正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

パン購入額 初めてコメを上回るー日本人は輸入小麦を主食にしてよいのかよーく考えるべきだ

2012-06-03 | 食事教育
 

パン購入額 初めてコメを上回る

6月3日 11時2分
パン購入額 初めてコメを上回る
 
食生活の多様化でコメの消費量が減っていることなどを受けて、去年、1世帯当たりのパンを購入した金額が、コメを買った金額を初めて上回ったことが総務省の家計調査で分かりました

それによりますと、去年1年間に1人暮らしを除く世帯がコメを買うために支払った額は、1世帯当たり2万7780円と、前の年に比べて1217円減りました。
一方、パンを購入した額は66円増えて2万8368円となり、パンを買った金額がコメを買った額を上回りました。
家計調査の1世帯当たりのコメの購入額は、比較が可能な昭和38年以降、一貫してパンの購入額より多い状況が続いていましたが、このところ減少傾向が続き、去年、初めてパンの購入額に逆転されました
背景には、食生活の多様化などでコメの消費量が減っていることや、パンの原料となる小麦が世界的に値上がりしていることがあるとみられます。
また家庭でコメを炊かずに、コンビニエンスストアなどでおにぎりや弁当を買う機会が増えていることも要因の一つとみられます。


1.「食生活の多様化」と言うが、国の厚生省、農水省、文部省、料理研究家、栄養士、栄養学校、学校給食、NHK他マスメディア等々日本中が、日本の食事を、和食をけなすがごとく言動をし、欧米食を推進し、肉食、小麦粉食という欧米食を広めている、という日本古来の主食を、米食を廃棄するかのごとき行為を行っているのです。その原因は何か?その答えの一つが「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」に書いてあります。

食糧自給率を減少させる行為は日本の破壊を勧めるようなものです。

2.こういう日本のように自国の主食を大切にしない国はいずれ滅びるでしょう。

3.自国の食糧を大切にすることは国の防衛をすることと同じです。食糧は命を守るものです。例えば地球温暖化で世界的に食糧生産が不作になったとします。輸入に依存していると、どんなに金を積んでも日本に食糧を輸出してくれることは難しいのです。日本人はそのことを想像してお米を大切にしておく必要があるのです。

4.世界的に玉量はひっ迫すると、自動車やテレビやお金がいくらあっても食糧は買えないのです。自国で生産する食糧は少なくとも必要量の60%は確保しておかなければならないのです。そのことを世界の国々は知っていて食料自給率の向上を図っているのです。日本のように食料自給率が低い国は少ないのです。

5.コメの購入額をパンがうわまったというが、小麦粉製品は、ラーメン、うどん、ソーメン、焼きそば、パスタ、マカロニ等があります。これら小麦粉食品を合わせると、コメと小麦粉製品との差はもっと大きくなる、米等の食糧自給率は25%ぐらいと言うことですがそれも年々減少しているのです。

6.源平合戦の源氏の勝利は土地・食糧を大切にした源氏、経済、貨幣経済を重視した平氏、飢饉が起きたらいくら恩賞にお金を出しても部下は動かないいのですが土地・食糧は重宝されたのです。日本人はその歴史から食糧自給に大切さを学ぶべきです。…そんな資料はないかと探したら出てきました。

「2011年10月21日(金)山田 真哉

『経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書』

【最終章スタート】「平家はなぜ滅亡したのか?」犯人は源氏ではない・・・通貨王・平清盛、最後のミスに迫る!

人々を苦しめたものは、実は・・・」から抜粋

「 では、なぜ内乱がおきるほど、全国的に不平不満が溜まっていたのでしょうか?

 ---その原因は、2つ考えられます。

 ひとつは、全世界的な寒冷期の到来です。

 気候変動による寒冷化は、数百年ごとに繰り返し起きています。特に、1100年代から始まった寒冷期は、グリーンランドにいたバイキングが寒波で消滅したり、モンゴルで草原が育たなくなったためにチンギス=ハーンが南へ侵攻するなど、歴史にも大きな影響を与えています。

 日本では、平安時代中期頃までは全体的に暖かい気候で農作物もよくとれたのですが、平安時代後期からたびたび飢饉が起きます。芥川龍之介が『羅生門』で描いた世界もまさにこの時代です。研究によっては、1100年からの100年間で、日本の総人口が700万人から600万人に減少しています。

 飢饉が毎年起きるわけではないですが、収穫量が不安定だと当然、社会も不安定になります。争乱が起きやすいのも道理です。」

 

「そして、もうひとつ原因があります。

 

 それは---「宋銭の普及」です

 

 宋銭の普及により、多くの貴族や武士が困窮する事態になったのです。

 

語られなかった、宋銭の「罪」

 

 「今まであれほど、『宋銭の普及が国を発展させた』と言っていたのに、一体なぜ?」
と思うかもしれません。

 

 それは、とても簡単な理屈です。

 

 宋銭が普及するまで、絹・米は貨幣の代替物としての役目を果たしてきました。

 

 つまり、その当時の絹・米は、実際の商品価値にプラスして、"貨幣になる"という価値があったのです。

 

【平安時代の絹・米 = 商品価値 + "貨幣になる"価値】

 

 ところが、宋銭が通貨になると、もはや絹・米を貨幣代わりにして取引できなくなります。"貨幣になる"価値が失われたのです。

 

【宋銭普及後の絹・米 = 商品価値のみ】

 

 これは即ち、「絹・米の価値の下落」を意味しています。

 

 荘園から得られる絹・米が主な収入源だった貴族や寺社、そして各地の有力武士(在地領主)にとっては、収入が目減りしたも同然の非常事態です。

 

 かわりに荘園の農民から直接銭を徴収できればいいのでしょうが、それは困難なことでした。

 

 導入とともに日本中に普及した宋銭も、平安末期の段階では京や日本各地の商業圏を中心とした普及で、農村部まであまねく流通するには、もう少し時間がかかりました。

 

 そのため、まだこの頃は、京に近い荘園の農民ならともかく、それ以外の農民たちには、簡単に絹・米を銭に変えられる手段が無かったのです。(*5)」

日本版「重農主義VS重商主義」

 このデフレ状況下で苦境に陥った貴族たちの中から、"物価安"に反対し絹・米を中心とした経済社会を守ろうとする「重農主義」の一派が現れます。(*7)

 すると、これに対し"通貨高"を肯定し銭を中心とした経済社会の確立を目指す「重商主義」の一派もあらわれ、対立がおきたと言われています。

重農主義・・・農業だけが富の唯一の源泉である、という思想
重商主義・・・貿易によって富を増大させる、という思想

 重農主義のメンバーは、貴族や寺社、各地の有力武士(在地領主)です。一方、重商主義のほうは貿易を推進する平家や水軍、商人たちです。」

「のちに鎌倉幕府を開くことになる源頼朝も重農主義派でした。

 重農主義の基本である"土地の所有権安堵"を基本に、御家人(将軍の家来)を束ねていきます。

 所領を命がけで守るという意味の「一所懸命」という言葉は、重農主義だからこそ生まれたフレーズだったのです。」

1.天候異変、飢饉発生・・・・金より食糧。食糧自給率を少なくとも60%くらいに高めないと、命を失うことになるのです。
2.輸入食料が安いからと言って安易にコメを疎外してはいけないのです。重農主義、重米主義もある程度必要なのです。

このブログ「正しい食事を考える会」はもっともっと頑張らなければならないことを痛感しました。


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