降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編⑨

2014年04月21日 | 新聞

【 4月19日付の続きです 】
1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編⑨。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、米IBMと日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている


以下は、
杉山隆男さんの名著『メディアの興亡/下巻』( 第17回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作、新潮文庫1989年版 )から引用しました。
昭和36(1961)年に登場した全自動モノタイプに揺れる日経新聞東京本社の製作局活版部を描いたシーン。

《 前略 》
活版職場は編集局や輪転機をまわす印刷職場と違って、日経の中でも早くから機械化の波に洗われていた。
《 中略 》
それまで活版職場では、工員が編集局から送られてきた原稿を見ながらいちいち活字を拾って、
それを新聞紙面の形に組み上げていくという、明治以来の手作業による紙面づくりが行なわれていた。
活字を拾うといっても、むろん一朝一夕にマスターできるような技術ではない。
二千五百字近い活字がぎっしりと詰まったケースの中からタテヨコ三ミリにも満たない小さな文字を次から次へと見つけだしてくる。
一人前になるのに最低十年はかかると言われ…………
《 後略 》


▽ 僕は見た!「活字一本一本手拾い」作業を。

僕が新聞社整理部に入ったころにはさすがに、
「原稿を見ながらいちいち活字を拾」
うことはなくなっていて、漢テレ全盛だった。
( ↑ これだけでも、画期的技術革新だったけど )
ただ、漢テレ経由で鋳造できるのは、基本文字サイズ【 注・下段 】の明朝体のみ。
整理部が指定したゴチック(G)部分は、
「二千五百字近い活字がぎっしりと詰まったケース」=写真はイメージ
の中から、文選課スタッフがG活字を一本一本手拾いしていた。

全国紙新聞社では、上記の漢テレ・全自動モノタイプなどに機械化されたけど、
僕が新聞社本業の傍ら、アルバイトで業界紙を編集していた( ←以前にも書いたし時効だし、笑 )徳間書店系列のS印刷工業( 東京・港区 )では、1980年代まで「手拾い」が残っていた。
僕は、その印刷会社活版部で、上記の活字一本一本手拾い作業を見て、ビックリしたな、もうぉ( ←超・古い )だった…………ありゃりゃ、長くなったので、続く。

【 基本文字サイズ=きほんもじさいず 】
新聞の記事部分に使われている文字サイズで、1段12字組み、同13字組み……とサイズがそれぞれ異なる。
新聞社によっては、社内で「基本文字=ベタ」とも呼ばれるが、古参整理マンは「ベタ=1倍88活字」と認識していることが多々あり、話が噛み合わないことがないわけではない、笑。
例えば、下記1段見出しの場合、
(主1.8G)自動車保険 値上げ
(袖G)2%程度、秋以降に
の袖Gは基本文字サイズのG。