降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編⑧

2014年04月19日 | 新聞

【 きのう4月18日付の続きです。写真は、本文と関係ありません 】

1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編⑧。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

▽ きのう18日付「漢テレ編」2止です

CTS組み版・編集が始まるまで、新聞社では鉛活字をつくるハイテクマシンが「全自動モノタイプ」。
( ↑ 漢テレと僕の社では呼んでいたけど「漢テレ=モノタイプ」なのか?どーなんだ?と言われると困るのだけど…… )
全自動モノタイプは、1961(昭和36)年に毎日新聞社が開発し、1960~70年代、鉛活字・活版で組んでいた新聞社ではどこでも使っていた(と思う)。
手書き原稿を漢テレ室( パンチセンター )でパチパチパチ入力すると、
デッカい端末からピューピューとさん孔テープが出てきた。

▼ 各さん孔テープをクルクルッと巻き上げたものを、別階にある製作局活字鋳造課に流し、
14~13字組み鉛活字【 注・下段 】をつくる。

▼ 鋳造課で金属製ケースに〝出来たて熱々〟棒ゲラを入れてコンベアーに流し、文選課でゴシック体活字を差していた。
※ この工程あたりで、ようやく整理部と関係してくる。
整理部から出た感熱紙( ←うわっ、懐かしい )モニターの「G」と指定した個所を、文選スタッフが活字棚から一本一本手拾いして差し替えるのだ。

▼ 「刷り屋さん」がわら半紙に棒ゲラを刷り、小ゲラを校閲部へエアシューターで上げる……………のだけど、なんて複雑な工程だったのでしょう!
※ 編集ピーク時間帯には、コンベアーに次から次と棒ゲラが流れ込んできていたから、製作局は戦場状態。
棒ゲラには掲載面( ▽版△面 )が記され、植字・大組みスタッフが各面大組み台に運んでいた。
出稿→漢テレ→鋳造→大組み台まで、
全工程約1時間ほどかかっていたのではないだろーか。

【 14~13字組み鉛活字=14~13じぐみなまりかつじ 】
1980年に朝日新聞東京本社( 中央区築地 )でフルページCTSネルソンが始まると、
「目に優しい朝日文字」
というキャッチフレーズで、基本文字サイズを1段15→14字、さらに14→13字組みと拡大していった。
そりゃあ、コンピューターCTSだと文字サイズ変更は自在だけど、
鉛活字・活版ではインテル変えたり、小物変えたり………追いつくのが大変だったのだよ、ほんと(笑)。