教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

新潟県警「交通鑑識のプロ」に工学博士号

2010年05月17日 17時51分33秒 | 受験・学校

『 新潟県警、www.police.pref.niigata.jp )の科学捜査研究所(科捜研)で交通事故鑑定に携わる本宮嘉弘さん(46)が、任務に追われながら、新潟大大学院でシートの座面強度などに関する論文をまとめ、今年3月、県警では初となる、工学博士号を取得した。 県警職員の誰もが認める「交通鑑識のプロ」。年約50回、通算で約1000回、事故現場に足を運び、今年で勤続23年目を迎えた。 常に倍率20倍の携帯型顕微鏡を持ち歩き、現場ではわずかな事故の痕跡も見逃さないよう、路面や車体に顔をぐっと近づけて、子細に観察する。「事故を起こしたのに言い逃れをし、一方の当事者に責任をなすりつける人もいる。鑑定で事故原因を解明し、無実の罪に泣く人をなくしたい」 いまも忘れられない事故がある。 5年ほど前、乗用車と軽自動車が正面衝突し、シートベルトを装着していた乗用車の運転手、助手席の同乗者がいずれも命を落とした。内臓破裂だった。「エアバッグも膨らみ、車体の壊れ方もひどくないのに……」。車両を調べると、双方の席の金属製のシート座面が、大きく変形していた。「事故の衝撃で腰ベルトがずれ上がり、腹部に食い込んだのでは」。直感が働いた。 独自に研究を始め、年に数回、学会で成果を発表。それを知った学生時代の恩師、新潟大の石橋達弥教授(機能材料工学)(退官)に誘われ、2007年4月に大学院に入った。月に1~2回、仕事帰りや土日を利用して通い、研究を重ねた。』2010年5月16日(日)12:20読売新聞

仕事を持ちながら大學院で研究するチャンスが、日本の大學でもつと拡充されるべきだと思います。文部科学省もサポートすべきだと思います。社会人の皆さんの長年仕事で培われた豊富な実践経験や実務知識が研究に生かされることは、これからの大学の科学技術研究では大切と思います。理論と実践、空理空論や机上の空論では、日本の科学技術研究の進歩は無いと思います。長年に亘る交通事故現場での貴重な体験と豊富な経験こそが科学技術の実証や交通事故防止に生かされるのではないでしょうか。科学技術の研究は、日常生活の中に生かされるところに科学技術の研究の意義と社会的貢献を果たしていると言えるのではないでしょうか。。交通鑑識のプロの目と現場第一主義の長年の努力が報われたと思います。鑑定で事故原因を解明し、無実の罪に泣く人をなくしたいという交通鑑識のプロとしての執念と熱意を研究に生かされました。勤続23年目の汗と努力の結晶で、新潟大學工学部www.eng.niigata-u.ac.jp から工学博士を取得され本当におめでとう御座います。これからもどんどん新しい研究をして頂き、皆さんの為に交通事故の原因究明と交通事故で命を失わないように安全な金属製シートの材質開発の為に頑張って下さい。

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    あいさつない、タメ口…新入社員に「イラッ」83%

    2010年05月17日 15時37分15秒 | 社会・経済

     イラッとくるのは、あいさつをしない新人――コクヨ子会社のカウネット(東京)が、働く20~40歳代の女性474人に聞いたインターネット調査で、新入社員の言葉遣いや電話応対などのビジネスマナーにいらついた経験のある人が83・3%にのぼった。 その原因は、「あいさつをしない」(56・3%、複数回答)が最も多く、「電話に出ても名前や用件をちゃんと聞けない」(48・1%)、客や先輩になれなれしい言葉遣いをする「タメ口」(45・8%)と続く。「敬語が間違っている」(43・5%)、「連絡なく遅刻・欠勤をする」(36・1%)のも、困った新人とみていた。 新人へのアドバイスとして、「先輩の注意を素直に聞く耳を持って」(40歳代後半、一般事務・管理)、「すてきな先輩を観察して」(30歳代後半、営業・販売)、「ひたむきな姿勢が大切」(40歳代後半、その他の職種)などが挙がった。 カウネットの調査担当者は、「将来、後輩に胸を張ってマナーを教えられるよう頑張って」と新人にエールを送っている。(2010年5月17日  読売新聞)

