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〈栄光の共戦譜〉第11回

2022年11月15日 | 妙法

〈栄光の共戦譜〉第11回 1970年(昭和45年)「革新の年」2022年11月15日

師弟の誓いを断じて果たす  

 池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる“学会の原点”を確認していく。第11回は、「革新の年」と銘打たれた1970年(昭和45年)を掲載する。

「5・3」750万世帯達成の本部総会
300万世帯達成が発表された本部幹部会で登壇する池田先生(1962年11月、東京体育館で)。この8年後に750万世帯を突破する
300万世帯達成が発表された本部幹部会で登壇する池田先生(1962年11月、東京体育館で)。この8年後に750万世帯を突破する

 池田先生の第3代会長就任10周年を刻む1970年(昭和45年)の1月28日、学会本部で開催された総務会で、会員750万世帯の達成が報告された。
 66年11月末、学会は600万世帯を成就し、69年5月3日、先生は翌年の5月3日までの指標として750万世帯を掲げた。
 70年に入り、「言論問題」によって、学会に対する理不尽な非難中傷の嵐が吹き荒れた。創価の師弟は逆境をはね返し、目標よりも3カ月以上も早く“拡大の金字塔”を打ち立てたのである。
 75万世帯の弘教という目標が発表されたのは、51年5月3日、戸田先生の第2代会長就任式だった。若き池田先生が広布の大波を起こす中、57年12月、師弟の誓願は成就する。
 60年5月3日、第3代会長に就任した池田先生は、恩師の遺言である300万世帯を誓いに立て、わずか2年後の62年に達成。
 750万世帯は、戸田先生が宿願とした75万世帯の10倍の勢力であり、日本一の大教団へと発展した学会の、「宗教界の王者」の証しにほかならなかった。
 70年4月2日、戸田先生の十三回忌大法要が営まれ、池田先生は亡き恩師に報告した――「先生! 広宣流布の流れは、遂に渓流より大河の流れとなりました」
 学会は「創業の時代」「建設の時代」から、いよいよ「完成期」に入ろうとしていた。5月3日の本部総会で、先生は同志に新たな広布観を示した。
 「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」
 さらに、広布の基盤が盤石に整ったことから、「ブロック」組織への移行が発表された。紹介者と新入会者というつながりである従来の「タテ線」を基調にした組織から、現在につながる、地域を基盤とした「ヨコ線」へと活動の舞台が移ったのである。
 先生は、学会員が中心になって、地域社会に、人間と人間の、強い連帯のネットワークをつくり上げなければならないと考えていた。それこそが、現代の社会が抱える、人間の孤立化という課題を乗り越え、社会が人間の温もりを取り戻す要諦だと、先生は学会のみならず、社会全体の未来を見据えていた。
 創価の同志は、そうした師匠の思いに呼応し、使命の地域で平和と友情のネットワークを広げてきた。地域を照らす対話運動の社会的意義について、多くの識者も共感の声を寄せる時代となった。
 コロナ禍によって、社会的孤立の深刻化が懸念されている。人間と人間の“心の絆”を強めゆく創価の同志の実践は、輝きを増している。

「6・27」未来会を結成

 「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
 1970年(昭和45年)5月、学会を揶揄するような、意地の悪い質問も飛び交う記者会見の場で、池田先生は毅然と語った。「言論問題」の渦中だった。
 この障魔の嵐の中にあって先生は、“自分の手で、本物の人材を育てよう”と、6月27日に神奈川・箱根の研修所(当時)で、未来を担い立つ高・中等部、少年・少女部の代表と共に、野外での研修会を行った。
 集まった鳳雛たちに対し、先生は「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい」と訴えた。さらに、将来、次代を担う文学者、科学者などが誕生しゆくことを望んだ。
 そして、学会の未来を託す後継者として、参加者によって「未来会」が発足。以後、全国各地で同会が結成されていった。師匠の手作りによって、広布のリーダーや、各分野で活躍する社会の第一人者が巣立っていったのである。

