治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

社会に寄り添う生き方を選んで

2013-07-11 10:11:55 | 日記
さて、黒歴史は黒歴史として
社会に寄り添う生き方を選んで着実に歩みを進めている方からとても嬉しいニュースがありましたので皆さんにお知らせいたします。

「自閉っ子のための道徳入門」に登場していただいた賢ママさん。
その育児方針は「他人に迷惑をかけない子に育てる」。ごく普通の親心です。
ただ賢ママさんご自身が発達凸凹の方なので、一般的なやり方ではなく
お子さんに合ったやり方を編み出されるのが上手でした。
療育には一切通いませんでした。見ていて楽しそうに見えなかったから。
その間、親子で田んぼのあぜ道を歩いて、家庭の中で見事に発達凸凹のお子さんたちを育てていらっしゃいます。嬉しいお知らせを貼ります。

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花風社さんの本には大変お世話になりました。楽しく読みながら自分自身の生き方に対するヒントや子育てのヒントをたくさんいただきました。

その甲斐あって今回LDの息子がバイトから正社員に採用してもらえることになりました。字が書きにくいというハンディを持ちながら育って、学校で不適応を起こしうつになり、児童精神科で薬をもらっていたこともあったのですが不登校を乗り越え定時制高校に進学し友人を得て立ち直り今の職場にバイトとして採用されました。

あとから採用された子のほうが時給が高いと知った時は落ち込んでいましたが、実力次第でお金は後からついてくるものだから努力しなさい。上司の方はちゃんと実力を見た上でそれぞれに時給を考えてくれているのだからと話をしました。

それからは休日も最低限にして黙々と働き、朝は社長さんより早く出て先輩の吸った煙草の吸い殻を始末し事務所の机を拭いて他の人が出勤するのを待つようになりました。

時給も徐々にあがり、「今月10円上がった!」と嬉しそうに報告してくれ、私にも小遣いをくれるようになりました。明日正式な手続きをするとかで年金手帳や通帳を大事そうにカバンに入れていました。

ゆっくりゆっくりですが着実に歩みを進めてきた息子のことを親ばかですが自慢の息子と呼びたいと思います。

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療育に通わない人の方が発達する。
就労支援を受けない人の方が就労がうまくいく。
そういうことって、別に不思議でもなんでもありません。

賢ママさんが実践していらっしゃるのはまさに「脳みそラクラクセラピー」です。
ご興味のある方は「自閉っ子のための道徳入門」を読んでみてください。

私の黒歴史

2013-07-11 09:57:33 | 日記
御注文とともに「友だちについては大人でもややこしいので浅見さんの考えは目からウロコのところがある」というメッセージをいただきましたが
私の考えは「自分のつきあう人は、自分で選ぶ」であって「基本的に受け身」の人です。
あと「人の言うことを聞かない」というのは、私の弱みであるかもしれないけど強みでもあります。

でもこの原則をはずしてしまった結果、失敗したこともあります。
そのために、こんなへんな一文を自社の出版物に載せてしまったことがあります。

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もっと重要なのは自閉症の人の視点からみた「多数派」あるいは「定型発達」と呼ばれる非自閉症者の行動特性である。多数派の行動特性は欺瞞と矛盾に満ちている。多数派の人々は自分たちの行動が普通で常識的だと思っている。しかし、本書の至る所で見事に描写されているように、多数派の人々の行動は実のところ非常識で身勝手で押しつけがましいのである。

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いわゆる健常者の世界に向けた怨嗟に満ちたこの文章。
実は花風社の出版物にのっかってます。
初版は2004年1月。つまり、「プレ自閉っ子シリーズ時代」に私が出してしまった本の黒歴史です。
書き手はよこはま発達クリニック 内山登紀夫医師。
え、執筆頼んだのかって?
いえ、頼んでいません。
著者との間に最初に立っていただいたサイドからの「押し売り」です。
三人の専門家の後書きをのせよ、でなければ出版はまかりならんという仰せに、
キャラでもなく泣く泣く従ってしまった若き日の私でした。

三人もおつきがぞろぞろついてくるような、そんな変な本は作りたくなかったです。
しかも言うことが生意気じゃないですか。後書きを誰にするか、っていうのは私に言わせれば版元の専権事項です。うちの株主でも役員でもないのに、なんでそんないばって押しつけるんでしょうか。
支援者ってそんなにえらいんでしょうか?
出版にたった一円のお金を出すわけでもありません。出すのはうちです。金を出さないなら口を出すなっていうもんです。
この頃から私は、「支援者という生き物における三つ組みの障害」にうすうす気づきはじめたわけです。
あ、ちなみにこの頃は
後に私が告訴し、有罪判決に至った一自閉症者の主治医が他ならぬ内山医師であることも知りませんでした。
内山医師はただの「有名なお医者さん」でした。

それでも私が渋々これを承知したのは
著者の森口さんの希望だと思いこんでいたからです。
ところが、やがて私は裁判を抱えることになり
「変光星」が品切れしても、とうてい増刷する心境にはなれなくなっていました。
内山医師の後書きには、今読むと事件の片鱗が見られるのです。
内山医師はどうやら、自閉症者の自伝を読んでは「この人は本当に自閉症だろうか」とか逡巡するご趣味があるらしい。
YTとの間でもそういう話があって、それがあの事件につながったとしたら、私はとうていこの活字をさらに世に拡散する気にはなれなかったのです。
それに何より
本として変なのです。こんなにおつきがぞろぞろいるって。ギョーカイ事情見え見えじゃないですか。ひとんちの本で友情を確かめ合わないでほしいもんです。

品切れとなったあと、「再版してもらえないか」という森口さんからのお願いに私はこう答えました。
「あの後書き落としてもいいですか。そうすればページ数も減って、値段も落とせます。私は正直、後書きが多すぎる本は出したくなかった」
そして知ったのです。
「三人の後書きを載せよ。でなければ出版はまかりならん」という主張は、森口さんの意向ではなかったということ。与り知らぬことだったということを。

まあその後、いろいろな事情があって「変光星」は増刷しませんでした。
この本の出版をまつわる状況の多くに(中身じゃないですよ。まつわる状況の多くに、です)
「健常者に人権なし」という思想を読み取ったからです。
後書きはその始まりだったということです。

私の今の目指しているところは
障害者と健常者の共存です。
健常者の社会を実際以上に冷たいものと思い込みたいギョーカイとは、真逆を行きます。

森口さんにあてた文章の一部を出します。

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私もこの本は、意義があると思って出しました。けれども裁判を抱える途上で、支援の世界と私がうまくやっていくことは一生できないだろうと思うに至りました。
 
 発達障害の世界を離れることも考えましたが、今は花風社にも志を同じくする読者がいます。支援の世界のメジャーな先生方とは違い、「健常者にも人権がある」というまっとうな認識を持って社会に寄り添う生き方を選ばれている発達障害の方とそのご家族です。
 私はこの方たちの求める情報を、本にしていこうと思って活動しています。
 
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私は私らしく、納得できないことはやらない、でいこうと思います。
そうすればもう、賛同できない一文に紙とインク代をかけてしまうような、そういうバカな間違いはしないですむでしょう。

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