    挨拶は、大切な礼儀作法で、誰に取っても大切です。朝は、おはようございます。昼は、こんにちは、関西の人はこんちはと言う人もいますし、夕方にこんばんわと言うのが挨拶の常識ではないでしょうか。家庭でもこの頃は親子でも朝起きしてもお互いに挨拶をする習慣が忘れられているのではないでしょうか。大學の体育会系サクールでは、先輩の後輩の上下関係を重視していますので挨拶をきっちりしていますね。明るい笑顔と明るい声で、挨拶されますと相手も気持が良いのでは無いでしょうか。気は心で、気持が通じるのではないでしょうか。新入社員の人は、恥ずかしいのか、引っ込み思案なのか、はにかんで内気なところがあるのかも分かりませんが。なぜ挨拶をしないのかその理由を調査して欲しいと思います。新入社員の皆さんの気持も分かると思います。「客や先輩になれなれしい言葉遣いをする「タメ口」敬語が間違っているのは」、日本語の正しい敬語の使い方が出来ていないのではないかと思います。最近の日本語の言葉遣いの乱れも原因と思います。新入社員ばかりではなく、大人も正しい敬語と言葉遣いに注意すべきだと思います。目上の人にご苦労様と言う50代の女性もいますし、お疲れ様と言うのが正しいと思いますが。正しく日本語を話す人が少ないのも要因で昨今の事情ように思います。「連絡なく遅刻・欠勤をする」するのは良く無いと思います。学生時代からの悪しき習慣を引き攣り、遅刻・欠席を大學では厳しく注意されることは無いので、社会人になっても改められないのではないでしょうか。現実には、遅刻癖はなかなか社会人になっても直らない人も多いようです。遅刻癖は一生もんのようです。人間関係では、信頼を失う元です。「先輩の注意を素直に聞く耳を持っては」、長い経験に基づいた注意やアドバイスには、直に聞いたほうが今後仕事上為になると思います。先輩も皆新入社員の時代が有ったと思います。新入社員の皆さん元気なフレッシュさと明るさを大切にし、失敗やミスに挫けず、新しい職場に慣れるまで心身とも疲れると思いますが頑張って下さいね。フレッシュマンの皆さん方のこれからの御活躍と御健勝を心からお祈り申し上げます。

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    堂々と立つ「一本桜」満開=岩手・雫石町

    2010年05月17日 12時48分03秒 | 社会・経済

    『岩手県雫石町の小岩井農場にある、「一本桜」が満開となり、見ごろを迎えている。今年4月は例年よりも寒い日が多く、昨年よりも10日遅い開花。満開も6日遅い7日となった。
     小岩井農場によると、この一本桜は詳しい樹齢は不明だが、放牧された牛を夏の強い日差しから守る「日陰樹(ひいんじゅ)」として、明治40年代ごろに植えられたという。 白い雪をまだ頂に残す岩手山を背景に、青々とした小岩井の大地の上、一本桜は堂々と花を咲かせて立っている。』【もぎたて便】
    (2010/05/13-10:43)時事通信

