降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編⑦

2014年04月18日 | 新聞

【 4月16日付の続きです。写真は、本文と関係ありません 】

1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編⑦。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

( 以下は、
1969年、日経新聞CTSアネックス・プロジェクトチームがIBM製コンピューターに蓄積させる文字使用頻度を調べるシーン
=杉山隆男さんの名著、第17回大宅壮一ノンフィクション賞受賞『メディアの興亡・下』新潮文庫1989年版から引用しました )
《 前略 》
この昭和四十四年当時、新聞記事はすべて全自動モノタイプを使って活字にしていた。
つまり原稿は、いったんさん孔機によってそれぞれの文字をあらわす穴を開けられた一本の紙テープにされ、これをモノタイプに読みとらせて活字化していたわけだ。
この穴あきテープをコンピュータ用の読み取り装置にかければ、穴の開いているところには電流がながれ、そうでないところには流れないというように、
データはすべて電流の流れに変わってコンピュータの中にどんどんたくわえられていく。

《 後略 》

▽ 僕たちは「漢テレ」と呼んでいた。

「全自動モノタイプ」とは時代がかっている表記だけど、フルページCTSが始まる前まで、新聞社の鉛活字をつくるハイテク装置だったのだ( と思う )。
社によって名称は違うようだけど、
「漢テレ課」
「入力パンチセンター」
と呼ばれたセクションがあって、製作局ではなく編集局に属していた( ←組合も製作局ではなく、編集労組だった)。
だから、編集フロアの一部にドーンと区切られた一室があり、朝刊編集時には数十人が、夕刊編集時にも十人以上がパンチ端末機に構えていた。

入稿から鋳造までの流れは、下記の通り。
▼「おーいっ、庶務さーん、漢テレ頼むなぁ!」
とデスクや部長に呼ばれた庶務さん( ←学生アルバイトくん )が、ファクス原稿・手書き原稿を各出稿部から集め、漢テレ窓口に持っていく。

▼ 漢テレ窓口デスクは、各原稿に添付された伝票【 注・下段 】に、カシャーン・カシャーンとナンバーを振る。

▼ 例えば「No.12345678」と振られた原稿は、書き原稿の文字判読具合( ←つまり読みやすいか、殴り書きか、ですね )にしたがって、漢テレデスクが、ベテラン、中堅、新人に振り分けていた。
( 現在でも、クネクネ文字手書き入稿の作家さんの場合は、判読できる△△先生番がいますね )

▼ 長い原稿だと入力時間がかかるので、漢テレデスクが
「自民3の1=No.12345678a」
「自民3の2=No.12345678b」
「自民3の3止=No.12345678c止」
と分割していた。

▼ 漢テレ各端末で一斉にパチパチパチパチパチパチと打つと、ホストコンピューターに当たるような、昔のクーラーのようなデッカい機械の一部から、パンチ穴が空いた幅2.5cmほどの青色テープが、ピューッピューと出てきて……………

おっとぉ、長くなったので、「漢テレ編2止」に続く。

【 漢テレ伝票=かんてれでんぴょう 】
B5判の横向きで、必ず
「右上をホチキスでとめろ。左上は、いかんよ」
と言われていた。パンチャー( ←うわっ、懐かしい言葉 )台の、原稿をめくる方向が決まっていたのだろう。
赤伝票は内政、青伝票は外報、緑伝票はスポーツ、茶色伝票は支局発……などと出稿部ごとに色分けされていた。
◆お断り=新聞社によって、工程・名称が異なります。