1979年1月、東北各地で未来会が結成され、青森の結成式は青森文化会館(当時)で行われた
1979年1月、東北各地で未来会が結成され、青森の結成式は青森文化会館(当時)で行われた

 師の未来部に対する期待に応え、“未来の宝”の成長を図るための取り組みとして、この年、小・中学生文化新聞(当時)主催で、第1回となる作文コンクールが行われた。
 11月29日、聖教新聞社で開催された授賞式の終了後、社内を見学する未来っ子たちのもとへ、先生が激励に訪れた。
 「あっ、池田先生だ!」
 皆の瞳が輝いた。先生は抱きかかえるように励ましを送り、作文コンクールの歴史に心温まるドラマが刻まれた。
 作文コンクール以降、読書感想文や絵画展もスタート。E―1グランプリも含め、各種コンクールは未来部の伝統となっている。
 先生は、未来部育成における地域の同志の使命を強調している。
 「『未来』を担い立つ子どもたち、青年たちのために、深き慈愛をもって道を創りゆく、創価家族の献身こそ、『仏の御心』を体現した姿にほかならない」
 創価家族の真心からの励ましこそ、“後継の宝”を育む、かけがえのない陽光である。

第4回の絵画展を池田先生ご夫妻が丹念に鑑賞。少年少女たちの力作をたたえた(1990年1月、横浜市の戸田平和記念館で)
第4回の絵画展を池田先生ご夫妻が丹念に鑑賞。少年少女たちの力作をたたえた(1990年1月、横浜市の戸田平和記念館で)
◆年表◆
1970年

 〈1月1日〉
 聖教新聞に詩「革新の響」を発表
  
 〈1月28日〉
 学会本部で総務会を開催
 学会世帯数750万世帯の達成を発表
  
 〈2月9日〉
 小説「人間革命」第6巻の聖教新聞連載を開始。体調が優れないため、口述をテープレコーダーに吹き込み、連載を続ける
  
 〈4月2日〉
 戸田先生の十三回忌大法要(静岡)
  
 〈5月3日〉
 第33回本部総会(東京)
 「広宣流布は流れの到達点ではなく流れそれ自体」であり、また「“妙法の大地に展開する大文化運動”である」と定義づける。
 言論の自由を守り抜くことを総意として確認し、創価学会と公明党の関係について、学会は支持団体であり、組織的には双方を明確に分離すると表明。
 さらに21世紀を展望し、人間が科学技術の奴隷となるのではなく、科学技術を使いこなしていく「人間の世紀」としなければならないと強調。創価学会は人間生命の開拓による新しい文化の母体として社会に貢献していきたいと方向性を述べた。
 また、従来の紹介者と新入会者とのつながりを基調とした組織(「タテ線」)から、地域を基盤としたブロック組織(「ヨコ線」)への移行等を発表。組織が整備され、「支部―地区―班―組」から「総ブロック―大ブロック―ブロック」などとなる
  
 〈6月27日〉
 高・中等部、少年部の野外研修で東京未来会第1期を結成
 民衆を守り、幸福にするために、しっかり勉強してほしいと語る(神奈川)
  
 〈8月31日〉
 関西指導(~9月3日。大阪、京都)
  
 〈9月13日〉
 富士合唱団の第1回定期演奏会(東京)
  
 〈10月8日〉
 ’70東京文化祭(東京)
  
 〈10月18日〉
 九州指導(~20日。福岡)
  
 〈11月2日〉
 創価学園の第1回鳳友祭(東京)
  
 〈11月3日〉
 第1回学術部総会に詩「熱原の三烈士」を贈る
  
 〈11月12日〉
 関西指導(~14日。大阪)
 ’70関西文化祭(12日)
  
 〈11月29日〉
 小学生文化新聞および中学生文化新聞主催の第1回作文コンクール授賞式の出席者を激励(東京)
  
 〈12月6日〉
 第19回男子部総会に詩「青年の譜」を贈る
  
 ※年表は『栄光の共戦譜』から転載

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