絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

私が絵の道に入るまで 5

2011-04-26 | 絵のこと
私が美大受験のためにデッサンを始めることになったところまでお話ししました。

私は割と何でもこなす、器用な人間だったと思います。
しかし、それは、器用貧乏でした。
何でもできるということは、結局何にもできないような気がしました。

自分には、これしかないと思える人の方が強いのかもしれません。


少し、話は逸れますが、私は、何でも拘る人間でした。負けず嫌いということです。

学校では、将棋が流行っていました。

私の将棋の体験は、中学時代にとても将棋が強い友だちがいて、どうにも歯がたたず、
勝つまで挑戦しようとその友だちの家に通いつめたことから始まりました。

私は勝つために、将棋世界という本を買って研究し、プロの将棋から学んで挑戦し続け、
2年くらいしてその友だちに勝つようになりました。
その友だちは、かなり強かったらしく、その友だちに勝つことは、高校で一番強いレベルになるという
ことを意味しました。
2年生のとき、将棋が強いと思われる11人と対戦し、全勝したことがあります。
そのときは、その友だちにも勝ちました。

私は、一度こういう体験をしているのです。
だから、やってやれないことはないという気持ちがどこかにありました。

しかし、しかしです。

何で、デッサンはダメなの?

どうやってもダメなのです。

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私は、何でもできるという自分の才能を信じていました。しかし、その自信が崩れたのです。

デッサンの勉強は、美術準備室でやっています。1枚描きあがると大きな美術室の方へ持って行き、その壁に貼ってある卒業生のデッサンと比べました。そして、全く歯が立たない現実に頭をうなだれて、また美術準備室に戻りました。
その卒業生の先輩というのは、後で知るのですが、当時芸大に合格者を一番多く出していたすいどうばた予備校で一番を取った人でした。いわゆる、芸大合格間違い無しというレベルでした。

私はデッサンのやり方が、わからないまま1年半描き続け、受験を迎えてしまうのです。
受験前に一度だけ、まぐれで一枚だけいくらか先輩と勝負できるかなと思えるものが描けました。
しかし、受験というのは、そのレベルのデッサンがどの石膏が出されても、どの角度から描かされても、
描けなければなりません。まぐれで良いのが描ける程度ではダメですし、たまに上手く行くなどということでは
とてもレースになりません。

結局、私がそのレベルに追い付くには、浪人の冬までかかりました。

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何枚描いたのでしょう。途中でやめてしまったデッサンが100枚はあると思います。
おそらく、150枚は描いたでしょう。
その上手くなる切っ掛けは、予備校へ行ったときでした。

冬期講習というものに参加したのです。
通ったのは、10日間だったかな?と思います。

私は初級コースだったと思いますが、別室でやっている芸大受験コースのデッサンを覗いてみました。
すると、なんともすごいデッサンを描いている人が山ほどいました。しかし、その中にもある程度の差があって、
私は、いろいろなレベルのデッサンを見比べることで、その差が分かるようになりました。
変な例えですが、星の一生を想像する時に、いろいろな星の状態を見ることで、星はこうして生れ、このように成長し、こうやって終わりを迎えるということがわかります。一つの星の誕生から終わりまでを一人の人間が見届けることは不可能ですが、いろいろな星をみることで、想像がつくのですね。それに似た体験をしました。

デッサンが下手な人、少し上手い人、かなり上手い人という段階を見た気がしました。
そうか、上手くなると言うのは、こういうことかと分かった気がしたのです。
そして、あの人はもっとこうすれば上手くなるのにななどと、自分が描けもしないのに、立派に講釈を述べることができるような気がしました。

そうしたら、今までダメだった自分のデッサンが分かったのです。どこがダメなのかが漸く掴めました。
上手くなる時は、急に上手くなるという体験をしたのです。

もし、この経験がなかったら、私はまだまだ上手くなるには、相当な時間がかかっただろうと思います。
そういう意味では、予備校に感謝です。
ただ、思うのは、予備校に行けば上手くなるというのではなく、私に取ってとても良いタイミングでこの体験ができたのだろうと思います。
今まで描いた150枚のダメなデッサンがあったからこそ、このときのたった10日間の経験でコツを掴むことができたのだと思います。

冬休みが終わって、先生にデッサンを見せた時、すごいことを言われました。
「お前は、歴代の美術部の中で、二番目に上手い」という言葉でした。
ええーーーー???です。
こんなにデッサンが下手で苦労した人間はいないだろうと思われた私が、歴代の先輩たちと比べても、二番目だとは?
(でも、二番目ですか???は、心の中です。)
一人、天才的なM先輩には敵わないと言われました。
その方は、我々にとっては、伝説的な方です。芸大を4浪して、合格しなかったので、創形美術へ行った人です。
美術室の壁に貼ってあったのは、その人のデッサンでした。

私は、浪人をしていましたが、高校に通って、美術準備室でデッサンをさせていただいていました。
だから、後輩たちが普通の授業を受けている間、デッサンを一人ですることができたのです。
学校へ行くのも、時間が自由なので、10時頃行くと、準備室に私の描きかけのデッサンがありません。
どうしたのかなと思うと、古川先生が授業で生徒たちに見せていました。
「ああ、授業で、ちょっと借りたよ」と言っていました。

これが、私が石膏デッサンがある程度描けるようになった経緯でした。
私は、このとき、二度目のそっくりに描けるという錯覚をします。
しかし、こんどの錯覚は中学3年生のときよりかなりレベルの高い錯覚でした。

そして、その錯覚は今も続いています。
上手い絵という物に驚くことはなくなりました。
そして、上手く描くことだけに価値を感じなくなりました。

つづく





















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