマトモです。ていうか森口さんよりマトモです。つまり、ギョーカイ人よりマトモです。
私の知る限り。
もっとも森口さんも、私が最後に読んでたころの「アスペハート」で、なんか趣味か何かの集まりで普通に(ギョーカイ外で)お友だちができてとか書いてらしたので、今は違っているかもしれませんけど。
人権感覚をまともにしてくれるのは、やっぱりギョーカイ外とのつきあいだと思うから。
検索してみればいいんですよね。
これが俗に言う「ググレカス」ってやつだな。
と自分で自分につっこみながらえじそんくらぶのHPに行ってきました。
ふーん。「社会の理解ガー」以外に、ストレスマネジメントの活動とかやっているんですね。
なるほど。
以前のえじそんくらぶって、すごい治療志向が強かったような。
私は泊まりがけでイベントに出かけてお勉強したりしましたよ。
今でいう「ビジョントレーニング」みたいなのも知ったのはここが最初だった。
でも今は治療志向じゃないみたいだ。
そうなのか。いろいろだね、どう活動方針を変えていくかは。
花風社は支援じゃなく発達援助に舵を切ったんだけどね。
昔話もう一つ。「平行線」再読。
やっぱり二日続けて読める本ではないです。途中ではあはあしないといけない本。
一日おきくらいに読みます。
でも前ほどつらくない。
どうしてかっていうと、こういう人も治るの、今の私は知っているから。
ていうか森口奈緒美さん、本当に才能あふれる方ですよ。
文章だけじゃなくてね。
そしてその才能が発露する場があれば(別にプロにならなくても)
ずっと健康を保つ方法はあっただろうに、新設校に通ってろくすっぽ部活動もなかったのが本当に痛かったですね。
翻訳者の河野万里子さん(ドナ・ウィリアムズの翻訳者)が一貫して森口さんとその作品にあたたかな視線を注いでいらっしゃいますが、
元翻訳ギョーカイ人として言わせてもらえば、河野さんは数少ない天才の部類の方。
やはり才能ある人同士って波長が合うのかもなあ、と思うくらい森口さんは色々な才能に本来恵まれている人ですね。
それがね、治るチャンスになったかもしれないのにね。
というのも私が今
アナログなアセスメント→資質の開花 っていうことを知ったからで
それを最初に教えてくださったのは神田橋先生で
でも私はそれがどういうことかなかなか飲み込めなくて
どうして飲み込めなかったかというと
「資質」と「才能」をごっちゃにしていたからで
でもニキさんや藤家さん、それにどんどん健康になっていく発達障害の人たちの姿が私に
「資質の開花」っていうことを教えてくれて
それでできた「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」の本。
「研究会でお会いしたら『いい本ができたねえ』と神田橋先生がおっしゃっていました」と、昨日愛甲さんが教えてくれました。よかった。自分なりのえっちらおっちらの理解だけど、ようやくたどりついた成果が「10年目の自閉っ子」ですよ。
多くの凸凹の人に健康になってもらいたくて作った本です。
そして健康になるためには、ギョーカイ人と過度につるまないことも大事。
ニキさんや藤家さんは、その辺もうまいことやったよね。
だってギョーカイ人にとって、メジャー当事者っていうのは支援の対象じゃないから。
自分たちの「社会の理解ガー」を訴えるための「飛び道具」ですからね。
だから彼らが抱いているルサンチマンに正当性がなくても「正当性ないよそれ」という指摘をせず「おおよしよし」するのです。その方が自分たちが使えるからね。道具として。高山恵子さんがYTに言ったおべんちゃらなんてその一つでしょ。
当事者が苦しい苦しいと訴えれば訴えるほどギョーカイは仕事がしやすいんです。
「ちやほやすれども支援せず」っていうのが、ギョーカイメジャーがメジャー当事者に接する態度です。
そして当事者の人たちはハイパーりちぎなのでそれを真に受け、こうやってルサンチマンがいつまでも解毒されず
っていう循環に取り込まれることのなかったニキさんや藤家さん。よかったよかった。
とくにニキさん、ギョーカイにちやほやされても、奇跡的に人権感覚がまともなままに保たれた人ですね。
それだけ「幸せになる力」が強かったんだよ。
ぶっちゃけ、健常者に対するニキさんの人権感覚って、かなりマトモです。ていうか森口さんよりマトモです。つまり、ギョーカイ人よりマトモです。
私の知る限り。
もっとも森口さんも、私が最後に読んでたころの「アスペハート」で、なんか趣味か何かの集まりで普通に(ギョーカイ外で)お友だちができてとか書いてらしたので、今は違っているかもしれませんけど。
人権感覚をまともにしてくれるのは、やっぱりギョーカイ外とのつきあいだと思うから。