息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

すてきな詩にひたりませんか 16

2009年12月07日 23時53分02秒 | すてきな詩にひたりませんか
 死のなかに          
   黒田 三郎

死のなかにいると
僕等は数でしかなかった
臭いであり
場所ふさぎであった
死はどこにでもいた
死があちこちにいるなかで
僕等は水を飲み
カードをめくり
えりの汚れたシャツを着て
笑い声を立てたりしていた
死は異様なお客ではなく
仲のよい友人のように
無遠慮に食堂や寝室にやって来た
床には
ときに
食べ散らした魚の骨の散っていることがあった
月の夜に
あしびの花の匂いのすることもあった

戦争が終ったとき
パパイアの木の上には
白い小さい雲が浮いていた
戦いに負けた人間であるという点で
僕等はお互いを軽蔑しきっていた
それでも
戦いに負けた人間であるという点で
僕等はちょっぴりお互いを哀れんでいた
酔漢やペテン師
百姓や錠前屋
偽善者や銀行員
大食いや楽天家
いたわりあったり
いがみあったりして
僕等は故国へ送り返される運命をともにした
引揚船が着いたところで
僕等は
めいめい切り放された運命を
帽子のようにかるがると振って別れた
あいつはペテン師
あいつは百姓
あいつは銀行員

一年はどのようにたったであろうか
そして
二年
ひとりは
昔の仲間を欺いて金をもうけたあげく
酔っぱらって
運河に落ちて
死んだ
ひとりは
乏しいサラリーで妻子を養いながら
五年前の他愛もない傷がもとで
死にかかっている
ひとりは

その
ひとりである僕は
東京の町に生きていて
電車のつり皮にぶら下っている
すべてのつり皮に
僕の知らない男や女がぶら下っている
僕のお袋である元大佐夫人は
故郷で
栄養失調で死にかかっていて
死をなだめすかすためには
僕の二九二〇円では
どうにも足りぬのである
死 死 死
死は金のかかる出来事である
僕の知らない男や女がつり皮にぶら下っているなかで
僕もつり皮にぶら下り
魚の骨の散っている床や
あしびの花の匂いのする夜を思い出すのである
そして
さらに不機嫌になってつり皮にぶら下っているのを
だれも知りはしないのである

※8/6,9,15 12/8 3/10
せめてこの日くらいは平和について深く考える1日でありたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真珠湾攻撃 12月8日 | トップ | サルガドはアフリカをどう撮... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

すてきな詩にひたりませんか」カテゴリの最新記事