DV空間化する世界
「DV(ドメスティック・バイオレンス)」には巧妙で多様な支配のスタイルがあります。家庭などだけでなく、学校や刑務所、軍隊や病院というような閉じた空間では支配と被支配の関係がとりわけ明確になりやすいと言えるでしょう。
今の世界は巨大なパノプティコンのように見えます。
パノプティコン(panopticon)とは、「あまねく(pan)」「見る(optic)」というギリシャ語の語源から「一望監視施設」と呼ばれる監獄施設です。
功利主義者のベンサム(1748~1832)が提案した「一望監視施設」のことですが、フランスの思想家のミシェル・フーコー(1926~1984)が刑務所などの監視施設が、ヨーロッパでは社会全体を効率的に監視するシステムとなっていると「監獄の誕生」(下図)で指摘しました。
ボクたちは「超監視社会」に生きている
ボクたちは「超監視社会」に生きています。現在の超監視社会では、自由なようでも、さまざまなシステムで監視されています。街には“防犯カメラ”という監視カメラがいたるところに設置され、交通系ICカードで移動のデータや、クレジットカードなどの購入履歴もデータとして蓄積されています。マイナンバーにひも付けすれば、あらゆる情報を容易に管理することが可能です。いつの間にやら監視され、管理したい時に、データを引き出して利用するという社会になりつつあります。さらにクラウドに蓄積された情報を企業などが利用する動きも強まっています。「デジタル」という名の下に国民がよくわからない世界が構築されているようです。
警察法が改定されると危険、国家警察の復活
最近気になったのが警察法の改定です。警察庁のなかにサイバー特別捜査隊を設置するというものです。「サイバー攻撃の増加」というもっともらしい理由を掲げていますが、警察庁という国家機関に国民を直接調査する実働部隊が置かれることは、敗戦後、避けてきた国家警察の復活ともいえます。憲法21条で保障された通信の秘密を侵害することにもなる法案がわずかな審議で国会を通過しそうです。メディアでは、ほのとんど取り上げられていないのですが国民のコミュニケーションが制約される時代が迫っているようです。
デジタル化ですべてが監視される社会に
テクノロジーの発達でデジタル化は避けられないことですが、それが人間のためになるのかが十分吟味する必要があるとおもいます。「デジタル神」のしもべとなって人間が生きていく時代はどうなるのでしょうか。
学校でもコビッド19パンデミックの下、十分な研究もなく、オンライン授業が行われて、教員も子供たちも戸惑っています。さらに「GIGAスクール構想」という得体のしない動きやデジタル庁は「デジタル社会の司令塔になって一気呵成にインフラ整備を進める」と宣言しています。どちらも内容不明で十分な議論なく進められるところが心配です。
教育は人生で繰り返しできない一度きりの経験です。そして、教育が自分の人生を豊かにしたかは、ほぼ検証不能です。学校では生徒のさまざまなデータが蓄積されて管理されています。今までは、紙ベースのもので構内にとどまっていましたが、これがデジタル化され、いつでも文科省やデジタル庁が監視、管理できるようになるようです。もちろん教員も監視、管理の対象です。もしかすると教室に監視カメラが設置され、授業内容をチェックする時代になるかもしれません。表向きは「授業の自由」と言いながら、いつでもチェックできるというシステムが構築されるでしょう。
学校でマインドコントロールされるようになる?
最悪の状況はまだ想像できます。生徒の持つタブレットに直接さまざまな情報が送られ、マインドコントロールのような状況が作り出されるかもしれません。今日は「首相講和の時間」と言って全国の生徒たちが首相のお話を聞かされるという悪夢も危惧されます。
なにしろ、先行きがまだ見えません。「火事場泥棒」のように理由をつけて、いろいろなことが進められそうです。(近)
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す