雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

report 12(訂正)

2011-05-13 23:39:13 | 震災
南足柄の茶葉から基準超えるセシウム 出荷自粛要請(朝日新聞) - goo ニュース

ことがことだけにうれしくもなんともないが、僕の感度が正しかったことがまた証明されてしまった。

以前も書いたように数字で判断するということは限定された指標に依存することであり、それは虚構を築くのと同じである。

二酸化炭素排出量の問題にしてもそうだったが、問題は二酸化炭素だけが近年増えているのではない。

ほかにも同時に複数の気体が増加傾向にあり、きちんとした調査結果や研究論文にはそれが掲載されていた。

それを二酸化炭素にだけ特化することは容易に「想定外」を作り出すことになる。

文部科学省のウェブサイトでは、セシウムとヨウ素が水道水に含まれるかどうかをしかも県内の特定の一か所での調査結果しか公開しないのだから、全く全体像はみえないといっていい。

といって、僕は政府を非難したいのではない。

そうした調査はいくらやったところで現実を照射しつくすことにはならないからだ。

線量が多かった数日前神奈川中西部をあらためて調査した結果、道路一本、丘ひとつで、線量は違っていた。

全体像は夥しい数の地点での調査が必要になり、とても現実的ではなかろう。

理系嫌いのロマン主義者としては人間の生の解析力の素晴らしさをお伝えしたい。

例えば人間は、知人なり友人なりに会ったとき、同時に無数の指標で評価し、全体像を描き出す。

にもかかわらず人間はわざわざそうした解析力を捨てて、数少ない指標だけを尊重し、事実の隠蔽を起こりやすくしている(情報を隠ぺいしているのは政府ではなく現代のものの見方そのものにある)。

その点政府非難も同様である。

政府非難は被災者が損害を埋め合わせるための金を得るためだけで、震災+レベル7の原発事故後の日本をどうするのかというより重要な問題を見過ごさせる。

なぜなら政府非難は結局震災前の日本に戻すという徒労を柱にしてしまうからだ。

以前も書いたが、経済活動は状況に応じて変化するものであり、政府に必要な支援策は、その変化の仕方に歩を合わせやすく介助することだけである。

つまり期限切れになったエコポイントやエコ減税の期限を延長し、増税または国民負担は絶対なしで、むしろ減税傾向にするだけでいい。

東電には、政府は援助はせず、他の電力会社と合併させるか自力で活力を見出させるかのどちらかを選択させ、あくまで一企業として遇すべきである。