〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 創価の女性は希望の太陽! 2020年6月1日
我らの殉教の師・牧口常三郎先生は、六月六日、数え年で百五十歳の誕生日を迎えられる。
四日は、世界の“華陽姉妹”、女子部の記念日であり、十日は婦人部の結成記念日である。
この六月を「希望の絆 女性月間」と掲げ、婦女一体で朗らかに前進すると伺い、牧口先生の生誕月への何よりの祝賀と、妻と共に見つめている。
牧口先生が学会草創の女性たちによく語られた御聖訓がある。
「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)
先生は「太陽が昇った瞬間から大地はパッと明るくなる。天を晴らすような信心で、生活を照らしていきなさい。悩みも発条にして!」と励まされていたのである。
先生ご自身が若々しい開かれた心で、常に皆と一緒に生活を彩りながら価値創造しておられた。
十代の乙女を激励された折には、趣味を尋ね、「音楽」との答えに、「あなたの好きな音楽を、私も一緒に聴かせてもらおう!」と応じたという。
今、世界のいずこでも、女子部の友が、さまざまな困難にも負けず、「華陽の誓い」の歌さながらに「太陽の心で」、若き命を輝かせ、創意工夫して励まし合い、清々しく進んでいる。
その伸びやかな桜梅桃李の青春の舞こそ、先師も願われていた、創価の希望の光なのだ。
女子部のシンボルは「すずらん」、そして婦人部は「白ゆり」である。二つの花が初夏を飾るように、婦女の麗しいスクラムは、地域へ、社会へ、世界へ、「幸福の花束」を贈り広げていくのだ。
「白ゆりの
香りも高き
集いかな
心の清き
友どちなれば」
一九五一年の六月十日、婦人部結成の会場に大輪の白ゆりを生けてくれた陰の心遣いに応え、恩師・戸田城聖先生が詠まれた歌である。
先生は皆に聞かれた。
「いずれ、日本中、折伏に行ってもらいたいが、みんな行けるかね」
その時、間髪を容れず
「はい! どこでも行かせてもらいます」と手を挙げたのは、まだ二十代の女性であった。二人の幼子を抱え、経済苦の中、必死でやりくりする毎日で、遠出など思いもよらなかったが、学会精神は赤々と燃えていたのだ。
「心こそ大切なれ」と、戸田先生は、その師弟の呼吸を喜ばれた。それは今のヤング白ゆり世代にも受け継がれている。
さらに韓国・釜山出身の女性は、当時、戦乱に引き裂かれていた祖国の平和と民衆の安穏を祈ってやまぬ熱情を吐露した。東洋広布、世界広布への先駆も婦人部であった。
思えば「ヤマユリ」は、秋に種が大地に落ちた後、ふた冬を越して初めて発芽し、花が咲くまでに、さらに三年はかかるといわれる。
けなげな婦人部の心の「白ゆり」も、厳しき冬を耐え抜き、勝ち越え、気品と福運の大輪を咲き薫らせてきたのだ。
試練の今、「末法における所作は、忍耐しかない」との恩師の指導があらためて思い起こされる。
信仰を根本とした“女性の組織”の始まりは、釈尊の時代に遡る。
そこには師弟の絆があり、善き友の絆があった。女性たちは、生老病死の苦悩に向き合う一人ひとりに寄り添い、希望の絆を結んでいったのだ。
勝鬘経という大乗仏典に説かれる勝鬘夫人が、師の前で凜然と誓った言葉は胸を打つ。
“私は、孤独や不自由に陥っている人、病気や災難、貧困に苦しむ人を見捨てません。必ずその方々を安穏にし、豊かにしていきます”
まさに「一人も置き去りにしない」との誓いだ。
女性として最初の仏弟子となった摩訶波闍波提比丘尼は、釈尊の叔母にして育ての母であった。彼女には幾多の女性の仏弟子が続いた。
「法華経勧持品」では成仏の記別を受け、「一切衆生喜見如来」――“誰もが喜び仰ぎ見る仏”となることを約束された。
日蓮大聖人は、幾度もその名を挙げ、“この先駆者の列に連なっていくのです”と、富木尼や乙御前の母、妙法尼たちを励まされた。人びとの幸福勝利の門を開きゆく使命を教えられたのである。
佐渡の千日尼と国府尼の睦まじい団結には「同心」と讃えておられる。
また、ある女性門下に、“同志と常に連携を取り、(この手紙を)一緒に読み合っていきなさい”とも示されている。
どこまでも妙法の同志と共に生き抜くのだ。異体同心で進むのだ!――御本仏の願いが胸に迫ってくる。
いかなる苦難に遭おうとも、創価家族の心の絆が断ち切られることは絶対にない。
今この瞬間も、電話や手紙、メールなどで、「あの人はどうしているだろうか」「この人を励ましたい」と、やむにやまれぬ思いを届ける同志が世界中にいる。
友の辛労に同苦し、無事安穏を祈る。周囲に心を向け、相手を気遣う。明るく賢く、大らかに、声を掛け合い、共に笑う――それ自体が、社会の中の分断を埋め、心と心を結び、希望の橋、信頼の橋を架けているのだ。
