雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

外食

2013-03-31 11:09:21 | 料理
今週末は箱根に行っていたので外食三昧。

まずいさなとりで寿司。



相模湾の恵みに脱帽。

夕食は蔵樹。



初めてのホテルでスタッフは家族だけみたいで心配だったけど前菜からそれなりに緊張感があった。



続いて野菜のスープ。息子が偏食でこの手のものには手を出したことがなかったが、ぐいぐい飲んだ。



ステーキも素敵だったが、特筆すべきは山口の獺祭(純米大吟醸)がリーズナブルな価格で頂けるところ。

翌昼は、五年振りに自然薯のしずく亭。



相変わらず素朴だが、逆にごまかしがきかないシンプルさがよかった。

ご馳走様でした。



真剣

2012-09-06 10:57:45 | 料理
前々回紹介したフレンチに行った。

ここ10日間で3回目。

今のところ素材に重なりはあってもひとつとして同じ料理は出ていない。

今日のメインディッシュは鶏の胸肉だったが、これも初めてだし、



デザートも以下のように違っていた。



しかも今回初登場だったのが、グラタンだったのだが、たぶん想像しうるものではないと思う。

フレンチのソースとはこういうものだったのかと初めてわかった逸品だった。

お見せしたかったが、その迫力につい写真より先に食べてしまった。

真剣勝負はまだまだ続く。

酒と言葉と音楽の混然12

2012-08-30 19:52:34 | 料理
米の音楽会社と契約を交わしたばかりのT君と最近みつけたばかりのフレンチに行った。

本当は日本酒の店に行くつもりだったが、急遽僕のわがままで替えてもらった。

月曜日に知ったばかりなのだが、料理と真剣に向き合う料理人の作品の賞味は久しぶりだった。





料理はもちろんほかにもあったのだが、目の前の料理につい手が伸びて写真を撮れなかった(こういうのも久しぶり)。

それからもうひとつ特筆すべきは食材や調味料が自然食材であること。

お店は一切そうした宣伝はしていないが、今まで2回行ってまったく感じない(自然食材は当たり前というのもいいね)。

僕の場合有機農産物でないと、つまり農薬を一回でもしかも栽培前に土壌に使うだけでも背筋がぞっとするのだが感じなかった。

Pickyな娘も「今まで1番」との評価だった。

ただし料理屋の評価は1回ではできない。どうしても目先の違いに惑わされるからだ。というわけでこれから何度か行ってよかったら店名は紹介します。

T君とは何はともあれJazzの話。

Musicianでなければわからない話は実に貴重だった。

以前も紹介したが、MusicianなどのCreatorは自分の分野だけやっていればいいというのではない。

そんなわけで彼は文学から気功まで幅広く僕の関心事に付き合うことができた。

Wineのボトルはあっという間になくなったが、予算の都合で2本目は注文できなかった(自分としては奮発してみたつもりだったが、満足できるものではなかった。ソムリエの方にちょっと紹介してもらった美味しそうなワインの価格は50万で戦意喪失した)。

暑気払い

2012-08-11 09:18:22 | 料理
暑気払いといえばカレー。

しかし好みがある。

ぼくは、スパイスがそれぞれを殺しあわない、だからといって分離しているのではない状態のカレーが好きだ。

ここ5年はそんなカレーに会えなかった(娘が生まれる前に作ったきりだ)。

しかし市内の美術館付属のレストランにみつけた!!



何もかも申し分なかった。

すっかり気に入って入り浸っていたため、レストランの方々も僕らを recognize し始めたらしい(子連れだし目立つし)。

美術品は一切みずにレストランだけで帰るのはおそらく僕らだけだし。

デザートはメロン。



無農薬&無肥料でここまで糖度を上げられるんだから驚き。

Report 41

2011-11-03 23:32:27 | 料理
「臨界なかった」と断定 キセノンは自発核分裂 東電(朝日新聞) - goo ニュース

なかったとしてもかなり来た。

TVで東京電力の方が、臨界に達していたら一万倍になると説明していたが、1日は神奈川にいて、感知で0.08、普段の三倍弱。

2日から京都にいるが、通常の二倍以上はあると思う。

つまり今回の京都避難は避難になっていないということだ。

しかもホテルの風呂の水からは少なくとも自宅と同レベルの放射線があって娘とともに歯が痛かった。

僕の身体が複数あって、同時に東京、神奈川、福島にいられれば、放射線量の比較や放射線の波及の仕方がもう少し細やかにわかるのだが、少なくとも1日の神奈川と、2、3日の京都滞在を比較すると、あまり差がない。

