はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

別れの時が近づいている…

2013-06-14 20:38:05 | 日々あれこれ
私が、奈良のお母さんと、慕っていた人と…別れの時が、近づいている…と、連絡があったのは、
今週はじめのことでした。

・・・と、もしかしたら、悲しい話になってしまうかもしれませんが…少しばかり、思い出話など
綴ってみたいと思います。

出会いは、私がまだ学生で、大学の寮に住んでいた頃、既に相方さんとは、おつきあいをしていた。
相方さんは、奈良にある公団住宅に住んでいて、自転車で時々訪れては、ごはんなど作り、
まるで通い妻のような感じだった(苦笑)と、勝手に思っている。

相方さんの住むところから、ごく近くに、ご夫婦で営まれている中華料理屋さんがあった。
そこへ、時々食べに行くようになった私たちは、たいそうかわいがっていただき、
常連さんたちと一緒に、年に1度はキャンプへ行くようになったり、飲み会などもするように
なった。
それは、そのお店を閉められてからも、続いた。

ひとえに、そこのママさんが、みんなに連絡をして、号令をかけてくださっていたからに他ならない。

正直なところ、仕事が忙しく、1分でも多く眠っていたかった頃の私は、
夜の0時を過ぎてからの、「飲みにおいでよ~」の電話を、疎ましく思ったこともある。
でも、結果として、そういう関係を継続できたことは、とても、私の人生において、
大切なものをくれた気がするので、声をかけ続けてくださったことに、感謝している。

この写真は、マスターが還暦を迎えられ、そのお祝いにと、集まった時のもの。
5年前くらいのこと。

向かって一番左に居る私と、服装がかぶっている・・・、ひよこ色のハイネックセーターを
着て、向かって左から5番目で、いい笑顔で笑っているのが、ママ。

いつも、笑顔の中心に居るような、場を盛り上げるひと。

マスターから、「ママが、病気になった」と電話があったのは、この写真から、どれくら後のことだっただろう?
記憶によれば、余命宣告の期間の、4倍も、5倍も、頑張って生きた…と思う。
そのあとも、何度か、飲み会をしたり、旅館に泊まったりもした。
病気がウソのようだと思いつつも、会うたびに、少しずつ、体力が落ちているのが、つらかった。

今年の夏は暑いって言ってたけど、身体にはこたえるだろうな…と思っていたところだった。

早かったら1週間、もって1か月。

その文字が、何度も何度も頭の中で、ぐるぐるまわり…そうか・・・もう会えなくなるのか。
そう思うと、胃がつかえたような感覚になる。

一緒にお酒もたくさん飲み、お説教されたり、悩みを聞いてもらったり…実家の母よりも、
ある意味、私のことをよくわかってくれてるんじゃないか?と思えるひと。

明日、会いに行けるだろうか。。
コメント
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