(「南田是也」さんの投稿です)
戦争放棄、日本国憲法が初めてではない?
ウクライナの戦火がやまない中で、2度目の憲法記念日を迎えようとしています。
日本国憲法は平和憲法として知られています。憲法に戦争放棄を規定した初めての憲法だ、と言われることもあります。また、戦争放棄はマッカーサーに強要されたものだ、と言う人もいます。しかし、これらはいずれも間違いです。 なぜならば、戦争放棄を憲法に掲げる例は、古くはフランス革命に遡るだけでなく、大日本帝国も明治憲法の下でちゃんと戦争を放棄していたからです。
フランス革命による1791年憲法の「侵略戦争放棄」
まず初めに、憲法で戦争放棄を規定した例を見ていきましょう。
憲法の歴史において戦争放棄が最初に規定されたのは、フランス革命による1791年憲法だとされています。その第3章第1節第2条は以下の内容です。
立法府が戦争がおこなわれるべきでないと決定すれば、国王は即座に、すべての敵対行為を中止させ又は避けさせるための処置をとる。遅延の責任は、大臣にある。
始められた敵対行為が大臣または執行府のだれか他の官吏の責に帰すべき 侵略であることを発見すれば、侵略の首謀者は犯罪として訴追される。
Si le Corps législatif décide que la guerre ne doive pas être faite, le roi prendra sur-le-champ des mesures pour faire cesser ou prévenir toutes hostilités, les ministres demeurant responsables des délais. - Si le Corps législatif trouve que les hostilités commencées soient une agression coupable de la part des ministres ou de quelque autre agent du Pouvoir exécutif, l'auteur de l'agression sera poursuivi criminellement.
「侵略の首謀者は犯罪として訴追される。」とあるように、自分から侵略戦争に打って出ることを放棄したものであり、フランスに侵略してきた敵と戦う(自衛戦争)のはこの限りではないとされたものでした。 なお、フランスではこの後も、二月革命憲法(1848)の前文や第四共和政憲法(1946)の前文に侵略戦争放棄が謳われています。
このように憲法で侵略戦争放棄を規定した例として、他にブラジル憲法(1891、1924)、スペイン憲法(1931)、フィリピン憲法(1935)が挙げられます。
国連憲章の「戦争放棄」
第二次世界大戦後は、まず国連憲章(1945)が「いかなる紛争でもその継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞(おそれ)のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない。 」(第33条)と規定しました。
Article 33 1. The parties to any dispute, the continuance of which is likely to endanger the maintenance of international peace and security, shall, first of all, seek a solution by negotiation, enquiry, mediation, conciliation, arbitration, judicial settlement, resort to regional agencies or arrangements, or other peaceful means of their own choice.
その翌年、日本国憲法誕生。その後も世界中の憲法に「侵略戦争放棄」条項
そして、その翌年、わが日本国憲法(1946)が生れます。
またこの1946年には、王政が倒れたイタリアの共和国憲法も「イタリアは、他人民の自由に対する攻撃の手段としての戦争及び国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する(第11条)と規定しました。西ドイツのボン基本法(1949)は「諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。これらの行為は処罰される。」(第26条第1項)と規定しました。
