治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

格下意識をお膳立てする装置

2014-07-02 10:20:28 | 日記
昨日は夜になって疲れたなと思ったら
一時間半(+電車の中でのうとうと)しか寝ていなかったことに気づき、早く寝ました。
フランスvsナイジェリアを見て、仮眠して
ドイツvsアルジェリアを見たら、もう眠気が飛んでしまって一日もってしまったのですね。
それくらいすごい試合でした。

いつもは格下相手だと「はいはい強い強い」の横綱相撲のドイツが、なかなかもどかしい試合展開を迫られ、ついに延長戦。
そこで突破口。
1-0で終わるか、と思ったら「介錯いたす」みたいな強烈なとどめのエジルのシュート。
なんというか、サッカーって民族性出ますが、このへんの容赦なさというか手をぬかなさというか、最後まで時間稼ぎとかしないのがかの国らしいです。個人的にも嫌いじゃありません。食い下がった相手にだからこそ、強烈にやり返すのが礼儀っていうもんでしょう。

と思ったらアルジェリアも意地で一点返して。
ということは介錯シュートがなかったらまたわからなかったわけで
どっちも最後まであきらめない見応えがある試合でした。

途中で「点取られると弱気になる日本と大違い」というつぶやきを見ましたが
本当にどこもそうなのです。昨日のアルジェリアもそうだし、今日のアルゼンチンと対峙したスイスもそう。
いわゆる相対的格下のチームが、全然萎縮せず自分たちにできることを全部やるのです。

私は日本代表よく見ていないのですが
かつてジーコ監督が指摘していましたね。
「点を取られるとものすごく落ち込む。それが国民性なのだろう」とか。
「工場でテレビを作るのとサッカーとは違う」とか。
良くも悪くもそれが日本人なんだと思います。

私がなぜ一時に起きてよその試合をせっせと見ているかというと
一流のプレイヤーの創造性にほれぼれするからです。
他国同士の試合なので、気楽に見られて、創造性なゲームづくりウォッチングに集中できますが
ときどき「これは素晴らしくクリエイティブだ」と思った方を応援していることもあります。

じゃあ日本人にクリエイティビティがないかっていうと、戦後世界に冠たるものづくり国家を作り上げたのはクリエイティビティの産物であり
ただそれがサッカー向きではないか、まだサッカー向きじゃないんだろうな、と思います。
それが療育にも関係していると思います。それはまた、次の機会に書きましょう。

まあともかく

強豪国と戦う「相対的格下」の国々を見ていて思うのは、まったく物怖じしていないっていうことです。悲壮感もなければ劣等感もない。自分たちの持てるものをぶつけます。あるいはスペインと初戦で戦ったオランダのように、ある程度自分たちの個性を引っ込めても相手の強さをそぐ方に工夫を凝らしたりします。
それに比べて本邦では、メディアもこぞってランキングなどを取りざたし、愚にもつかない予測で電波を埋め、そして試合が始まると縦にパスが出せない、っていう「国を挙げての萎縮」がさかんです。90分良いパフォーマンスができるだけの体力がないことには目を向けず、「自分たちのサッカーができなかった」みたいな訳のわからないこと言って泣いて終わります。
脳みそぐるぐるさせてみんなでつまらない情報を集め、頭でっかちになって、そして実際にパフォーマンスする場面になるとすっかり萎縮している感じ。ていうかそもそも基礎体力がない感じ。
なんかに似てますよね。

この「事前情報集めてびびる」っていうのをエンターテインメントみたいにみんなでやってしまうノリがたぶん
「障害児の未来=消化試合」の根っこにあると思うのです。
また我が国は、そういうメンタリティの人が、そういうメンタリティを育む装置を方々にしかけているんですよ。
「目標は家事のできる引きこもり」と言い放つ「支援者」。
膨大なブログを書いたあげく「本を書いているお父さんでもあれだけ成果をあげていないのか」と読む人を絶望させてしまう「カリスマ父さん」。

そういう装置にひっかかって、国民総萎縮の仲間に入り、
未来に絶望することを選ぶならどうぞ選んでください。
ただそれを選ばない人もいますよ。

その人たちのために、花風社は情報を提供していきます。

昨日、私が早寝したあとで、支援校の先生から「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」のまとめご注文がありました。
読み終わるのがもどかしいくらい、楽しんで読んでくださったそうです。そしてマーカーで方々チェックして。
そして教員のお仲間や保護者に声をかけてくださったんだそうです。その結果のまとめご注文。
善意で出した本を、まっすぐ受け止めていただけるととてもうれしいですね。