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議論させない職員会議

2019年08月31日 10時35分21秒 | 教育を考える
 誰も発言しない、というわけではないが、職員会議の議論が、著しく減ってきている。
 都では、職員会議は伝達会議であり、そこで話し合ったり、決めたりするものではない。単なる伝達の場なのだそうだ。

 昨日の職員会議も然り。
 会議室に、山ほどの提案文書が並んでいる。ざっと30枚はあろうか。
 学期に2回しか設定されていない会議だから、12月までの行事や、取り組みの提案がされるのである。
 それを、1枚ずつとり、席につく。
 会議はあらかじめ、時間設定がなされていて、「運動会関連は5分」「学芸会は3分」「個人面談関連は2分」・・・と、テレビ局の番組の
 進行の如く。
 最初は、校長からの経営方針改訂版の説明。もちろんプリントを参照させての説明だが、今見たばかりのプリント。コメントのしようがない。
 あげくのはては、「時間が足りないので、あとはみなさんでざっと読んでおいてください。」
 おいおい、この文書は、うちの学校の責任者が「こういう学校にしたい」という、1番「大事」な指針なのではないですか。
 ろくに読む暇もなしに、「ざっと」はないでしょう。
 一方的にまくしたてて終了。
 「働き方改革で、仕事量は変わらない、むしろ会議など、新しい名称のものが次々入れられているのに、6時には帰りましょうというのは、なにかおかしくありませんか」
 「PTAを下請けのように、行事などの手伝いをさせていることはおかしくないですか」
 「もっと職員室に来て、みなさんの声を聞いたいただきたい」
 「この文書、規律と服務が、ちょっと多すぎません?」

 ああ、こんな声は彼には届かないのだろうなあ。

 とにかく文書が多く、早口の担当者の説明。
 これでは、質問のしようがない。
 
 「あのー、運動会で、走る距離が短くなり、その分だけ同時になだれ込んでくる回数が多くなり、自信をもって審判ができるかどうか。
  なにかいい知恵はないでしょうか」
 「あ、それは話し合いだから、直接担当にあとで言ってください」

 職員全員が集まっている場である。これを越えた、話し合いの最良の場とはなんなのか。

 ほぼ全員が、配られた文書を理解していないだろう。ここでの提案までに、部会で話し合っているにせよ、途中の運営会議や提案調整会議、管理職の横やり、「天の一声」により変更したことも多い。しかも、十分な話し合いもなく。
 職員会議の文書も、あとからよく読んでみると、細かな間違い、矛盾が少なくない。
 
 しかし、論議はしない。決めない。
 あくまで、校長の承認を受けたものを確認するだけなのだ。

 言われた通り、だまって働け。
 そう言われつづれている、情けない教員が、子どもの前に立つのだ。
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