降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「北タイ物語」を読む (76)

2016年04月04日 | 新聞

( 4月2日付の続きです。
写真は、本文と直接関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第76回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【 小説新潮2015年12月号=連載③ 366~367ページから 】
権藤さんは黙ってひとりで作業を続けている。
最初、割り付け用紙にデッサンするように鉛筆で薄く線を引いたり四角を書いたり消しゴムで消したり❶していたが、そのうち倍尺を持って鉛筆で強く濃く設計技師のようにまっすぐ線を引き出した❷。
そして原稿をめくって赤ペンで手を入れながらメモ用紙のようなものに細かい文字を書き❸、原稿を丸めて輪ゴムで結わえ、ぽんとベルトコンベアに放り投げた。
それは整理部の島の一番端まで流れていき、バサバサと音をたてて下へ落ちていった。
権藤さんが机の上に積んである藁半紙を一枚とった。
一番上に〈北海タイムス見出し用紙〉と印刷されているその紙には大きな枡や小さな枡が縦横に印刷してあった。
見出しのフォーマットのようだった。



❶割り付け用紙にデッサン……消しゴムで消したり
小説の時代設定は、1990年4月中旬の、とある平日午前11時過ぎ(降版時間まで、あと60分チョイ)。
北海タイムス夕刊社会面整理担当(面担)権藤くんの仕事の流れをみてみよう——。

▼割り付け用紙にデッサンするように鉛筆で薄く線を引いたり
ブランケット新聞1ページ大割り付け用紙に、当日の広告段数のところ(広告5段なら下から5段目)で濃く線を引いたはず。
さらに、左カタには4コマ漫画スペース、左下には定型コラムのアキ、ツキダシ・ハサミ広告分も記入(したと思う)。
忘れちゃ大変だからね。
権藤くんはトップ見出しメーンはタテにしようかなぁ、ヨコにしようかなぁ、と考えながら、薄くおおまかな線を引いているのだろう。

▼四角を書いたり消しゴムで消したり
「四角」はハコ(ボックス)かタタミのこと。
権藤くん、やわらかい面白い記事があれば、紙面中央にケイ巻きボックスにしようかなぁ、としているのだろう。
また、ハコの代わりに紙面中央に写真を配置するのも安定のレイアウトだよね。

❷倍尺を取って……線を引き出した
倍尺(ばいじゃく)は新聞社整理部や制作局でつかう物差し。
カタは4段見出しと写真だから、その右あたりで全角ケイを引いた方がいいなぁと、グイグイ濃く線を引く——。
権藤くん、おおまかな組みの方向が決まったようだ。
*全角ケイ
1990年当時の、北海タイムス紙を含め一般紙は、
・幅が太い全角(ぜんかく)ケイ=2行どり
・細い二分(にぶん)ケイ=1行どり
だったと思う。
基本文字サイズが1段13字(⬅︎北タイではT文字と呼んでいたようだ)なので、1文字の左右幅は1.3倍(121ミルス)。
ケイには左右幅1倍のカスミケイ、3本線の三柱(さんちゅう)ケイなどがあり、新聞社によってはあらかじめ二分ケイと全角ケイとの合わせケイも用意していた。


❸原稿をめくって……細かい文字を書き
▼原稿をめくって赤ペンで手を入れ
1990年当時の北タイ紙は手書き原稿があったので、改行や拗音などのマークだろう。

▼メモ用紙に細かい文字
権藤くん、見出しをつけるときの基本データと、行数をメモしたようだ。
本格的にCTS(コンピューター組み版・編集)になると、メモ用紙には記事データや行間・行数のほか、出稿IDやP(写真・画像)有無を記入するようになった。


————というわけで、続く。