一定以上の量の時はあっという間に放射線はかけめぐるようだ(予想していたことだが)。

そして京都の水がこれだけ汚染されることがかなりショックだった。

ただし今回も料理人たちが素晴らしい料理を披露してくれた。

先日触れたチョコレートは、前回は車で移動中に購入したため作り立てを頂かないで帰宅してから頂いたチョコについての感想だったが、今回はその場でいただいた。

まぎれもない逸品でそののびやかな感じと涼やかさに感服した。

チョコレートはやはり生ものなのだと痛感させられた。

しかし今回最も感動したのはそば。



身体がすいつくように求めた料理は何年ぶりだったろう。

我が家族は僕以外は基本的に肉が嫌いだが、嫌いなのに、「うまいうまい」と僕のをとった(汗)。

最も驚いたのは、肉を毛嫌いする妻が、僕の好物の軍鶏のモツをうまいうまいととったこと。

食べ終わって「これ肉なの?」と驚いていたが、驚いたのは僕の方だった。

report 29

2011-08-06 23:04:18 | 料理
何年ぶりだろう、回転寿司に行った。

気がのらなかったが、魚は日本海から九州、お米も有機農法のものだというので、試してみたい気になった。

しかし一番大事なものが欠けていた。

心である(回転寿司にもともとこれを求めるのは無理があるが)。

喰い物は製品ではない。

誰に対しても同じものを出せばいいわけではない。

出てきた寿司はみな、PCのように、既製品だった。

最近日本は安心して喰えるものが減っている。

が、それは科学でそう断じられたからというのでは長い食文化の伝統を持つ国としては寂しいと思う。

農作物など確かに心配だが、福島産は試してないが、茨城、千葉辺りであっても有機農産物ならいい「気」を発している。

食品は基本的に有機物だから全体の統合機関として「気」があって、手をかざせばその力は感じられる。

スーパーにある食品は、ほとんどこちらから気を奪うような食べ物だが、ホットスポットといわれる地域の農作物であっても、有機農産物で旬であれば、かなり気力は高い。

茨城、千葉だからといって一様に避けるのは、しきい値を設定して、危険か安全かを断ずるのと同じである。

みなさんには今こそ潜在的に眠る有機体としての力をみつめてほしい。

といいつつ、去年の夏のことだが、ひどい目にあった。

ある山間部をドライブ中、「無農薬」と大々的に書いたスイカを農家の方が売っていて、買ってみた。

路上駐車だったため発される気の量や種類を確認しなかったのがいけなかったのだが、帰宅後早速食してみると、背筋に冷たいものが走り、真夏なのにその後寒気が引かなかった。

手をかざしてみると思いっきり僕から気を吸っていた。

気の英才教育をしている娘は一口でやめた(今日の寿司も一皿目の一口目を食べるともう口にしなかった)。農薬を使ったかどうかなんてわからないと思っているのか、それとも無農薬だが化学肥料は使っていたのかわからないが、住所も電話番号もないため、問いただすこともできなかった。

放射性物質を軽んじたいわけではないのだが、有機物には有機物の力があって、放射性物質の量次第ではあるが、放射性物質に細胞が破壊されても力のある食材であれば、それを上回ることもあるといいたい。

その証拠ってわけじゃないが、一考というか記憶にとどめておいてもらいたいエピソードをひとつ。

前回のポストに登場したロシア通の方のことだが、このひととの付き合いも気功がらみだった。

この方は、1991年だったか、混乱期にモスクワにいて、ある日暴漢に襲われた。

正面から脳天に鉄パイプを喰らって気を失い、いろいろ暴漢が彼の荷物などを物色中に目が覚めたために再び赤レンガで後頭部を割られた。

気が付いたときどうやら自分は水たまりのなかにいるのだと思ったら、自分の血だまりで、そのまま病院に搬送されて一命を取り留めた(なぜか外務省か大使館はこの事件を報道しなかった、ただし現地ではそうした事件が二度と起きないようにブロックごとに警官がそれから立つことになった)。

