きょう10月21日は「学徒出陣壮行会」(学生までが戦場に送られた)が行われた日
戦争が始まっても、兵役法などの規定により、大学・高等学校・専門学校(いずれも旧制)などの学生は26歳まで徴兵を猶予されていました。
しかし戦局の悪化で戦死者が増え、兵力不足を補うため、召集されることになり、1943年10月21日明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が行なわれました。彼らは戦地に送られ、また特攻隊にされて命を落としました。
学徒出陣 "出陣学徒壮行会" (1943年10月21日)
日本戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」
映画「きけわだつみのこえ」
伝え遺す・学徒出陣・特攻隊
ベトナム戦争に反対する「国際反戦デー」
1966年、アメリカが沖縄など日本の米軍基地から飛び立った爆撃機や日本から運ばれた戦車、武器を使ってベトナム民衆を殺りくする「ベトナム戦争」のさ中、総評(労働組合の全国組織)が「学徒出陣の日」10月21日をメモリアル・デーとして世界中に呼びかけ、「国際反戦デー」としました。
1966年10月21日、総評は秋期闘争の第三次統一行動としてべトナム反戦を中心とするストライキを実施しました。
この動きに、世界労働組合連盟をはじめ、世界各国の労働組合からも連帯のメッセージが寄せられ、以後10月21日は国際反戦デーとなっていきました。
「ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実」
1968年の「国際反戦デー」
世界中で「ベトナム戦争反対」のデモやストライキが広がる中、1968年の「国際反戦デー」10月21日には新宿駅前に下の写真のように、身動きができないほど労働者・学生・市民が集まって「ベトナム戦争反対」の声をあげ、米軍の燃料タンク車の運行を止める行動に立ち上がりました。
以下の記事もご参照ください。市民5000人がベトナムへの戦車輸送を阻止した「戦車闘争」という映画のことが出ています。
オスプレイ、佐賀空港断念!! 木更津はどうなる? - 住みたい習志野
(追記)
学徒出陣と第九。「南ドイツの舞踏歌」とは?
学徒出陣に関連して、「ドイツ兵士の見たニッポン」の執筆者Hさんから以下の逸話を教えて頂きました。
昭和19年8月6日には東京帝大法経25番教室で、出陣学徒壮行ベートーヴェン第九演奏会というのが開かれました。
https://www.lib.kunitachi.ac.jp/pub/parlando/2013/Parlando278-5.pdf
私は昔、この演奏会で学生幹事だった商法の鴻常夫先生に演奏会の話を直接うかがう機会があったのですが、プログラム中「南ドイツの舞踏歌」とは何だったのか、と尋ねました。「それねぇ、ヨハン・シュトラウスの『春の声』なんですわ」とのお答えでした。ソプラノ独唱付きのウインナ・ワルツですが、オーストリアという国は既になく、ナチス・ドイツの「オストマルク州」になっていたわけですね。それで「南ドイツ」と。
今や「第九」は、年末に歌われる「通俗名曲」になってしまいましたが、かつて生きて帰れるかどうかわからない、という瀬戸際にせめてベートーヴェンが聞きたいという青年らがいた。これも、板東の「第九」と共に歴史に永く留めたいことです。
なお、「学業の半ばで戦場に向かった」のは学徒出陣組だけではありません。その前に「繰上げ卒業」が行われており、卒業してしまえばもはや学生ではありませんから、徴兵の対象となる。作家の阿川弘之などはこの組で、東大文学部国文科を繰上げ卒業、昭和17年9月海軍予備学生として海軍に入隊となっています。司馬遼太郎は学徒出陣組で、昭和18年11月に大阪外国語学校を仮卒業、青野ヶ原の戦車第十九連隊に入隊、となっています。
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