治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

嫌韓と嫌アスペルガー(暴論)

2013-07-24 09:47:00 | 日記
えっと、花風社の展開する自閉症の見方が気に入らないという理由でネット上で暴れ回っていた当事者を民事提訴・刑事告訴して勝訴・有罪判決を引き出した話は耳タコでしょうけど
そういう裁判起こすときには、相手の主張が誤っているという資料を集めて裁判所や警察に提出するわけですね。

たとえば、ニキ・リンコは実在しない。浅見淳子が演じているといういんちきに対しては
ニキさんと私が揃って警察に行って顔見せしたし、パスポートも提出した。
しかも本に書いてあるとおり
警察ってまた、外務省に裏付け取るんですよ。すごいですね公権力。

学歴詐称っていう名誉毀損に対しては
母校に行って卒業証明取りました。
夫が行ってくれたんだけど、夫婦でも委任状が必要でしたよ。

在日だっていう主張もあったんだけど
これは実家の何代も前からの戸籍謄本を取り寄せた。
いやあ、今のと違って古式ゆかしい謄本で
これは実家の両親が父の故郷である湘南地方まで車を飛ばして取りに行ってくれました。私はもう姓が変わってるから、役所のガードが固くなるので、両親が行ってくれて助かりましたです。

創価学会員だという疑惑。
これもまあ、事実無根なんですけど、証明のしようがない。
一番そうじゃないのを知っているのは、私のそばにいる創価学会員の人じゃないかな。不思議なほど皆さん私を勧誘しませんね。たぶん勧誘するタイプじゃないんでしょうね。
まあ全然公明党支持してないことはこのブログ見ている人ならわかるよね。

そもそも
在日や創価学会員だとしたら、私は隠さないんじゃないかなと思います。
別に恥ずかしいことじゃないでしょ。

だからね

加害者が拡散した数多くのうそっぱちの中で
「名誉毀損」ということで論駁することに一抹のためらいを感じたのは
「在日」と「創価学会員」疑惑です。
「詐欺」や「学歴詐称」と違い
「在日」であることも「創価学会員」であることも別に恥ではありません。ただ事実と違うだけ。

だから私は、犯罪が起こると在日疑惑かける人とか、そういう人の活動は基本的にキライです。
ある種の血統主義だと思ってる。そういうことする人は俗物だと認定してます。
でも外国人参政権にはもちろん反対です。
在日の人は帰化しやすいはず。ならば日本国の政治に参加したければ日本国民になればいい。
そうじゃないことを選ぶのなら、それも自由。参政権がほしければ日本国民になればいいと思うよ。

韓国料理は別にキライじゃないけど好きじゃありません。なんというか仕事がおおざっぱな料理だよね。
韓流は興味がないので全く見ないうちにブームが終わっていました。

韓国人との交流経験を考えてみましょう。
大学時代に留学生がいた。
大学時代に在日の人がいた。
社会人になってから韓国法人の人と一緒に仕事したり遊んだりした。
それくらい。
日本人の友人や同僚と同じ。

かの地を訪れたことはありません。

こんな私も、うっすら嫌韓です。
不思議でしょ。
自分でも不思議になって、理由を考えてみました。

そしてわかったのは
あっちがこちらを嫌っているという情報が入ってくるからだろうなあと。

旭日旗っぽいものにケチをつけて歩く。
慰安婦のお人形配る。
ひとんちの国旗焼く。
こういうことされたら、日本人としてキライになるに決まってるじゃないですか。

そしてね、これを思い出したんです。

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もっと重要なのは自閉症の人の視点からみた「多数派」あるいは「定型発達」と呼ばれる非自閉症者の行動特性である。多数派の行動特性は欺瞞と矛盾に満ちている。多数派の人々は自分たちの行動が普通で常識的だと思っている。しかし、本書の至る所で見事に描写されているように、多数派の人々の行動は実のところ非常識で身勝手で押しつけがましいのである。

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先日書いたように、私は定型社会に恨みを抱いている支援者を選びません。
そういう人が、社会に人を送り出せるとは思えないから。
でも上記のような論調に同調する人もいる。それは理解しますよ。
本当に嫌いなんだろうね。憎いんだろうね。定型の社会が。

でもそういう人の存在が目立ったら
おそらく定型社会は嫌アスペルガーに傾いていくでしょうね。

自分のことを嫌いな人のことは、
よく知らなくても嫌いになりやすいです。
アスペルガーの人が、勝手に脳内でこさえた理由で定型社会を弾劾するなら
定型社会はアスペルガーの人とつきあわない道を選びます。
そしてそれは差別ではありません。
不愉快にならないための自衛です。

資質と適性と才能の違い

2013-07-24 08:50:45 | 日記
FBのお友だちが就職決まったとお知らせ。
よかったなあ。

ギョーカイ的には当事者に向かない仕事って言われているんだって。
関係ない関係ない。

ちゅん平が販売職なんて
ギョーカイ的には考えられないでしょ。
でも見事に花開いていますよ。職場を通じて人間関係もできて
なんだか遅れてきた青春を謳歌している。

ギョーカイ的には考えられなくても
ちゅん平が販売職って、神田橋先生愛甲さん的に言う「資質」には合ってるんですよ。
ギョーカイは狭いんだよ、見方が。
ギョーカイの「向いてる・向いてない」の決め方の一つは
「自分たちが世話できるかどうか」が入ってたりするし。

正直「発達障害は治りますか?」の頃には、私にも才能と資質と適性の違いがよくわかってなかった。

んで、それまでさんざん「アインシュタインがエジソンが」と言いながら
いざ就労支援となると早稲田大学出た子に時給800円のファイリングみたいな仕事を用意して
「就労支援成功(ドヤ)」とか言ってるギョーカイにうんざりしていたこともあり

「適性に合った仕事を」と言いながら
「花風社で本を書いたらどうかね」と勝手に患者に言い、患者がその気になって「本を書かせてください、主治医に言われたんで」とか言ってきて「ほえ?」となり、よく聞くと見知らぬどっかのおじさんがうちの出版ラインを勝手に決めてるということを知り
「あなたにとっては主治医でも私にとっては知らないおじさんだから私はその医者の言うとおりの本を出す気はない」と持ち込みことわってあきれたり

「福祉職はとうてい発達障害者にはつとまりません。弁護士とか裁判官なんてどう?」とか言う、他人の仕事の大変さにまったく思いを馳せないギョーカイ人のお花畑っぷりにうんざりしていたこともあり

適性に合った仕事につけば花開く、と大本営発表しながら、「二次障害回避原理主義」に陥って自由業的なマインドをまったく教育しないギョーカイにあきれていたこともあり

「適性」とか「才能」とかいう言葉が支援者から出てくると警戒してたんですよね。
そんな甘いもんじゃないよ、って。

そして
資質と適性と才能をごっちゃにしていたんですよね。
それが整理されたのは、「脳みそラクラクセラピー」です。


あれでクリアになった。
だからFBのお友だちの前途を絶賛応援中です。

逆にさあ、

「障害者枠が増えてもコミュニケーション力に不安のある発達障害者の枠はなかなか企業に雇ってもらえない」とかいうギョーカイトークをまともに受けて嘆いている人なんて見ると
「リテラシー」っていう単語を思い出します。