もちろんそれだけが原因というわけではないが、彼は視力というか視覚がよくなかった。

数メートル先は、カメラのレンズの背景のようにゆがみ、二次元にしかみえないのだ。

そこで気功の視力回復を求めて僕のところにいらした。

実践してもらった結果、二次元だった視界が三次元になり、カメラではなく肉眼の見え方、つまりおぼろげだった部分がすべて研ぎ澄まされてみえるようになった。

彼は吃驚仰天で、その気功による視力回復の手引きには、数年もやれば視力は2.0以上になるとあるが、彼は全く疑わず、現在気功の修行に励むようになった。

これが我々有機物の潜在力ではないだろうか。

科学を捨てろとはいわないが、そこまで信頼することはない。科学は所詮諸刃の剣しか作れないのだから。

気の持ちよう19

2010-05-29 07:31:57 | 料理
最近帰路を共にする女性がいる。

中国語担当の方で、僕より年長だから「乙女」とは呼び難いが、楽しくご一緒させていただいている。

その理由はこの方とは気功の話ができるからだ。

数々の職場でも「気功」の話をすると笑われる。

笑われるだけでなく、せせら笑う。

それだけならまだましで、「こいつそういうやつだったのか?」とまじまじと僕をみつめ、その後は距離を置かれることもある。

だから僕としてはあまり口に出さないように気をつけてきた。

が、その方は中国語担当だから、本人はともかく、気功に携わっているひとに知己が多い。

そのため気の存在に違和感がなく、TVドラマの話をするように気の話をする。

実際、微力ながら治療もしてさしあげた。

語学屋の商売柄喉を痛めることがあるが、この女性も喉がかなり弱くなっている。

気功は粘膜系にはめっぽう強いので、ほんの30秒ほど真剣にやれば、一気に症状が改善する。

そのためか気の存在に違和感がないどころかその存在に対する疑念をかなり減じることができたと思っている(違和感がなかったからといってその存在を十全に確信していたわけではなかったから)。

