天皇家が連綿と続いたのは御所が鎧わぬ場所だったからだ
2017-11-10
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またひとつ、教わった。
きょう11月10日の日経新聞の連載「象徴天皇と旅」という連載3回目の記事は、つぎのような書き出しで始まっている。
「天皇家が連綿と続いてきたのは、京都御所が鎧(よろ)わぬ場所だったからだ」
テロ情勢が厳しかったある時期。皇居の一角の警備強化の話が出た際、天皇陛下は武装しない天皇家の歴史に触れ、賛成されなかったという・・・
この記事を読んで私は深い感動を覚えた。
この今上天皇の言葉こそ、憲法9条の精神を見事に語った言葉であり、まさしく今上天皇が象徴天皇として実践されて来た事ではないのか。
何度でも繰り返すが、戦後の日本は、天皇制を維持するための昭和天皇の戦争責任の免責、軍国主義の復活を許さない戦力不保という懲罰的な憲法9条、そしてそれと引き換えに米国に守ってもらうという日米安保体制、という、矛盾を抱えた三位一体で出発した。
そして、我々国民は、この矛盾を抱きしめながら、バランスをとりながらなんとか戦後復興、成長に専念して来た。
ところが、戦後が終わり、経済力がついてきたあたりから、年を経るごとに日米安保体制が優位になり、ついに小泉、安倍自公政権の下で、日米安保体制が突出し、いまや安倍首相の手で憲法9条が書き変えられようとしている。
このままでは日本に未来はない。
憲法9条の精神を体現される今上天皇の在位のうちに、何としてでも憲法9条を日米安保体制より上位に置く、日本の国是としなければいけないのだ。
そのことに国民が気づかなければいけない。
そのためには、何としてでも新党憲法9条をこの国の政治の中に実現しなければいけない。
その思いを、ますます強めてくれた日経新聞の記事であった(了)