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重苦しい記事を前にして 中国の公開裁判、即死刑執行

2017年12月20日 09時22分25秒 | 奇妙な風景
「中国広東省陸豊市の運動場で16日、薬物の製造・販売などの罪に問われた被告12人に対する「公開」の判決公判があり、地元の裁判所は10人に死刑を言い渡した。運動場では少なくとも数百人の住民らが集まり、裁判を「傍聴」した。中国メディアが伝えた。
 同市は、覚醒剤の密造など薬物犯罪が深刻。報道によると、裁判所は12日、「住民は運動場で傍聴可能」と書かれた通知を出して判決公判を予告。被告はトラックの荷台に乗せられて入場し、ステージに立たされた。10人は判決後、刑場に移送されて、ただちに刑を執行された。
 中国の最高裁と最高検は通達で被告を街頭に引き回す「見せしめ」を禁止しているが、陸豊市では、裁判所以外での判決公判が2015年と今年6月にも実施されている。地元の司法当局には薬物犯罪に対して厳罰で臨む姿勢をアピールする狙いがあるとみられる。
 ネット上では、「人間の尊厳を踏みにじる」という否定的な声がある一方、「薬物犯罪への抑止効果がある」と評価する意見もでている。(広州=益満雄一郎)」


 人がなにかしらの行動をしたり、話したりするときには、いっとき「ためらい」が必要だと普段から思っている。

 瞬時でも、これからの自分の言動を確かめてみる。
 そんなことが大事だと、いつも自分の言い聞かせている。

 国家も同じことが言えはしまいか。
 この中国の事例は、そんなことを否応もなく思い出させるほど強烈だ。

 「薬物に走らせない効果がある」と肯定している方もいるだろうが、私には、この「ためらいのなさ」が怖い。
 
 新聞記事は、本当に「公平」である。両論併記なら「立場」を問われることがない。つまり「無責任」でいられるからだ。
 むろん、「どの記事を掲載するか」で、すでにひとつの「立場」が出来上がってはいるが。
 この記者も、これを肯定的に選んだのではないだろうと、同情的に読んでおこう。

 日本でも、再審請求中の二人が死刑の執行を受けた。
 「再審請求で延命している」といった見方も、ネットでちらほら見かけるが、それでも人への「審判」は、「ためらい」つつ最後の最後まで論議してほしい、検討してほしいと思う。
 
 そもそも人が人を裁くことなど、本来はできるはずがないからだ。
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