    岩手県雫石しずくいし町の小岩井農場に有る一本桜、明治40年代から 風雪酷暑ものかわとせずに時代をじっと見据えて来た一本桜、小岩井農場の歴史を物語、夏場の強い日差しから牛を守って来た「日陰樹(ひいんじゅ)」の役割も長い間果たし来たと言えます。今年4月は例年よりも寒い日が多く、昨年よりも10日遅い開花。満開も6日遅い7日となった一本桜の木は、その年の気候を順応し、桜の花を咲かせる一本桜、人智には及ばぬ一本桜、天候を正確に予測出来ない人間の科学技術の限界を知るとともに自然の大切さを人間が、桜の木から教えて貰っているように思えてなりません。木には、精霊が宿っていると昔から言われています。木の博士は、木と対話が出来ると言われています。人間の生命が、軽んじられている今日、綺麗に咲く一本桜から、見る人の心が癒され、生命の大切さや貴さ人間問いかけているように思います。木や自然を大切にする心から人間性豊かな人間が履くぐまれるのではないでしょうか。自然大切に自然に学ぶことが今教育でも忘れられているように思います。

    小岩井農場と一本桜 | 北の風通信モリーオより引用www.bthr.net/photoblog/archives/467

    小岩井農場にも遅い春が訪れ、今年も一本桜はきれいな花を咲かせはじめました。農場の広い牧草地の中に一本だけ凛として立ち、まだ雪を抱いた岩手山を背景に淡いピンクの花を咲かせる一本桜を見るために大勢の人が訪れています。
    「小岩井農場は明治二十四年(1891年)に開設されました。当時この地は不毛の原野でしたが、土壌改良を行うと共に森林を形成しつつ、一貫して農林畜産業を基軸とした運営を継続し、不毛の原野は百年を超す歴史の中で生産性の高い緑の大地に変わりました。
    農場の中で、秀峰岩手山を背景に緑の大地に根を張る一本桜。詳しい樹齢は不明ですが、おそらく明治四十年代(約100年前)に植えられたと推定されます。一本桜があるこの草地は、今は農場の牛などの餌になる牧草を収穫する畑ですが、昔は牛の放牧地でした。牛は暑さが苦手なので、夏の強い日差しから牛を守る「日陰樹(ひいんじゅ)」としてこの桜が植えられたものと考えられます。以前はここで牛の世話をする人しか知らない桜でしたが、昭和50年代に広域農道(雫石地区:全長19.5km)が整備(1978年完成)されてからは一般の方も見学できるようになりました。」(一本桜案内板より)

    小岩井農場の一本桜 5/17
    小岩井農場桜情報の第16回です。
    一昨日まではまだ葉よりも花の方が多かった小岩井農場の一本桜ですが、
    今朝はこの写真の通り、葉の方が目立ってきました。

    小岩井農場の一本桜(少しアップ) 5/17
    もうすっかり葉桜ですね。
    それでも、私の他にカメラを向けている方が数人いらっしゃいました。
    桜はすっかり終わったものの、青空、残雪の岩手山、青々とした牧草地との組み合わせ
    の妙が、季節を問わず写真に残したくなる風景を作り出しているのですね。
    私も新緑から深緑と移り変わるこの桜を撮り続けたいと思っています。

    これで、今年の小岩井農場桜情報を終了させていただきます。
    これまで桜情報をご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

    (高山)

    小岩井農場の一本桜 5/15
    もう一枚。
    地元のカメラマンさんたちが数人いて、岩手山が顔を出すのを待っていらっしゃるようでした。
    今年はいつまで楽しめるのでしょうか?
    改めて強い生命力を感じます。

    (高山)

    小岩井農場のホームページwww.koiwai.co.jp

    歴史・あゆみ

     

    小岩井農場は1891(明治24)年の開設。

    共同創始者である小野義真(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の三名の頭文字をとって「小岩井」と命名されました。その後、1899(明治 32)年からは岩崎久彌が小岩井農場を継承し場主となり、その責任のもとで最も信頼できる者を経営にあたらせることとなりました。
     開設当時、小岩井農場周辺は不毛の原野でした。冷たい西風が強く吹く、極度に痩せた酸性土壌と湿地が人間による開発を拒んできたのです。そのため、新墾地の土壌改良を行ない、湿地に暗渠排水網をはりめぐらせるとともに、圃場や施設を守るための土塁を築く等、基盤整備に数十年を要しました。中でも防風・防雪林の植林は、やがて農場面積の三分の二を目標として、本格的にスギ・アカマツ・カラマツの植林を行う山林事業へと発展してゆきます。

