Bostonglobeによると、去る6月3日から、Museum of Fine Arts tomorrowで、2005年度のドキュメンタリー映画"Knowledge is the Beginning"が上映されている。
Daniel Barenboim (Jewish)と Edward Said (Palestinian)が1999年に立ち上げたプロジェクトで、バレンボイムが中東(イスラエル、パレスチナ、シリアほか)のMusiciansを率いたオーケストラが主たる活動(そのオケの名が West-Eastern Divan Orchestraである)。
ヨーヨーマが講師を務めるなど、まさしく世界連合のオーケストラだが、目的は、上記にリンクしているオフィシャルページにもあるように、政治的ににっちもさっちもいかなくなったユダヤとパレスチナの関係に一石を投じるというものだった。
以下がバレンボイムによる言葉。
Music teaches us that there is nothing that does not include its parallel or opposite as the case may be; therefore no element is entirely independent because it is by definition in a relationship of inter-dependence. It is my belief that although music cannot solve any problems, since it is as Busoni said “sonorous air”, it can teach us to think in a way that is a school for life. In music we know and accept the hierarchy of a main subject, we accept the permanent presence of an opposite, and sometimes even of subversive accompanying rhythms. 音楽が我々に教えてくれるのは、何かと何かがぶつかり合ったり平行線を辿るのは当たり前で、つまりどんなものも関係し合っているということ。音楽は、はじめっから相互依存する関係のなかにある。音楽がすべての問題を解決できるなんて思ってないけど(だって音楽ってのは「響き渡る空気」でしかないんだから)、人生の学校にはなるよ。音楽のなかでは、ある主題があったら、そのなかに階層が生まれることは当たり前だし、受け入れるものなんだ。正反対のものも、時には、ぶちこわしにするようなリズムも受け入れる(意訳)。
なんだか華厳経みたいだが、以前、音楽理論が次の時代を切り拓くパラダイムを提示してくれると思うと書いたことがあったけど、このイメージは、ハイデガーが書いていた「調和」のイメージと、どんなにたくさんの音があっても和音が構成されれば、ひとつの音のようになるというイメージが重なったからだった。
バレンボイムも書いているように、これが完全な解決をもたらすとは思わないけど今は亡きザイードともに応援したいですね。
それからオフィシャルページにある楽団員のArticlesの欄には、中東にいなければ書けないテロの実態が書かれている、ご覧あれ。
Daniel Barenboim (Jewish)と Edward Said (Palestinian)が1999年に立ち上げたプロジェクトで、バレンボイムが中東(イスラエル、パレスチナ、シリアほか)のMusiciansを率いたオーケストラが主たる活動(そのオケの名が West-Eastern Divan Orchestraである)。
ヨーヨーマが講師を務めるなど、まさしく世界連合のオーケストラだが、目的は、上記にリンクしているオフィシャルページにもあるように、政治的ににっちもさっちもいかなくなったユダヤとパレスチナの関係に一石を投じるというものだった。
以下がバレンボイムによる言葉。
Music teaches us that there is nothing that does not include its parallel or opposite as the case may be; therefore no element is entirely independent because it is by definition in a relationship of inter-dependence. It is my belief that although music cannot solve any problems, since it is as Busoni said “sonorous air”, it can teach us to think in a way that is a school for life. In music we know and accept the hierarchy of a main subject, we accept the permanent presence of an opposite, and sometimes even of subversive accompanying rhythms. 音楽が我々に教えてくれるのは、何かと何かがぶつかり合ったり平行線を辿るのは当たり前で、つまりどんなものも関係し合っているということ。音楽は、はじめっから相互依存する関係のなかにある。音楽がすべての問題を解決できるなんて思ってないけど(だって音楽ってのは「響き渡る空気」でしかないんだから)、人生の学校にはなるよ。音楽のなかでは、ある主題があったら、そのなかに階層が生まれることは当たり前だし、受け入れるものなんだ。正反対のものも、時には、ぶちこわしにするようなリズムも受け入れる(意訳)。
なんだか華厳経みたいだが、以前、音楽理論が次の時代を切り拓くパラダイムを提示してくれると思うと書いたことがあったけど、このイメージは、ハイデガーが書いていた「調和」のイメージと、どんなにたくさんの音があっても和音が構成されれば、ひとつの音のようになるというイメージが重なったからだった。
バレンボイムも書いているように、これが完全な解決をもたらすとは思わないけど今は亡きザイードともに応援したいですね。
それからオフィシャルページにある楽団員のArticlesの欄には、中東にいなければ書けないテロの実態が書かれている、ご覧あれ。