絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

将棋の思い出 1

2009-06-07 | 将棋
私が将棋を覚えたのは、小学校1年生くらいの時でした。
父親に教えてもらったと思います。しかし、将棋の何たるかを知らぬまま、適当にやっていて、友達と指してもあまり強い子がいなかったので、自分は強いと思っていました。

それが、中学3年生の時にA君に出会って、ぎゃふんという目に合わされます。
全然、歯が立たないのです。同級生なのに、こんなに差を感じたことはありませんでした。私は、早熟だったためか、何をやっても同級生には負ける気がしなかったのですが、この将棋には呆れました。

どうやっても勝てないのです。勝つどころか、全く歯が立たないのです。
それで、私は、A君の弟子にしてもらうことにしました。もちろん正式にお願いしたわけではないですが、勝手に弟子になったのです。

そして、彼の家に通いました。中学3年生で部活を引退した後でしたから、時間がありました。私は、歯が立たないのはなぜかと問いました。そして、将棋には定石というものがあることを知りました。
正確には、振り飛車とか、居飛車とか、美濃囲いや矢倉囲いというものがあることを知りました。私は、ここで初めて将棋というものを知ったのです。要するに、初心者として知るべきことを初めて知ったのでした。

それまでは、私は将棋のルールを知っているだけだったのです。後で、わかることですが、私がやっていた将棋は、居飛車で、棒銀という戦法でした。それすら知らないでやっていたのです。

私は、同級生にこれだけ能力に差を感じたのは、初めてだったので、悔しくてならず、将棋の本を買ったりして、研究を始めました。すると、コテンパンにやられることがなくなってきました。

しかし、勝つなどということは、とても考えられませんでした。

ある時、おそらく20連敗位した時に、彼は負けてくれました。
私は、終わってから「わざと負けただろ?」と彼に問いました。

すると、Aくんはそれには直接答えず、「勝った時の手は、全て良い手に見えるよな」と言いました。

彼は、私の銀と彼の角を交換したのです。彼の方が明らかに損なのです。
私は、彼が私にハンデを与えようとしたのだと思って、問い正しました。

しかし、彼は最後まで、わざと負けたとは言いませんでした。
まるで、禅問答のようです。

自分の判断で指した手に、言い訳はしないということでしょうか。
今考えると、Aくんは中学3年生としては、ずいぶん大人だったなあと感じます。

つづく




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