
(4月20日付の続きです)
小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第87回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。
【 小説新潮2015年12月号=連載③ 368ページから 】
「整理は黙って待ってりゃいいんだ!」
「きさまこそ黙れ! 五分以内に出さないと外す❶ぞ! 編集権は整理にあるんだ!」
萬田さんが「ようし。パチパチパチ」と言いながら手を叩いた。
「整理部は無敵艦隊❷だからな。月月火水木金金。六〇センチ砲が四門、機関砲が一八ついてる。社会部なんか集中砲火で十五分で沈めてやる」
「ったく、たまらんよな。武闘派集めてその気になってるから」
社会部デスクが顔をしかめた。
萬田さんはにやけながら松田さんを見て「なんちゃってな」と言った。松田さんも笑って倍尺を日本刀のように持って振り上げた。❸
「おい、見出しつけたか」
権藤さんが僕の手元を見た。
「あ、はい……」
僕は急いで見出し用紙を渡した。
〈山村さんの漁船が火災で沈没した
釧路海保への連絡でわかる〉
❶五分以内に出さないと外す
「出稿しないと外す」は、いけない(➡︎出稿を急いでほしい!の強調的意味なのかもしれないけど)。
事件・事故が進行中なのだから「出せ!」と息巻いても出ないこともあり得る。
事件は、札幌市内で発生した朝火事。だから何としても夕刊に突っ込みたい。
だが、社会部は
「放火の疑いがある。いま、追加取材をかけている」
とテンパっている。
こういう場合、整理部としては
〈 分かっている範囲の第一報を 〉
〈 降版ギリギリまで待つが、とにかく今は火災場所、延焼規模、状況ぐらいは出せるはず。
動きがあったら、追訂・差し替えで処理する 〉
〈 何行ぐらいになる? スペースをとっておくから 〉
ではないだろうか。
——こういう場面、面担(紙面編集担当者)ではなくて、整理部デスクの出番なんだけどね、うーむ。
❷萬田さんが……整理部は無敵艦隊
「萬田さん」は、北海タイムス編集局次長兼整理部長。45歳。
「整理部は無敵艦隊」という表現はチョー古いが、この発言で社会部デスクvs権藤面担の一触即発をおさめようとしたのだろう。
やるじゃん、萬ちゃん(⬅︎知ってる人?笑)。
❸松田さんも笑って……持って振り上げた
「松田さん」は(小説主人公の野々村くんと同じ平成2年度)新入社員だけど、北大中途後から北海タイムス紙でバイト勤務していたので、局内の事情や新聞編集を知っているようだ。
この日、松田くんは萬田部長の指導下、夕刊フロント1面の見習い組み屋をやっている。
倍尺(ばいじゃく)は新聞編集でつかう物差し。サシとも=3月2日付第58回の写真みてね。
新聞社によっては長いサシと、短いサシの2本を用意しているが、
「日本刀のように」
とあるので、当時の北海タイムス紙は長いサシのみだったのだろう。
*組み屋(くみや)
整理部デスクや先輩整理がかいた割り付けにしたがって制作局で大組みをする人(⬅︎という呼び方をしない新聞社もあります)。
現場で組み方を学ぶので、だいたい新人くんが多い。
その間、面担は次版の準備か、事件の展開によって差し替わるであろう記事や情報を編集局で待っている。
———というわけで、続く。