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世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第14回 二月闘争〈上〉

2023年02月01日 | 妙法

【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第14回 二月闘争〈上〉2023年2月1日

  • 〈出席者〉谷川主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長
師弟直結で「壁」を破れ
青空に浮かぶ飛行機を池田先生がカメラに収めた(2000年2月、東京・大田区の羽田空港で)。大田は「二月闘争」の舞台となった地。先生は「故郷・大田の繁栄を、私は、いつも祈り見つめている」と万感の思いを寄せている
青空に浮かぶ飛行機を池田先生がカメラに収めた(2000年2月、東京・大田区の羽田空港で)。大田は「二月闘争」の舞台となった地。先生は「故郷・大田の繁栄を、私は、いつも祈り見つめている」と万感の思いを寄せている

 ◆梁島 「伝統の2月」がスタートしました。今回から「二月闘争」の精神について、お聞きします。1952年(昭和27年)2月、池田先生が支部幹事として指揮を執った蒲田支部は、「201世帯」の弘教を達成しました。当時、一つの支部で月100世帯前後の拡大が限界でした。
  
 ◇谷川 「二月闘争」は、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成へ、愛弟子である池田先生が突破口を開いた戦いです。そこには、現状を打破し、「壁」を破るための要諦が幾つも刻まれています。
 その一つは、広布拡大において、どこまでも“師弟直結”が根本であるということです。
 51年(同26年)5月3日、戸田先生は第2代会長に就任します。就任式の席上、戸田先生は「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と宣言しました。
 当時、会員数は実質3000余に過ぎませんでした。恩師の願業を耳にしたある青年部員は、「戸田先生は、相当長生きされるのだと思った」と述懐しています。聖教新聞でも、「75万世帯」の文字は報道されませんでした。
 その中で、池田先生は師匠の心をわが心とし、“戸田先生の願業を断じて実現してみせる”との誓いを定められたのです。
 ところが、52年1月の学会の入会世帯数は635世帯。75万世帯へは、はるか遠い道のりでした。同月、戸田先生は支部長会で、「『雁行進』は、今月をもって、一切、打ち切りとする」と訴えます。
 さらに、「いよいよ大を出すか」と、池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命します。戸田先生が池田先生に期待したのは、「突破口を開け」ということでした。
 1月29日、池田先生は東京・大田で行われた蒲田支部の緊急組長会で力説します。「2月は日蓮大聖人の御聖誕の月であり、また、2月11日は、戸田先生の誕生の日であります」
 「報恩感謝の思いで、この2月を戦いきり、見事な勝利の結果をもって、戸田先生にお応えし、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか」
 師匠の恩に広布拡大の証しをもって応える――池田先生の強い思いが蒲田支部の全同志に伝播し、拡大の火ぶたが切られたのです。

谷川主任副会長に話を聞く梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
谷川主任副会長に話を聞く梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
「新しい人」に「新しい力」が

 ◆林 池田先生は緊急組長会で、「組」(現在のブロック)で2世帯の弘教という目標を掲げました。
  
 ◇谷川 当時の最前線の組織である組には、新入会の友が多く、組単位の活動には反対もありました。しかし、池田先生は、「新しい力」に絶対の信頼を寄せていました。
 当時の心境について、こう述べています。「“新しい人”だからこそ、“新しい力”をもっている。それを引き出そう。新鮮な若芽のような“新しい息吹”もある。それを伸ばそう――そこに私の着眼点があった。いわば新思考である。“新しい発展”は、この“新しい発想”から生まれた」
 先生は、組単位の活動に光を当て、折伏の仕方が分からない友がいれば、一緒に仏法対話に歩きます。「新しい力」と共に動き、組織に眠っていた“新しいエネルギー”を引き出しながら、拡大の突破口を開いたのです。
 さらに、新たな人材への真心の励ましにも徹しました。
 励ましについて、先生はこう述べています。「人間は、励ましによって育っていく。そして、人を励ます作業とは、生命を、知恵を、力を振り絞って、相手の心の扉を開き、深く分け入り、発心のための養分を注ぎ込む真剣勝負の対話といえよう」
 広布のリーダーにとっては、“地域のどれだけのメンバーに激励できたか”という点も大切でしょう。とともに、“励ましによって、同志がどんな体験をつかむことができたか”は、それ以上に重要です。
 「二月闘争」では、先生の真心の激励によって、信心の歓喜のドラマが次々と生まれ、「壁」が破られていったのです。

