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ヒット曲「島唄」「ハイサイおじさん」に込められた沖縄の悲しみ

2022-03-21 08:46:43 | オスプレイ、安保、平和

ヒット曲「島唄」にこめられた沖縄の悲しい歴史

「島唄」というのは、もともと沖縄民謡全体を表す言葉でしたが、今ではこのヒット曲のタイトルで本土の人(ヤマトンチュ)にも有名ですね。この歌にこめられた沖縄の悲しい歴史について、こんな記事があります。

(東京新聞の記事から抜粋)

<ウージの下で さよなら>琉球音階では歌えぬ 沖縄の無念に寄り添ったヤマトンチュの「島唄」:東京新聞 TOKYO Web

 ザ・ブームのヒット曲「島唄」は、ドレミのレとラのない琉球音階でほぼ構成されている。「ほぼ」と書いたのは例外のフレーズがあるためだ。...

東京新聞 TOKYO Web

 

◆表面上はラブソング

宮沢さんは「島唄」の完成後も、「ヤマトンチュ(本土の人間)の自分が沖縄の歌を歌って良いのか悩んだ」という。そんな時、会う機会ができたのが喜納昌吉さん(73)だ。「花」「ハイサイおじさん」などで沖縄の心を歌い続ける喜納さんに「島唄」について話すとこんな言葉を贈られた。「魂まで自分のものにして歌に込めているなら、もうコピーじゃない」

 「島唄」の歌詞はダブルミーニングという手法をとっている。表面上は、沖縄の情景と男女の別れを描いたラブソングだが、すべての歌詞にもう一つの意味が込められている。「風を呼び 嵐が来た」の風や嵐は「米軍」。そして「ウージの森で…」は集団自決を描き、「このまま永遠とわに夕凪ゆうなぎを」では、永遠の平和を願っている。

 「より多くの人に聞いてもらい、歌ってももらえるようにダブルミーニングにしました。長く歌われるうちにもう一つの意味も分かってくれればいいと思ったし、音楽は音楽として鑑賞するものなので、しばらくは説明もしないできた」

「島唄」の歌詞の本当の意味

こんなブログがあります・

あなたは「島唄」の歌詞の本当に意味を知っていますか? | 調布で人気の整体の専門家が日々の出来事を書いているブログ (toyou-medical.com)

2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、「島唄」の創作秘話が語られています。

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。

この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。

「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。

「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

▼島唄の歌詞の持つ本当の意味

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

「ハイサイおじさん」、陽気なメロディの中に秘められた沖縄の人々の心の傷

新型コロナで惜しくも亡くなった志村けんさんのこの歌

元歌は喜納昌吉さんの「ハイサイおじさん」ですね。

(加藤登紀子さんも参加していますね)

この歌にも沖縄戦や戦後の米軍基地問題が沖縄の人々の心に刻んだ深い傷が秘められています。

朝日新聞の記事からご紹介します。

朝日新聞 Be 7月9日(土)  うたの旅人

 1962年5月23日。
この日を境に、米軍統治下だった沖縄の新聞に、精神障害に関する記事が目立ち始める。
 例えば「精神病対策」という連載が始まる。専門家が座談会で現状の問題点を議論しあう。精神障害者対策の予算を増額すべきだとの社説が載る。
 契機となったのは、おぞましい事件だった。
 同日午前10時前、コザ市(現沖縄市)の島袋小学校近くのトタンぶきバラックの家で、精神を病んでいた39歳の母親が、7歳の娘の首をおので切り離して殺したのを家族が発見した。首はまな板の上に置かれていた。53歳の父親は、母親を家の中の「監置所」に閉じこめるなど扱いに困っていた。
 悲鳴で集まった近所の人の中に、隣に住む当時13歳の中学生・喜納昌吉さん(63)がいた。
「鍋を煮ながら、首をまな板の上に置いたと聞いた。米軍用の毛布の下の体に首がなかったのを見た。今でも覚えている」
一家の親戚は、父親を「酒飲みであまり子供たちをかえりみない」と現場の取材記者に話した。この父親が「ハイサイおじさん」のモデルだった。
 喜納さんは48年6月、沖縄民謡の大物だった昌永(2009年に逝去)の四男として生まれた。酒浸りのおじさんと少年のやりとりをうたった同曲は69年、父親が出したレコードに収録された。地元でのヒットを経て、77年に全国デビューした。
 陽気でノリのいいリズムから、沖縄勢の高校野球の応援歌として定着もした。「世界中で演奏したが、1千万人はこの曲で踊っているでしょう」と喜納さん。暗い記憶の原質が、「陰」から「陽」へと転換され、まぶしい極彩色のイメ-ジの音に結実したのはなぜだろう。
事件後もおじさんと関わる中である日、喜納さんに曲が「わーつとわき起こり、その後降りて来たような感じ」で生まれたという。
 おじさんはよく喜納家を訪れ、酒をねだった。昌吉少年に、元学校の校長だと名乗ったがウソだった。客を遊廓へ運ぶ「馬車持ち」だったが、戦後の混乱で仕事をなくした。戦争の影は尾を引き、浮浪者や傷病人がいまだ道にあふれていた。戦争体験によるトラウマや、米軍統治下の精神的不安が人々の心をむしばんでいた。
 村八分にされたおじさんは、子供たちに石で追われた。交通事故にもあった。だが、明るく酒をせびりに来た。その突き抜けた陽気さに感応し、「ハイサイおじさん」は誕生する。
喜納さんはこんなふうにいま考える。この曲には、根源的な明るさを持つ沖縄の伝統的共同体の魂が、長い戦後の不幸や悲劇に抗して、激しく息づいている。おじさんが象徴した沖縄の生命力が、自分という媒体に「授けた」曲なのだ、と。
 事件から約50年。今年4月、喜納さんが初めて知った事実がある。犠牲となった隣家の7歳の少女は母・千代さん(85)の母乳で育った乳兄妹だった。

 

 

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