最近の例としては、大韓民国憲法(1987)は「大韓民国は国際平和の維持に努力し侵略的戦争を否認する。」(第5条第1項)と規定しています。その他、バーレーン、アゼルバイジャン、エクアドル、ハンガリーなどの憲法にも侵略戦争放棄の規定が見られるそうです。
このように、侵略戦争を放棄した憲法は数多く見られます。日本国憲法は世界に類例がない平和憲法だ、と言う人たちは、第9条第1項は侵略戦争だけでなく自衛戦争までも放棄したのだ、そんな憲法は日本国憲法のみなのだ、という前提で主張をされているわけです(第9条第1項が放棄したのは侵略戦争だけなのか、自衛戦争も含むのか、という問題は後ほど取り上げます)。
日本国憲法を平和憲法たらしめているのは、9条2項の「戦力不保持」。他にも「軍隊を持たない国」がいくつもある
日本国憲法を平和憲法たらしめているのは、むしろ戦力の不保持(第9条第2項)でしょう。これは当時、画期的な規定でしたが、その後の冷戦体制の中で自衛隊が生れ、今日に至っていることは言うまでもありません。
日本国憲法から3年後には、コスタリカ憲法(1949)が、「常設的機関としての軍隊は禁止する」(第12条)と規定しました。しかし、コスタリカ憲法は自衛のための戦争は認めており、その場合、国家防衛のために軍隊を再編することはできるとしています。
なお、現在軍隊を持っていない国としては、他にアイスランド、モナコ、バチカン、サモアなどがあるそうです。
パラオ共和国は1980年7月、憲法にいわゆる「非核条項」を定めました。「戦争での使用を目的とした核兵器、化学兵器、生物兵器、さらに原子力発電所、およびそこから生じる廃棄物などの有害物質は、パラオの司法権が行使される領域内で使用、実験、貯蔵、処分してはならない。」(第13条第6項)というものですが、国民投票の4分の3以上によって明白な承認が得られた場合は例外を認める、とされています。
実は明治憲法下でも「不戦条約」を結んでいた日本
ところで、このように日本が憲法に戦争放棄を規定したのは第二次世界大戦後のことですが、明治憲法の下においても日本は戦争を放棄していました。それは、昭和4年(1929)に発効した「不戦条約」です。日本は原締約国(他に米・仏・伊・独・チェコスロヴァキア・ポーランド・アイルランド・ベルギー・英・豪・加・印・ニュージーランド・南ア)として署名していました。「戦争放棄はマッカーサーに強要されたものだ」と主張する人たちは、なぜかこの事実に目をつぶっています。
パリ不戦条約、日本も参加
昭和2年(1927)4月、フランスのブリアン外相はアメリカの第一次大戦参戦から10周年になる記念日に寄せて、アメリカに一つのメッセージを発します。そこには、歴史上かつてない惨禍を残した第一次世界大戦のような戦争を二度と起こさないため、戦争を放棄する条約を締結しようではないか、というアイディアが掲げられていました。
既に大正14年(1925)にはロカルノ条約と呼ばれる、英・仏・独・伊・ベルギーの5ヶ国による集団安全保障体制が結ばれていました。ブリアンはここへ、第一次大戦後の新興パワーであるアメリカを組み込もうと考えたのです。これに応じたアメリカのケロッグ国務長官は、米仏の二国間条約ではなく、多数の国に参加させようと提案します。とりわけ、同じく第一次大戦に勝ち、国際社会の一角を占めるようになった新興国・日本の参加が求められることになりました。申し入れを受けた日本政府(田中義一内閣)は、6月には条約締結を内諾します。
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この不戦条約の条文は次のようなものです。
第1条 締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを、その各々の人民の名において厳粛に宣言する。
第2条 締約国は、相互間に発生する紛争又は衝突の処理又は解決を、その性質または原因の如何を問わず、平和的手段以外で求めないことを約束する。
交渉の中でアメリカは、戦争を放棄すると言っても、ならず者に攻撃された場合の自衛戦争は含まれないよね、という念押しをします。個人であれば正当防衛に当るそのような場合まで禁止の対象とはしない。すなわち「国家政策の手段として戦争」とはいわゆる侵略戦争のことだ、ということで了解されました。
続いてイギリスは、自衛というのはイギリス領土に対する侵略に対してばかりでなく、国外であってもイギリスの利益が危機にさらされた場合(例えばインド植民地への攻撃)も含まれるべきだ、という主張をします。これも認められました。
