住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

Narashino Geography 128   「ヒューマン・シティ」を考える。

2023-05-04 23:23:43 | 地理学

「ヒューマン・シティ」を考える。

 

 「フェミニスト・シティ」という本。男性中心の都市計画から女性が排除されている⇒だから女性目線で見ると「街」の見え方が全然違ってくる、という刺激的な内容

3月に行われた日本地理学会で、カナダのフェミニスト地理学・都市地理学の研究者であるレスリー・カーンの「フェミニスト・シティ」(東辻賢治郎訳・2021年・晶文社)というエッセイを紹介されて半分ほど読みました。

都市を「女性視点」で捉え直す:フェミニスト・シティとは何か? 【NGG Research #9】|黒鳥社|blkswn publishers Inc.|note

なぜ「公正な都市」を考えなければいけないか?——『フェミニスト・シティ』他

この「フェミニスト・シティ」という本、このブログでもご紹介しました。

Narashino Geography 124 「地理学」のトレンド - 住みたい習志野

学術書ではなく、翻訳もこなれているので読みやすいのですが、なかなか刺激的な内容です。男性中心社会の権力は都市計画においてもホモソ※(ホモソーシャル:男性だけの強い結びつき)な思想によって街づくりを進めてきたという指摘から、女性にとっては「街」の見え方がまったく違う、と空間論、場所論の切り口からさまざまなアイデアを示しています。

※「ホモソ」については、
NarashinoGeography113 話題の「少子化」だが - 住みたい習志野
の中で、こんなふうに書きました。
(注)ホモソーシャル(英: homosocial)とは、女性及び同性愛(ホモセクシュアル)を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学の用語。 イヴ・セジウィックによる「男性のホモソーシャル(同性間の結びつき)への欲望」という議論によって普及した。
 「女性をモノにし、支配する」ことと「女のような男(同性愛)ではない」ことを証明することで男は「男になる」「男社会に男として認められる(ホモソーシャル)」という前時代的あり方
(上野千鶴子氏は「女ぎらい」という本の中でこんな説明をしています。)
イヴ・セジウィックは女性嫌悪(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)とを、男同士の連帯(ホモソーシャリティ)を成り立たせるわかちがたい一組の契機とした。ホモソーシャルな集団の一員になる、すなわち自分が男であると他の男たちに認めてもらうためには、自分が「女ではない」ことを証明しなければならない。

男性中心で考えられた通勤システムでは、女性の通勤行動(ベビーカーをバスや電車に載せる、子どもを保育所に預ける)は考慮されていない

例えば女性の通勤、特に子どもを連れての通勤は、通勤システムでは考慮されていません。同じ時間帯にいっせいに同一方向に移動すること自体が女性を排除しているといえます。最近もベビーカーをバスに乗せることの是非が話題になりました。混んでいるバスや電車にベビーカーを乗せて、子どもを連れて通勤することがそもそも想定されていないということです。子どもを保育所に預けて職場に向かい、帰りがけには買い物をしながら保育所に子どもを迎えに行くという複雑な通勤行動は、一般的な男性の通勤行動とは大きく違います。「主夫(?)」だったボクも職場で「今日一杯やっていかない」と誘われても、「保育所のお迎えと夕飯の支度があるので、急には無理、数日前に予約して」と何度も断りました。

