教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

真田幸村 通説と異なる最期示す史料展示 福井県立図書館

2017年02月04日 18時34分54秒 | 受験・学校・学問

 

毎日新聞2016年11月17日 11時01分(最終更新 11月17日 14時18分)

 

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西尾宗次が真田幸村を討ち取った状況を記した「旧藩士諸家覚書之写」の一部=松平文庫蔵(福井県立図書館保管)

 

 

 1615(慶長20)年の大坂夏の陣で戦死した豊臣方の武将、真田幸村(信繁)の最期を伝える新たな記述が福井市下馬町の福井県立図書館が保管する史料から見つかった。幸村を討ち取った徳川方の福井藩士、西尾宗次(むねつぐ)が書いた手紙の写しで「やりを交えて戦った」と主張する内容。幸村が宗次に自ら首を差し出したという通説と異なる。 県立図書館司書の長野栄俊さん(44)が越前松平家に伝わる史料群「松平文庫」を調べたところ、福井藩士の由緒を収録する「旧藩士諸家覚書之写」の中から見つけた。明治期に原本から書き写されたとみられる。 宗次は夏の陣当時、福井藩主、松平忠直に仕える鉄砲頭だった。手紙で「殿様(忠直)の御馬の先方で真田と出会い、やりまで合わせ、その身まで討ち取り、天下様(徳川家)へ差し上げた」と自身の戦功を回想。一方、処遇への不満を述べる箇所もあるという。 幸村の最期には諸説がある。負傷して休息していた幸村が自ら首を差し出したという説が広く知られるが、松平文庫では2012年にも「宗次はやりを合わせて討ち取ったが、後から幸村の首と気づいた」と伝える別の文書が見つかっている。放送が終盤に差し掛かったNHK大河ドラマ「真田丸」でも、最期がどう描かれるのか関心が集まりそうだ。 長野さんは、宗次の生涯に迫った論文を雑誌「若越郷土研究」に今秋発表。「自分の手柄話だけでなく、奉公を辞めたいと申し出る記述もあり、手紙には信ぴょう性がある」と話す。 今回見つかった記述を含む松平文庫の関連史料は12月28日まで県立図書館で展示されている。【岸川弘明】

真田幸村(信繁)の最期の歴史的事実が、判明しました。

 

 

 


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