こうして条約が各国代表によって署名され、各国の批准を待つばかりとなります。
「人民の名において」という、どうでもいい箇所をめぐって反対論も起きたが、日本も条約批准
日本では批准に当って、「人民の名において厳粛に宣言」というのは天皇主権に抵触するのではないか、という、どうでもいいような箇所をめぐって反対論が起きます。ちょうど、後の「統帥権干犯」騒動(昭和5年のロンドン海軍軍縮条約)のようなことが起きかけたのですが、フランスやアメリカから「人民の名において」に君主制を否定するような意味はないとの回答を得て、批准に至ります。
こうして各国の批准が出そろい、昭和4年(1929)にこの条約は発効したのでした。また、最初15ヶ国で締結されたこの条約に、後から加入した国は48ヶ国に及びました。
不戦条約調印式 (ニュース映画 サイレント)
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しかし「侵略」の定義がなされず、条約締結国以外は対象外とされる、などの不備があり、結局第二次世界大戦を防止することはできなかった
この条約は、それまで国家どうしの「決闘」として肯定されてきた戦争というものに、違法なものとして縛りをかけようとした「戦争の違法化」の第一歩となりました。そして、一国の憲法(国内法)ではなく、多国間条約で戦争を放棄しようとする画期的なものでしたが、侵略戦争を放棄したと言いながら、「侵略」とは何かという定義を欠いていました。何が「侵略」かは、各締約国がそれぞれ解釈することとなります。また、違反が発生した場合の制裁規定もありません。さらにこの条約は、締約国相互の戦争を規制するものであって、非締約国との戦争は対象外となっていました。このような弱点から、残念ながらその後の第二次世界大戦を防止することはできませんでした。
満州事変で日本は国際連盟脱退
日本は発効から2年後に、満州事変(1931)を起します。この時、日本はかつてイギリスが主張したことを援用し、満州の権益が危機に瀕しているのだから、日本の行動は自衛なのだ、という主張をします。そして、国際連盟が自衛とは認めないと決議すると日本は、席を蹴って国際連盟を脱退してしまいました。
実は、これで日本はフリーハンドになったわけではありませんでした。国際連盟規約には「連盟加盟国と非加盟国の間の紛争」に関する規定がありました。加盟国(中華民国)と非加盟国(日本)の間の武力紛争ということで、連盟は何度も調停を試みるのですが、勢い付いた日本を交渉のテーブルに着かせることはできませんでした。
宣戦布告なき1937年の日中戦争(日華事変)
次の問題は、昭和12年(1937)の日中戦争(宣戦布告がないため、当時の日本では「日華事変」と呼ばれていました)です。満州事変が予め石原莞爾の立てた作戦によって手際よく進められたのと対照的に、盧溝橋事件で火が点いた日華事変において、日本は後手、後手に回りました。一時は上海で負けそうになります。このような中で、日本側は「これは自衛だ」と判断したこと、また日本も中国も宣戦布告をせず、国際法上の戦争を成立させなかったことなどから、日本政府は不戦条約との関係は心配しなかったようです。
太平洋戦争敗戦。「不戦条約結んでいたのに侵略戦争を行った」ことが「平和に対する罪」とされた
三番目の問題は、マレー上陸、真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争です。日本の先制攻撃による侵略だと主張する米・英に対して、日本は米・英の経済制裁に対し「自存自衛を賭けた戦争」だと主張したことはよく知られています。
こうして、せっかく「国家政策の手段として戦争」を放棄していた日本は、侵略戦争を行った、として極東国際軍事裁判で裁かれることとなります。そこでよく、「平和に対する罪」というものを後からでっち上げて、それで東條被告らを裁いたのだ、という批判があがるのですが、それに対する反論として、「平和に対する罪」の根拠こそ不戦条約だ、不戦条約の締約国だったのに侵略戦争を行ったことが「平和に対する罪」なのだ、という主張がなされます。
憲法第9条と不戦条約第1条を比べてみると…
この戦犯裁判の一方で、日本国憲法が生れます。お馴染みの第9条と不戦条約第1条を並べてみましょう。
憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。
パリ不戦条約第1条
締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを、その各々の人民の名において厳粛に宣言する。
