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生活に生きる仏教

2011年05月19日 | 詩・ポエム・文芸

有頂天 

 得意の絶頂にあったり、物事に熱中して我を忘れたりすることを『有頂天になる』といいます。この言葉は、もとは仏教用語に由来します。仏法では、欲求や欲望が満たされて喜びに満ちた生命境涯のことを『天界』と呼びます。

欲望にも、物質的欲望から精神的欲望まで、さまざまあることから、天界もいくつかの段階に分かれます。『有頂天』は、その一つの“世界”の頂点です。

しかし、頂点であっても、それは決して長続きするものではありません。そうした喜びが永遠であるかのように思うのは、錯覚であり、一時的、表面的な幸福感にすぎません。財産や地位、名声などは、バブルのようにはかないものです。あるいは、知的欲求が満たされたり、精神的な充足があっても、最終的には人生の無常を免れることはできません。

それらの事象の根本にある普遍的な価値を追求するのが仏法です。周囲の環境に一喜一憂することなく、主体的に幸福の道を切り開いていく強い身分を鍛え上げることが、仏法の目的なのです。 


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