降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★増田さんの記憶力は凄い=「北海タイムス物語」を読む (91)

2016年04月29日 | 新聞

( 4月28日付の続きです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第91回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 370ページから 】
権藤さんが振り返った。
「おい、行数のメモ用紙と倍尺もってこい!」
廊下へ出て階段を駆け下りていく。
「急げ!」
四階の制作局に入る
❶と、人でごった返していた。
奥の入力機でキーボードを打っている人❷、大きな紙や小さな紙を持って走る人❸、そして先に降りた整理部の人たち。
テレビで観た証券取引所や魚市場の競りのような騒ぎだった。
松田さんや秋馬さんも大きな机に制作局の人と向かい合って立ち、指示しながらハサミで何かを切っていた。
机の上には大きな段ボールがあり、それが新聞のもとで、記事や写真を貼り付けるているようだった。
「二面の再校大刷り、校閲の分が足りないぞ!」
「一面の道庁の記事、急いでくれ!」
あちこちから大声が上がっている。



❶廊下へ出て……制作局に入る
あれ?廊下に出ちゃうの?と思った箇所。
新聞社は(たいてい)編集局フロアと制作局フロアに直結の階段をつくっていたから、
当時(1990年)の北海タイムス社屋ビルは建て替えた仕様のようだ。
階段といっても、編集局フロアの一部を打ち抜いた、急降下な螺旋階段。
降版時間に慌てた整理部員が、よく転げ落ちていたので、違法建造物だったのかもしれない。

❷奥の入力機でキーボードを打っている人
さあ、いよいよ北海タイムスの制作心臓部突入(でもないか)——。
1990年は日本の新聞CTSが始まり10年ほど経ち、多くの新聞社が鉛活字組み版を終えて電算組み版に移行していた時期。
当時の北海タイムス紙は、
「切り貼りCTS」
だったので、フルページの画面大組みができなかったバージョン。

入力機でキーボードを打っている人は、
▽漢字校正端末(ターミナル)か、
▽見出し入力端末
だったのではないか。
現在なら簡単に校正モードや入力モードに切り替えられるが、当時はそれぞれ異なる端末機をつかっていた。
たぶん、近くには校閲用小ゲラ出力(感熱紙!)専用端末もあったのでは。

*CTS(シー・ティー・エス)=コンピューター組み版・編集
1978年に日本経済新聞東京本社(システム名=アネックス)が、
続いて1980年に朝日新聞東京本社(同=ネルソン)が新社屋完成とともにスタート(両社ともフルページ型)。
2社とも1960年代から電算化研究に着手し、米IBMがソフト開発を担った。
主要新聞社のCTS完了は1993年といわれている。


❸大きな紙や小さな紙を持って走る人
「大きな紙」は新聞1ページ大の印画紙貼りこみ台紙、
「小さな紙」は小ゲラ、見出し、地紋見出し
など(かな)。
それにしても、小説作者・増田さんの記憶力は凄い。
おそらく
「いろいろあったけど、あのタイムス時代も今となっては楽しかったかも……」
と想われているのではないだろうか。

————というわけで、続く。

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