ここで、憲法第9条が「国権の発動たる戦争」を「国際紛争を解決する手段としては」放棄したことと、不戦条約が国際紛争解決のために「国家政策の手段としての戦争」を放棄したことは同じなのか、違うのか 、という論争があります。
違うと主張する方は、憲法第9条は自衛戦争まで放棄したのだ、侵略戦争の放棄にとどまった不戦条約とは次元が違うのだ、と主張します。そして、自衛戦争まで放棄した憲法は日本国憲法が世界で初めてなのだ、と主張します。
しかし、不戦条約とは違う範囲の戦争放棄をしたのだとすれば、なぜ端的に「自衛戦争も放棄する」と書かず、不戦条約と同じような文言を使ったのか。「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。」と言えばいいところ、なぜわざわざ「国際紛争を解決する手段としては」の一句を入れたのか。いまひとつ釈然としません。不戦条約が「国際紛争解決のための戦争」と呼んだ先例を踏襲するような言葉づかいにしたのはなぜなのでしょう。
そこで、第9条第1項は不戦条約と同じことを、国内法として規定し直したのだ、という解釈が生れます。日本国が放棄したのは侵略戦争だ、ということになります。そう読んだ上で多くの説は、第2項の戦力不保持には、侵略戦争用の戦力、自衛戦争用の戦力という区別がない。つまり、自衛戦争は放棄していないが、第2項で戦力をすべて不保持とした結果、自衛戦争も遂行できなくなっているのだ、と解釈しています。
(ただし、この部分、9条1項で自衛戦争も放棄している、国際紛争を解決する手段云々は、単なる修飾語だ、と解釈する方も多いようです。)
なお、憲法の原案では第2項に「前項の目的を達するため」という言葉はありませんでした。そこで憲法改正小委員会での審議において、芦田均委員長が「前項の目的を達するため」と追加したのでした。実は芦田という人は外交官で、第1項の趣旨は不戦条約と同じであることに気付いていました。そこで「前項の目的を達するため」を入れることによって、第2項の戦力不保持も、「前項の目的、すなわち侵略戦争放棄を実現するため、その限りで陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。つまり、自衛戦争を行う程度の戦力は、これを保持することができる」と解釈できるかも知れない、と考えたのでした。これを世に、芦田修正と言います。 外交交渉で場数を踏んだプロの外交官らしいポーカーフェイスだったのですが、後に、こういう趣旨で「前項の目的を達するため」を入れたのだと自ら暴露してしまいます。そこで、芦田が唱えたように解釈することは、政府も「禁じ手」にして今日に至っているのです。
こんな経過から、日本が戦前、すでに侵略戦争は放棄していたのだ、ということ自体、人々の記憶からは消えてしまいました。しかし、不戦条約は廃棄されてはいませんから、現在でも有効な条約です。 実際、イギリスでは司法長官の議会答弁で「この条約は現在も有効でありイギリスは加盟している」と述べられているそうです(英国議会、2013年12月16日)。
日本国憲法の下で、まるで「昼間の月」のように不戦条約の存在を意識することはなくなっていますが、仮に憲法第9条を廃止してみたとしても、それで大手を振って侵略戦争が出来るようになるわけではなく、そんなことをすれば不戦条約違反が問われることになるのです。
このように、戦争放棄というものはGHQの密室の中で突然出来上がったものではなく、フランス革命に源流を発し、第一次・第二次世界大戦の惨禍を経て生まれた叡智である ことを、改めて考えてみる必要があるでしょう。
憲法の条文は「お守り」「呪文」ではありません。憲法第9条があるから日本が戦争に巻き込まれることはないと思っている人は、不戦条約があるのに大戦争を防止できなかった過去の歴史を思い出してみるべきだ、ということになるでしょう。
プーチンが、これは戦争ではなく「特殊軍事作戦」だと言い張っているのも国連憲章に抵触しないようにしているのでしょうが、戦争ではなく「事変」だと言って戦線を拡大していった往時の日本の姿が、何やらダブって見えてきますね。
(編集部より)
「目からウロコ」のこの投稿、異論もあると思います。
しかし、パリ不戦条約も日本国憲法9条も戦争を否定しているはずなのに、各国が「自衛のための戦争」と戦争を正当化し、自分に都合の良い情報だけをプロパガンダで国内に広め、「金持ちの強欲のために庶民、貧乏人が殺し合いをさせられる」戦争に駆り出してきた 、という事実だけは間違いないようです。
そして、世界は三たび、世界戦争への道を突進しているようです。
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