社会に蔓延する「男性中心主義」を支え、女性に立ちふさがるのは「オールド・ボーイズ・ネットワーク(OBN)」の壁

都市計画や街づくりのマスタープランを作っているのは男性中心の権力です。先日の統一地方選挙では女性議員の増加が話題となりましたが、世の中の半分は女性なのですから、まだまだスタートラインの手前と言えるでしょう。女性議員の増加についていろいろな分析や意見が発信されています。ボクは女性が女性議員候補に投票することへの抵抗感が薄れてきたと言えると思います。社会に蔓延する「男性中心主義」を支え、女性に立ちふさがるのは「オールド・ボーイズ・ネットワーク(OBN)」と呼ばれる大きな壁です。性別役割分業の意識は男性だけが強く持っているわけではありません。社会や都市のシステムに埋め込まれた強固な思想性といえます。女性の中にも「性別役割分業」に安住したいという意識があります。特に日本のような同調圧力の強い社会では目立たぬように、みんなと一緒の「フツー」が、良いように思う人も多数です。よく言われるように「女性が女性のみかたとは限らない」ということです。多くの研究で企業で女性の意志を経営に取り入れると業績が伸びると言われています。実生活では女性の決定権が大きく、家庭内ではさらに大きいと言えるでしょう。世の中は「オールド・ボーイズ」が考えるほど男性中心ではないということです。つまり、社会システムがリアルな社会とはマッチしていない現状があります。

一人ひとりが尊重される「ヒューマン・シティ」へ。賢くプロデュースして住みよい社会を

真の「ダイバーシティ(多様性)」は一人ひとりが尊重される社会となるはずです。ボクは「ヒューマン・シティ」という名前をつけました。

53日」、テレビでは延々と渋滞情報を流しています。ボクが子どものころ(60年前)、遠くに出かけるには高速道路もなく、航空機や新幹線もなく、各駅に停車する列車で長い時間をかけるしかありませんでした。混雑は乗車する列車を待つ駅のホームから始まったものでした。ホームで数時間待つのは当たり前で、年末などには乗車する時間より長くホームで待つことが当たり前でした。ボクは混んでいるのがわかっていてお出かけする人たちを「渋滞マニア」と呼んでいます。特に高速道路で渋滞に巻き込まれるのがわかっていてお出かけすることが理解できません。鉄道なら、車内が混雑していても、決まった時間で着くからです。渋滞に突入する人たちは、渋滞が好きだとしか思えないのです。日々の暮らしを賢くプロデュースすることをもっと考えることが住みよい社会を構築することにつながると考えています。(近)

(編集部より)
「フェミニスト・シティ」という本の中でLGBTQに関して
トランスジェンダー(出生時にわりあてられた性別と性自認が異なる人びと)
シスジェンダー(出生時にわりあてられた性別と性自認が一致する人びと)
という語句の説明がされていました。

男(あるいは女)としてうまれてきて、「たまたま」自分を男(あるいは女)だと思っている人がシスジェンダー
男(あるいは女)としてうまれてきたけど、「たまたま」自分を女(あるいは男)だと思っている人がトランスジェンダー
それだけの違い、ということですね。

その他にも「レイプカルチャー(性犯罪の加害者でなく、被害者の「落ち度」が指摘される風潮)」という言葉や

フェミニスト建築家ドロレス・ハイデンの「超高層オフィスビルは、棒、オベリスク、尖塔、柱、時計塔といった歴史上の男根的モニュメントの系譜」という意見を紹介する、など、興味深い内容も書かれていて、教えられることが多いです。

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾藤イサオ、79歳のロックンローラー。若いころは曲芸師だった

2023-05-04 00:44:01 | エンタメ

(週刊女性の記事より)

尾藤イサオ、プレスリーに憧れた少年が“和製エルヴィス”へ!転がり続けて60年、未だ見えないゴールを目指す79歳のロックンローラー

尾藤イサオ、プレスリーに憧れた少年が“和製エルヴィス”へ!転がり続けて60年、未だ見えないゴールを目指す79歳のロックンローラー | 週刊女性PRIME

尾藤イサオ、プレスリーに憧れた少年が“和製エルヴィス”へ!転がり続けて60年、未だ見えないゴールを目指す79歳のロックンローラー | 週刊女性PRIME

迫力のボーカルと、舞台を縦横無尽に走り回るその姿はまさに“和製エルヴィス”。時にはパワフル、時にはおちゃめに観客を魅了する彼のステージングへの思いとは?両親との死...

