習志野歴史散歩(番外編)その2
習志野歴史散歩(番外編) 習志野市に郷土資料館はないけれど…(その2) - 住みたい習志野
に、以下の「おまけ」投稿がありました。
浜口首相暗殺未遂事件、首相は死亡したのになぜ「未遂」?
昭和5年の不穏文書、結構反響があったようですね。
さて、文中、私は「浜口首相暗殺未遂事件」としておきました。犯人は首相を狙い、結果として首相は死亡したのになぜ「未遂」なのか。
狙撃されても一命は取り留めたが、その後議会に無理に出させられて死んでしまった
東京駅から東大病院に運ばれた浜口首相は、幸い命を取り留めました。翌年には仕事に復帰できるようになった。ところが野党の政友会が、歩けるのなら議会に出てこい、逃げるな、などと挑発します。逃げるなと言われて怒った首相は、まだ充分に回復していないのに登院し、委員会答弁に立ちます。自席から立ち上がって答弁台に行き、答弁しては自席に戻る。これを繰り返している間に、せっかく癒着していたお腹の傷口が開いてしまった。腸内の細菌が腹腔内に漏れ出してしまって炎症を起こし、そのために死亡してしまった。
因果関係がはっきりしないので、「殺人」ではなく、「殺人未遂」で裁かれた
日本の裁判所は因果関係について「条件説」といって、あれなくばこれなしの関係があれば因果関係ありと、広く認定します。首相を殺してやろうと思ってピストルを撃ち、その結果、首相は死んだのですから、あれなくばこれなし。犯人の狙撃と首相の死亡には因果関係がある。つまり殺人既遂ということになるはずです。しかしこのように、死亡という結果までにいろいろ他の因果が入り込んでしまった場合、既遂でいいのか、ということでいろいろ議論があるのです。教科書ではよく、殺してやろうと思って相手を殴り、軽傷を負わせた。しかし、病院に運ぶ救急車がトラックに衝突し、中に乗っていた相手は死亡してしまった。殴った男の罪責やいかに、といった形で出てきます。
ということで、裁判所では犯人の佐郷屋留雄は殺人「未遂」で裁かれ、死刑判決を受けましたが恩赦で減刑、昭和15年には仮出所となっています(昭和47年死去)。
議会の嫌がらせ質問で浜口を衰弱させたのは鳩山一郎
なお、議会で嫌がらせ質問をして浜口を衰弱させた政友会代議士は
3-18 浜口雄幸襲撃事件 | 史料にみる日本の近代 (ndl.go.jp)
鳩山一郎でした。彼はこの後、犬養内閣で文部大臣となり、昭和8年、滝川事件を引き起こすのです。
習志野のローカルな歴史も世界の歴史につながっている
「そこの割下水の水は隅田川に通じ、隅田川の水は江戸湾に通じ、江戸湾の水は太平洋からメリケンまで通じているんだぜ」という勝海舟のセリフのように、習志野ローカルの一枚の不穏文書からも、大きな歴史が見えてきました。要は、習志野の郷土史を教材にこうしたことを子供らに教えられる先生がいない、ということですね。
文科省の「指導要領」のとおり、そこからはみ出してはいけない。そんなロボットのような教員ばかりで、ことなかれ教育をやっている、というのでは困ります。(ニート太公望)
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