更に遠隔もやってみせた。

気功は物理的な距離に制限がないから、ロンドンにいようがブエノスアイレスにいようが、おそらく火星にいてもその効能に変わりはない。

その女性も遠隔操作による気功の存在を少なくとも今ではそれほど不思議なものだとは思っていないと思う。

俄然気功の話が盛り上がる。

なにせ僕としては一番したい話ができるわけだからだ。

以前も書いたように僕は自己流なので日々実験を重ねているようなものだから、その結果を話せるのは楽しいどころかとっても貴重で、更なる実験の糧になる。

だから「秘奥義」の話もした。

というのも最近ちょっとした問題が起きていた。

母の持病である心臓がかなり悪質に暴れ始め、気丈な母が「来るべきときが来た」とメールをよこした。

秘奥義を使った。

もっともそれは現段階の僕にとっての秘奥義であってもっと上級者であれば当たり前の術だろう。

それは、気を送ったり作ったりするのではなく、自身が気化して、相手の肉体に入り、病状をコピーして出てくる、というものだ。

三日後母は嘘のように全快したとメールを送ってきたが、当然その病、弁膜症は僕に巣食った。

今度は僕がそれを吐き出さなければならなくなった。

が、心臓部分に鈍痛が続き、身体の右足に邪気がたまり始めた(僕の場合交通事故の影響で右足が弱いからだと思う)。

浄化を続けたが、よくなったものの完全に抜け切らなかった。

そこで、以下の林のようなタラの芽を頂いた。



すべて春一番の新芽で生命力の結晶といっていい。

食した数時間後、僕は倒れた。

身体中の主要経穴から僕にははっきりと聞こえたのだが、暴風のように気が発散した。

これまでこれほど大量の気感は感じたことがなかった。

無理矢理丹田に封じ込めることはできたが、意識しないと、怒涛のように噴出す。

その日は風呂も入らずにそのまま眠ったが、翌朝僕も全快していた。

なんて話ができるのは現在彼女だけだ。

カレー2

2009-12-11 21:09:59 | 料理
都職員賞与92万円 民間の3倍弱 格差鮮明に(産経新聞) - goo ニュース

以前も書いたけど、「公僕」がなぜこんなにもらえるのだろう。

公務員はクビがないわけだから、給料を民間の平均(以下)で十分だと思うのだが(もちろん特殊な技能や資格を有する場合も民間のそれに合わせて)。

これまでの地方公共団体や国がかかえる借金となったハコモノのの肩代わりは公務員や政治家のなかで片付けることにしてほしい(退職者の年金含む)。

天下りなどを禁止するより、公務員全体にいく全額に制限を設け、そのなかで勝手にぶんどりあうことにしてほしい(そうすれば公務員や政治家にもう少し自重がみられるようになるだろう)。

というのも国民が選んだ議員の失敗は国民全体でとるところに反省材料があったと思うからだ。

亀井がいうように、必要なときにはドンと出すは気前がいいようにいいようにみえるが、それが失敗した場合は、亀井とそれに振り回される友愛の民主党執行部には全財産をなげうってとってもらおう(民主党役員も命がけだといっていたではないか)。

金をもらって仕事してるんだから利益をあげて当然であり失敗したら失わなければならない。

さて、こうなってみるとネグリがいっていたマグニチュードもきちんと説明していないことがわかる。

かつてのような資本家と労働者の問題であれば、両者の関係は共に前者が後者の永続を求めなければならないという制約があった点で考えやすかったが、現在はその区別がなくなり、金の流れ自体がカレーのように複雑かつ流動的である。

そして以前も書いたように、金だけが増殖するマグニチュードのなかを勝手に動き回り、生身の人間はついていかれなくなる。

だからそうなる前に、各国家が共同戦線をすべきことは食糧確保である(なぜなら金と食糧の辻褄袷が難しいことが問題なわけだから)が、実現は難しい。

そうした移行が近代からみるとあまりに革命的だからである。

八卦

2009-11-26 21:31:31 | 料理
新型ワクチン、93人に重い副作用…死亡26人(読売新聞) - goo ニュース

ワクチンの話をみたりきくたびに、このワクチンの効く確率はどのくらいだろうか、といぶかる。

一般に薬の効能は、実効性が30%も確認されれば十分と聞いたことがあるからだ。

薬の実効性はRCTという方法によって確認されるが、これはプラシーボ効果の可能性を出来る限りなくすもの。

例えばある薬Aが本当に効くかどうかを調べるとき、被試験者にあらかじめ本物かニセモノが与えられるかわからないと告げておき、効果を調べる。

なんだか本当にこの検査が実効性がるのかわからないが、まず一番の問題は、個体差を全く考えないところ。

例えば僕に効いて友人には効かない場合ぼくと友人の体質ほかの環境的条件がその明暗を分けたことになるが、そんなことはこの試験では考えない。

だから実質ちょっとでも成功例があれば「薬」ということになって、あとは副作用の検査をする。

昨今「ワクチンの検査に慎重に」などとほざいているが、慎重になるのは効果ではなく副作用に対してという意味である。

そうした薬がわんさかあるから、よく病院で医師が、

「ちょっとこれで様子をみてみましょう」

などというのだ。

医師にしてもAを使ってダメならB、BでだめならCと換えていくだけで、悪く言えば「あたるも8回、あたらぬも8回」てな具合である。

昨今ではDNA検査の結果適合しそうな薬を出来る限り正確に選ぶことになっているが、そもそも選択肢が少ないのだから、「個別に適合」どころの話ではない。

つまり薬は一般的にいって効かない可能性の方がはるかに高いのだ。

というわけで新型ワクチンはもともとどのくらいの実効性があるとされて薬として認証されたかはわからない。

そこで我が家ではワクチンを受けるつもりは全くない。

僕が調合した大紅袍をはじめとする中国茶のブレンドが対策方法である。