週刊女性PRIME

 

実話をもとにつくられた映画『BACKBEAT』で

《ビートルズは5人だった》

 実話をもとにつくられた映画『BACKBEAT』が日本で舞台化されたのは'19年。スチュアート・サトクリフ役の戸塚祥太(A.B.C–Z)、ジョン・レノン役の加藤和樹らとともに、尾藤はクラブ経営者のブルーノ・コシュミダー役に起用された。

曲芸師の修業中に見つけた夢とは

 もしもプレスリーの歌に出合っていなかったら?「いまも曲芸師をやっていたかもしれないね」と尾藤は言う。

 '43年、台東区御徒町で尾藤は生まれた。7人家族。父は百面相の芸人、母も義太夫の下座で三味線を弾いていた。ひと回り年上の姉と、3人の兄。功男は末っ子。

 3歳のときに他界した父の記憶はない。父亡き後、芸人になった長男と母が舞台で稼いだ。が、その母も功男が小学4年のときに病に倒れた。

 戦後の貧しい時代。両親を失った生活は苦しかった。小5のとき、家賃の安い家を探して一家は荒川区日暮里へ引っ越し。さらに、父の友人だった芸人に三男を弟子入りさせる話が持ち込まれた。

「口減らしですよ。そのときにね、“たーちゃん(三男)がイヤだって言うからオレが行く”って、僕が自分から手を挙げたんです」

立て物というバランス芸、五階茶碗を練習する尾藤少年。初期に覚える基本的な技だという
立て物というバランス芸、五階茶碗を練習する尾藤少年。初期に覚える基本的な技だという

 小6になってすぐに弟子入り。5年奉公プラス1年の御礼奉公が弟子のしきたり。師匠の鏡味小鉄は神事芸能の太神楽の曲芸師。傘、鞠、撥、茶碗、皿、ナイフなどの道具を、立てたり、回したり、積んだり、投げたり……。自在に操れるようになるには人一倍努力しなさいと師匠に教わる。3か月後─。

「今日から鏡味鉄太郎だよ」

 高座名をもらい、師匠の後見人(補佐役)として紋付き袴姿で初舞台に上がった。

「師匠は“土瓶の小鉄”と呼ばれていて、口にくわえた撥や匕首の上に土瓶を乗せる芸が十八番。“すげぇな、このオジサン”って見とれて。最後に師匠と向かい合って皿を投げ合うジャグリングをやったら、僕は落としてばかり。でも、子どもがドジをやる姿がおもしろいと、お客さんは大喜びだった」

 曲芸の仕事先はもっぱら在日米軍の施設。バスやトラックに乗せられて全国各地の米軍キャンプにも行った。

「基地の中は別世界でした。クルマは右側を走っているし、チューインガムやらチョコレートやらくれるし。ガムなんか一度口に入れたら、寝るときだけ出して、一週間は噛んでいました(笑)」

 アメリカ文化の洗礼。その先に、人生を変える“衝撃”との出合いが待っていた。

プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』と出会って

「13歳くらいだったかな。おつかいに行った帰りに、お蕎麦屋さんの奥にあるラジオから聞こえてくる歌に足が止まった。それがプレスリーの『ハートブレイク・ホテル』だったんですよ」

 曲が終わるまで蕎麦屋の店先で聞き入った。わずか2分あまりの時間が曲芸師の鉄太郎に“夢”を与えてくれた。

「お囃子ではなく、プレスリーの『のっぽのサリー』や『監獄ロック』のレコードを流して曲芸をやったんです。

(のっぽのサリー)

(監獄ロック)

上下ストライプの衣装を自分でつくって、“ロカビリー曲芸”と題を付けましてね」

 これが米軍施設で大ウケ。客が喜ぶ芸を、師匠も自由にやらせてくれた。そして'60年、アメリカ本土を巡業する『ジャパニーズ・スペクタクラー』という演芸一座が組まれ、鏡味小鉄社中も加わる。約1年に及ぶ北米滞在中に、鉄太郎の夢は膨らんだ。