蒲田支部の支部幹事として同志に励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から、内田健一郎画)
蒲田支部の支部幹事として同志に励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から、内田健一郎画)
自分がまず動く 自分の目標に挑む

 ◆田島 当時、先生は24歳でした。周囲は年上の先輩たちばかりでした。
  
 ◇谷川 信心に役職や年齢は関係ありません。大切なことは、広布をわが使命と定め、真剣に戦うことです。
 池田先生は自ら対話に率先しました。アパートの隣人など、身近に縁する方々とも対話の輪を広げています。
 先生は、「私は、まず自分が動いた。自分が挑戦した」「リーダーは、まず自分が動くことである。自分が自分の目標に挑戦することである」と振り返っています。
 若き先生の率先の行動は、蒲田支部の同志に勇気を送り、一人また一人と、地涌の使命に立ち上がっていきました。
 緊急組長会の後、先生は徹底して組織の第一線を駆け回りました。
 大きな会合に人を集め、号令や指示をしていたのではありません。最前線に飛び込み、同志とスクラムを組みながら、拡大に挑みます。
 その後の“文京支部での戦い”や「大阪の戦い」でも、先生は「リーダー率先」に徹し、最前線の友を鼓舞しながら、拡大の金字塔を打ち立てていきます。それらの戦いの原型は、「二月闘争」にあります。
 52年2月の1カ月で、201世帯の弘教を達成した蒲田支部は、3月、4月も200世帯を突破しました。5月には300世帯を超え、11月には400世帯を上回る拡大を成し遂げます。この年、会員数は2万2000世帯を超えました。
 先生はつづっています。
 「青年の私は、『二月闘争』を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。表面的な方法論ではない。学会は『一人立つ信心』そして『師弟共戦の信心』で勝つ、という永遠の軌道を固めた」
 先生がとどめられた勝利の方程式とは、策や方法ではなく、どこまでも、「師弟」と「信心」に立ち返ることにありました。それが、創価の青年が歩むべき“永遠の軌道”なのです。
  
 ◆先﨑 池田先生は「御義口伝」要文講義(「大白蓮華」2022年12月号)で、「師弟」と「信順」についても教えてくださっています。
  
 ◇谷川 要文講義では、次の一節が引かれています。
 〈文句の一に云わく「『如是』とは信順の辞なり。信ずれば則ち所聞の理会し、順ずれば則ち師資の道成ず」。詮ずるところ、日蓮等の類いをもって「如是我聞」の者と云うべきなり云々〉(新986・全709)
 この御金言を通して先生は、「信順とは、信じて順じる――教えに基づき生きる。つまり師弟の道です」と述べています。
 さらに、「師の言われたことの本質に肉薄し、それを過たずに実践する」「師弟こそ『如是我聞』の本質です。ここに『不信』を打ち破る要諦もある」と強調しています。
 まさに、「二月闘争」とは、戸田先生の言われることの本質に肉薄し、過たずに実践する戦いでした。
 「伝統の2月」の先陣を切るのは青年です。「伝統」とは、変わらないために、変わり続けることでもあります。師匠が示した広布の方程式は不変です。変わり続けるのは、自分自身です。
 自身の「壁」を破りながら、池田先生の指導を実践していく――その連続闘争で、勝利を飾る「凱歌の2月」にしていこうではありませんか。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第5巻「烈日」「驀進」
 ◆小説『新・人間革命』=第3巻「平和の光」、第29巻「力走」