六月六日は、「欧州師弟の日」でもある。
コロナ禍が続く過酷な状況の中、不屈の「生命尊厳」と「人間主義」の哲学を掲げて、社会に貢献する欧州の同志の様子は、聖教新聞の連載「世界の友は今」などでも紹介され、大きな感動を広げている。
この五月三日、御書の「一生成仏抄」の講義が、スペインの自治州の公用語のガリシア語、バスク語で翻訳発刊された。
この出版を紹介したガリシアの地元新聞には、「『一生成仏』という深遠な哲理は、集団的エンパワーメント(内発的な力の開花)の根源として一個人のエンパワーメントを指し示している」と論じ、それは「二十一世紀の希望に満ちた未来を切り開く力となるであろう」と記されていた。
記事が掲載された五月十七日は「ガリシア文学の日」であった。これは十九世紀、ガリシア文芸復興の幕を開いた女性詩人、ロサリア・デ・カストロの詩集が発刊された日を記念するものである。
ガリシアは、スペイン北西端に位置し、古代のケルト文化、ローマ文化につながる誇り高き歴史の天地である。彼女は愛する故郷を「この世で最も美しい」と詩に讃え、「苦しみ」と「痛み」を、「喜び」と「慰み」に変えるために、微笑みながら、歌い続けようと呼び掛けた女性であった。
今回、『一生成仏抄講義』の翻訳を担われたのも、ガリシア出身の聡明な女性リーダーである。
世界中で、尊き広宣の女性が社会に根を張り、生き生きと貢献している――ここにこそ、確かな「一生成仏」即「立正安国」の実像がある。
初めての欧州歴訪の折(一九六一年)、芸術の都・パリの街角で、何枚かの絵を買い求めたことがあった。
その一枚に、少し頰を染めた初々しい娘と、そこに訪ねてきたとおぼしき青年が語らっている版画がある。絵から伝わるのは若き生命の輝きだ。
私はこの絵を、文豪ビクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』に登場する青年マリユスと乙女コゼット、そして、わが男女青年部になぞらえて眺めるのが常であった。絵の裏には「いつまでも青春であれ」と記した。
もう一枚、居間でくつろぐ夫婦と幼子を描いた版画もある。
清楚なたたずまいの母親は縫い物にいそしみ、寄り添う父親には子どもたちがまつわり離れない。愛犬も一緒だ。平凡だが、母の笑みを中心に心豊かで充実の時間が流れている。
多忙な学会家族の各家庭でも、母を大切に団欒あれ、と願いを込めて、私はこの絵を「一家和楽」と呼んでいた。
画面右のテーブルに開かれた分厚い本は、学びと向上の意欲を象徴しているのであろうか。
牧口先生に連なる学会の世界には、隅々にまで「学び」の息吹が漲っている。ゆえに何があっても行き詰まらないのだ。
女子部が研鑽に励む“華陽会御書”の一つに「一生成仏抄」がある。その中の「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(御書三八三ページ)との仰せは、求道の乙女たちも深く命に刻んでいる。
何があろうが、信心さえ揺るがなければ、絶対に幸せになれる! 一切を勝ち越えていける!
これが妙法の女性の確信だ。だから強い。負けない。凜として朗らかだ。苦労があるから題目もあがる。智慧も勇気も力も出る。皆を励ませる。自他共に真の幸福を味わうことができるのだ。
私の会長就任の年に入会した今年百歳の東北の慈母が、人生勝利の極意を語っておられた。
「心にダイヤモンドを持てばええ。自分が光ればええ。そのための信心だでば」「大丈夫だ。信心、一生懸命やるべし」と。
一九六〇年の年頭、私は日記に書き留めた。
「世界一の婦人団体、文化の団体、婦人解放の組織、そして、主体性ある近代の人間性の団体、生活向上の団体、これ、創価学会婦人部の異名か」
まぎれもなく今、創価の母たちの団結は、この願望の通り、いな信念の通りに、世界第一の平和と文化の光彩を放っている。“第三代”の六十年は不二の女性たちの祈りと勇気と慈愛の行動で、断固と勝ったのだ!
大切な大切な一人ひとりの、いよいよの健康と幸福と長寿を祈りたい。
そして、「創価の太陽」のスクラムよ、どんなに時代の苦悩の夜が暗くとも、一つ一つ変毒為薬して闇を打ち払い、地球の明日を照らし晴らしてくれ給え!と、強盛に題目を送る日々である。
(随時、掲載いたします)
桑原真夫著『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)所収の「ガリシアの歌」を参照・引用。
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