小説「新・人間革命」に学ぶ 第30巻〈上〉 解説編 池田主任副会長の紙上講座2021年6月23日
- 連載〈世界広布の大道〉
今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第30巻〈上〉の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。
小説『新・人間革命』の最終巻となる第30巻は上・下巻にわたり、「大山」「雌伏」「雄飛」「暁鐘」「勝ち鬨」「誓願」の全6章で構成されています。
最初の「大山」の章は、1979年(昭和54年)が舞台です。第1次宗門事件の、山本伸一の真情とともに、5月3日・5日に認められた、「大山」「大桜」「共戦」「正義」の四つの揮毫についてつづられます。
これらの揮毫が公表されたのは、後年になってからです。「正義」は25年後(2004年10月)、「共戦」は30年後(09年4月)でした。
「大山」「大桜」は、2010年(平成22年)6月の本部幹部会で紹介されました。同幹部会は、池田門下にとって、一つの大きな節目でした。
池田先生が出席されず、「君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えている」とのメッセージとともに、二つの揮毫が初公開されたのです。
「大山」は、脇書に「わが友よ 嵐に不動の信心たれと祈りつつ」と記され、「いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない」(118ページ)との創価の魂が脈打っています。
「大桜」は、脇書に「わが友の功徳満開たれと祈りつつ」とあり、「どんな厳しい試練にさらされようが、仏法の因果は厳然である。全同志よ! 胸に創価の『大桜』をいだいて進むのだ」(119ページ)との思いが込められています。
「大山」の章で、伸一は訴えます。
「弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ」(85ページ)、「私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ! 皆が“伸一”になるんだ!」(86ページ)。
「山本伸一」の自覚で立ち上がるのは、「今この時」をおいてほかにありません。一人一人が「大山」のごとき不動の信心で、広布勝利の「大桜」を咲かせていく時です。
「雌伏」の章の連載は、2017年(平成29年)3月から6月にかけてでした。この時期、池田先生は、東京の各区を訪れています。
3月には、新宿の大久保・新宿若松・新宿平和会館の、3会館を視察。4月には、立川文化会館と豊島の東京戸田記念講堂を訪問します。さらに、6月は、荒川文化会館、中野南文化会館に足を運びます。
また同章では、東京を舞台にした伸一の激励行が描かれています。
1979年(昭和54年)、第3代会長を辞任した彼が、9月に30軒目となる個人指導に訪れたのは、狛江でした。隣接する調布への期待も記されています。同年12月には、荒川を訪問。足立にも思いをはせます。翌年2月には、目黒平和会館で同志を励まします。
79年11月、東京戸田記念講堂で行われた本部幹部会で、伸一は会長辞任後初めて、学会歌の指揮を執ります。「大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!」(169ページ)――指揮を通して、東京をはじめとした全同志に勇気を送りました。
この場面が掲載されたのは、2017年(平成29年)4月26日です。この日、池田先生は、東京戸田記念講堂に、66回目となる足跡をとどめられています。先生は初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生の肖像が掲げられた講堂で、対話拡大に力走する総東京をはじめ、全国の同志の勝利と幸福、健康・無事故を深く祈念されました。
「雌伏」の章には、「『仏法は勝負』である。ゆえに、広宣流布の戦いは、いかなる逆境が打ち続こうが、断固として勝つことを宿命づけられている」(170ページ)と書かれています。
「仏法は勝負」との一念に徹し、不可能の壁を破って広布の勝利を収める――それが、本陣・東京の責務です。
今月6日、6・6「欧州師弟の日」40周年を記念する「欧州誓願総会」が行われました。30カ国を超える欧州の友が参加し、「歓喜の歌」のハーモニーが、日本をはじめ、世界の同志に希望を送りました。
「欧州師弟の日」の淵源は、1981年(昭和56年)6月6日にさかのぼります。伸一は、牧口先生の生誕の日に、欧州研修道場で開催された夏季研修会に出席し、こう提案します。
「この意義深き日を、『欧州の日』と定め、毎年、この日を節として、互いに前進を誓い合う記念日としてはどうか」(410ページ)
81年は、1月から3月にかけての北・中米訪問、5月から7月までのソ連・欧州・北米訪問と、池田先生が世界各地を回り、激励を重ねた年でした。
「雄飛」の章では、この年が「反転攻勢を決する年」(318ページ)であり、「いよいよ全世界の同志と共に世界へ打って出て、本格的に広宣流布の指揮を執らねばならない」(同)と、伸一の思いがつづられています。
5月、伸一は「トルストイの家」(旧ソ連)や「ゲーテの家」(旧西ドイツ)に足を運びます。伸一は、文豪たちが生涯、執筆を続けたことに思いをはせ、自身は53歳であることから、「人生の本格的な闘争は、いよいよこれから」(357ページ)と、命ある限り行動し、ペンを執り続ける決意をみなぎらせます。
79年4月の第3代会長辞任後、伸一の行動が聖教新聞に報道されることは、わずかでした。反逆者や宗門の画策によって、会合で指導したり、その指導を機関紙に掲載したりできない状況が続いていました。
しかし、80年(同55年)4月30日、伸一の長崎での激励等の記事が聖教1面に掲載されます。その後、7月に聖教新聞で伸一執筆の「忘れ得ぬ同志」が開始となり、8月には小説『人間革命』第11巻の連載が2年ぶりに再開されます。
アメリカ広布20周年を記念する諸行事に出席した秋の訪米では、伸一の写真が聖教新聞を飾り、81年の海外指導でも、彼の激励の模様が掲載されます。SGI会長として、伸一は海外から日本の友に、聖教新聞を通して勇気を送りました。
「どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。智慧と勇気の闘争だ」(140ページ)――伸一は、最愛の同志を鼓舞するため、「智慧と勇気の闘争」を貫いたのです。
80年(同55年)11月18日、学会創立50周年を慶祝する式典で、伸一は師子吼します。
「今日よりは、創立百周年をめざして、世界の平和と文化、広布のために、心新たに大前進してまいろうではありませんか!」(317ページ)
学会創立100周年への初陣となる本年を、池田門下の「智慧と勇気の闘争」で勝ち開いていきましょう。
弟子のために道を開くのが師である。そして、その師が開いた道を大きく広げ、延ばしていってこそ、真の弟子なのである。(「大山」の章、71ページ)
何があろうが、広宣流布の軌道を外さず、自ら定めたことを、日々、黙々と実行していく――まさに太陽の運行のごとき前進のなかにこそ、人生の栄光も広布の勝利もある。(「雌伏」の章、126ページ)
何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です。(「雌伏」の章、178ページ)
「励ます」という字は「万」に「力」と書く。全力を注ぎ込んでこそ、同志の魂を揺り動かす激励となるのだ。(「雄飛」の章、289ページ)
どんな体制の社会であろうが、そこに厳として存在する一人ひとりの人間に光を当てることから、私たち仏法者の運動は始まります。(「暁鐘」の章、352ページ)