降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編(11)

2014年04月26日 | 新聞

【 4月24日付の続きです。写真は、本文と関係ありません 】
1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編(11)。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

またまた、杉山隆男さんの名著『メディアの興亡』( 新潮文庫1989年版 )から引用します。
( 昭和48(1973)年10月1日、コンピューターでつくる世界で初めての日刊紙「日経産業新聞」がついに創刊された。
以下は、その直前、CTS始動を目前にした日本経済新聞東京本社の活版部。
当時、約150人の活版部員がいたが、CTS勉強会と配転、日々の新聞製作で大揺れだった、というシーンから )
もう自分たちに新聞づくりはできないのだろうか、と切実な声で訴える彼ら( 僕注・活版部の高齢者工員 )を、香取( 僕注・香取治男さん=元組合書記長 )は元気づけた。
「先輩だって、今使っているモノタイプのさん孔機なら操作できるんでしょう」
香取の言うように、従来の活版職場では工員たちが文選、モノタイプにはじまって大組みまで活版部の仕事をひと通りマスターすることになっていたから、
古参の工員といえども、原稿をパンチして穴あきテープをつくるさん孔機は使った経験があった。

《 後略 》

▽ 新聞社によって、仕事範囲が違うのですね

「へぇー、日経さんはモノタイプ入力も活版部の仕事なのかぁ」と思った。
以前にも書いたけど、モノタイプの入力は「編集局漢テレ課」の仕事で、組合も編集労組だった。
1970年代後半、CTS編集の先陣を切った日経東京本社は、初のコンピューター開発という巨大プロジェクトと同時に、
職場そのものが消滅してしまう150人もの活版部スタッフ雇用問題にも初めて取り組んだのだ。

日経の活版部→同社の営業、出版、保安課への配転を受け入れなかった人たちの何人かは転社され、
活版に来られた数人と僕は大組みをしたが、とても手際がいい人ばかりだった。
早版前、製作局の面担ボードを見て
「おっ、今夜はイケさん( 元・日経活版部 )かぁ………むふふふ、大組み15分だな、楽勝楽勝」
大組み時間が計算できるのは、整理部にとってありがたいのだ( ←新人くんや不慣れな大組み者だと、組みに20分以上かかることもあったのだ。
降版時間前の数分は、とても貴重なアドバンテージなのだった )。