    明治生まれの小岩井ブランドの乳製品
    ~畜産振興をめざすブリーダーとしてスタート~
    本部事務所(国登録有形文化財)
    1903(明治36)年の建築。宮沢賢治の長編詩「小岩井農場」(大正11年の作品)の中で「本部の気取った建物」とうたわれた。現在も事務所として使用されている。
     1899(明治32)年からは、当地の立地・気候風土に適合するものとして、また明治初年来の国策である殖産興業の一翼をにない日本人の体位向上に資するため、畜産振興を行うことを目標に定めます。種畜の生産供給(ブリーダー)事業を主体とし、その餌となる作物の耕作を行なうこと(これを「畜主耕従」と呼ぶ)を経営方針としました。現在に続く畜産事業の始まりです。1901(明治34)年には、オランダなどから乳用種牛を輸入し品種改良を開始。全国の種畜場・牧場などに種畜を供給しました。また、飲用乳・バター・チーズの製造技術の確立を図り、我が国の乳業事業の発展に貢献しました。
     1938(昭和13)年には自立した経営を行うべく、小岩井農牧株式会社を設立し、小岩井農場はその事業所となります。
    農林畜産業を基幹として時代に応じた多角的展開
    搾乳用牛舎(国登録有形文化財)
    1934(昭和9)年建築当初の面影をそのまま残す。「30年後でも恥ずかしくない牛舎を」と建てられた当時最新鋭のものだったが、約70年後の今も現役。
     第二次世界大戦後、GHQの占領政策のため、農場用地約1,000ヘクタールを解放するとともに、多くの優秀な競走馬を育て経営的にも重要な柱であった育馬事業(当初軍馬用の馬匹改良という国策に応じてはじめた)を廃止しました。この経済的打撃は大きく、後に多くの事業に挑戦するきっかけとなりました。昭和30年代には種鶏事業を本格化します。
     乳牛の育種改良については官主導とする政策転換に対応するため、長く事業の根幹であったブリーダー事業を終息し、生乳の増産に向け搾乳牛の多頭飼育に移行しました。また、飲用乳・バター・チーズなどの製造販売を本格的に展開することとなりました。1976(昭和51)年、この事業を分離し、キリンビール株式会社との合弁で小岩井乳業株式会社を設立しました。現在も小岩井農場の乳牛から搾った生乳は、全量を小岩井乳業(株)小岩井工場へ供給しています。
     戦後、収益的に農場経営の柱となった林業も、大口需要先であった鉱山の相次ぐ閉山、外材輸入の急増という状況に対応し、資源の温存を図りつつ、環境保全・景観保全等、山林の多角的機能を大切にする方針に転換しました。この林業で培った技術をもとに、後に環境緑化エンジニアリング事業を立ち上げました。
     近年は時代のニーズに応える農林畜産業の充実を図るとともに、さらにこれらの生産農場としての営みを生かした、観光事業・農場商品販売事業など、農林畜産業を主軸に複合的・多角的に事業の展開を図り、現在に至っています。
    基本は「環境保全・持続型・循環型」の運営

     農業政策の転換、経済の国際化等著しい変遷の中でも、小岩井農場は一貫して農林畜産業を基礎とした運営を継続し、不毛の原野は百年を越す歴史の中で生産性の高い緑の大地に変わりました。
     小岩井農場はこの心を潤す緑豊かな大地を、「環境保全・持続型・循環型」運営により、生産農場として更に維持充実させてゆきます。そして、ここを原点として長年培われてきた技術を更に磨き、「安全・安心・素性明らか+質の高さ」を全ての基礎に、生み出す商品・サービス・情報などを通して社会に貢献して参ります。

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