降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編(13)

2014年04月30日 | 新聞

【 4月28日付の続きです 】
1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編(13)。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、米IBMと日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

またまたまたまた、杉山隆男さんの名著『メディアの興亡』( 新潮文庫1989年版=写真 )からの引用をもとに、僕が見てきたことを書きます。
( 以下は、1971年の日経新聞東京本社アネックス技術開発室。
米IBMで開発が遅れていたソフトがようやく出来、いよいよ機能テストに入った。
だが、当時でも能力不足が指摘されていたIBM360が壁となった。同問題は日経だけではなく、同じプロジェクトを進めていた朝日新聞東京本社でも表面化していた )
それは、記事を組むにしても見出しを立てるにしてもおそろしく時間がかかるということだった。
たとえばDTV
( 僕注・デジタルテレビジョン。レイアウトディスプレー・ターミナルのことか。社によってCTS組み版ディスプレーの呼び方は異なっていた )の画面に写っている文字を一字訂正するのにも軽く三秒はかかってしまう。たった一文字でもこのありさまなのだから、あとは推して知るべしである。
見出し一本つくるのに五、六分、記事を流してケイで囲むようなちょっとしたコラムを組んだりすると、十五分あってもまだ時間が足りないというなさけない状態だった。
《 後略 》



▽ 初期CTSはベース変更( グリッド変更 )でさえドタバタだった……

上記の引用は、日経アネックス初期の初期システム開発段階だから、1970年代。
僕がCTSに携わったのは1980年代後半だったけど、
ハコもの( ボックス=通常の文字数とは異なる字どりの記事をケイ巻きした囲み )
タタミ( 中段ケイを抜き、写真・見出し・記事を集めたもの )など、
基本文字数以外の記事を流すときは、通常にプログラミングされた「ベース」をいじらなければならなかった。
入る文字サイズ=◯U・◯U
入る文字数=◯本
行間=5U
段間=8U
ケイサイズ=8U◯番ケイ◯行◯字どり………
メッセージボックスに出てくる組みデータをそれぞれ書き直して、よーやくグリッドがウィーーンと変わっていった。
………今では信じられないけど、ハコものの大きさによっては、たばこ1本吸えるほど遅かった。「おそろしく時間がかか」ったのだ。
おまけに、ナントカ系統があって、1台がベース変更処理に入ると、他系統の端末まで影響を受けたし。ニュース面編集時間には大騒ぎだった。
…………ん? 社のコンピューターの容量・処理能力がただ低かっただけかもしれないなぁ、笑。


(・ω・)ノ

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