「マイアミのホテルで見たサミー・デイヴィスJr.のショーに圧倒されたんです。歌や楽器だけでなく、モノマネ、タップダンス、ジャグリングまでやっちゃう。お客さんを飽きさせないプロ意識に影響を受けたんですよ」

 歌って踊れるエンターテイナーになりたい─。演芸一座のダンサーからタップを教わり、練習に明け暮れた。1年が過ぎ、帰国。そして、鉄太郎になって6年が過ぎ、師匠に年季明けのあいさつ。

「お世話になりました、今日でやめさせていただきます」

「おまえも晴れて一人前だ」

「いえ、曲芸をやめます」

「そりゃどういう意味だい」

「僕、プレスリーみたいになりたいんです」

「本物の不良になるのか!?」

 曲芸師をやめることは「破門」を意味した。大卒初任給が約8000円だった当時、曲芸師のギャラは1ステージ800円前後。1日に2、3ステージの掛け持ちもできた。身につけた技芸で大金は稼げる。その道を捨てて尾藤は鉄太郎から功男に戻った。

 5か月後にはアニマルズの曲をカバーした『悲しき願い』が爆発的ヒットとなった。

(悲しき願い)

「実は、ある女性に恋をして、フラれたばかりだったんです。もう一週間もごはんがノドを通らなくて……、パンにしましたけれども(笑)。“誰のせいでもありゃしない、みんな俺らが悪いのか”という歌詞は、そのときの自分の悲しい気持ちそのままだった」

 翌'65年発売の『涙のギター』もヒット。

(涙のギター)

売れっ子になったことで、ビートルズの前座の仕事も舞い込む。 

 さらに、ロックのジャンルを超えてアニメソングの仕事も。それが『あしたのジョー』の主題歌。かつて台東区と荒川区の境に実在した泪橋が出てくる作中世界は、尾藤の生い立ちにもダブっていた。

(あしたのジョー)

「僕も少年マガジンの連載を毎週楽しみに読んでいましたから、うれしかったですね。作曲した八木正生先生の事務所へ行って、“サンド~バッグに~”って初めて歌ったら、同席していたレコード会社の人たちがホメている声が聞こえてきて、すっかり気持ちよくなっていたら頭から歌詞が飛んじゃったんです。で、“ルルルー”って歌ったら、八木先生が“そこ、ハミングにしましょう”と」

満身創痍でも、現役であり続けるために

「なんか暗いなと感じるようになってきて、あるとき娘の顔を見たら歪んで見えたんですよね」

 検査を受けると、まだ加齢黄斑変性という病名が一般的ではなく、中心性網膜症と診断された。しかも、両目に発症するのは非常に稀なケース。そして「治療法はありません」と眼科医から告げられた。年を重ねるほどに視野の中心に何も映らなくなっていく。

転がり続けることにこそ意味がある

 2月17日。台東区の浅草公会堂で開催した『夢コンサート』のステージ。マイクの前に立った尾藤は、ジョン・レノンのようにいきなり歌い出したりはしない。

「早いもので、僕も歌い始めて今年で60年になります。昔はプレスリーに憧れて、夢中でロカビリーをやりました。いまでは夢中でリハビリをやっております」

 尾藤のあいさつに爆笑が起こる。

 その尾藤にも、答えられない問いがある。自分にとってロックンロールとは何か?

「歌っていてわかるのは“終わりはない”ということですかね。僕みたいな小さな石ころでも、転がり続けることに意味があるというのかな。

 聴いてくれるお客さんが違えば、歌も毎回違ってきます。“これがロックだ”と満足することは絶対にない、常に何か新しいものを追い求めなきゃならないんですよ。今度の『BACKBEAT』でも、100歳になってステージに上がったときでも、“尾藤イサオの『ハウンド・ドッグ』はカッコいい”と、みなさんに思っていただけるようにね─」

みみきど@🌾🤓🦋 on TikTok

(編集部より)

とにかくこの人、カッコイイですね。

ビートルズ日本公演の前座で歌った尾藤イサオさん

若き日の内田裕也さんと尾藤イサオさん

 

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする