私の時代、通ってた専門学校にも全国から学生が集まり
親元を離れた生活は新聞配達をしながら学ぶ学友も多かった。
朝の3時頃から仕事をしてるので授業中は眠くなるらしく
指で突いて起こしてあげたものです。
新聞奨学金制度を利用してたのです。
新聞の購読者が減ったとはいえここ江戸川区も人口70万人もいるので
働き手は常に不足してます。
それなのに地元で読売新聞を配達するのはミャンマー人ばかりです。
看護学校の多くも卒業後は提携する病院で数年間勤務する御礼奉公の慣習が残っている。
現代っ子はそういう苦労を避ける傾向にあるみたい。
借りた奨学金を働きながら返済するのは当たり前なのに
同情的な声が多いのも不思議です。
家庭が経済的に余裕がないからと進学を諦めたら人生は前に進まなくなるのですか?
高校の授業料無償化や小中学校の給食費免除で良識ある日本人が増えるのかは疑問です。
そういう主張をするのは野党と公明党議員に多い。
東京の港区立中学校の修学旅行は行き先がシンガポールだそうです。
高価な制服も批判されていたがある記事を読むと
港区在住の住民の年収は足立区住民の4倍とのこと。
同じ物差しで測ってはいけないという良い例です。
港区の家賃を調べれば納得できるでしょう。
極端な例を比較し「格差は広がる一方だ!」とまとめる記事も増えている。
取材もせず、調べもせず書いているのが原因でしょうね。
地方紙の一面の記事は共同通信社から配信されたものをそのまま掲載することが多く
間違った内容でも全国の新聞記者が共有する恐ろしい時代です。
仙台に本社がある新聞社「河北新報社」は被災地から発信すると言いながらも
隣の福島県に取材へも行かず配信記事を掲載するから福島は誤解を招く結果に。