〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 創立の魂を永遠に 11月16日
今、夜明け前、東天に鮮烈に輝く星がある。「明けの明星」たる金星だ。時に月と仲良く並んで、日の出を待ち受けることもある。
法華経の会座に、「普香天子(明星天子)」として、「宝光天子(太陽)」と「名月天子(月)」と共に眷属を率いて連なる諸天善神である。
この「三光天子」たちも、人知れず寒風を突いて、聖教新聞を配達してくださる気高き“無冠の友”の方々へ、福徳の慈光を注いでいるであろう。
どうか、風邪などひかれませんように!
心からの感謝を込め、健康長寿と絶対無事故、そして、ご一家の安穏と栄光を、皆で祈りたい。
希望は人生の宝なり。
勇気は勝利の力なり。
この「希望」と「勇気」を、逆境であればあるほど、いよいよ強く明るく賢く発揮していく方途を教えてくださったのが、日蓮大聖人である。
御書には仰せである。
「月はよい(宵)よりも暁は光まさり・春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり」(一五〇一ページ)
月は、闇が最も深い暁ほど、また寒さが厳しく、空気が澄んでいる秋や冬ほど、光が冴える。同じく、人びとが苦悩の闇に覆われる末法ほど、妙法の功徳はいやまして輝くと示されている。
日本も世界もコロナ禍が打ち続き、先行きの見えない不安に襲われる中にあって、わが創価家族は祈りを絶やさず、励ましの声を惜しまず、一人また一人と、友の心に、同志の胸に、希望と勇気の光を届けてきた。
まさに「時」を逃さず、「信心即生活」「仏法即社会」の大使命を果たし抜いているといってよい。
創立九十周年を飾る今、誉れの同志は、地域と社会の依怙依託として一段と輝きを増し、友情と信頼を勝ち結んでいる。
その福運も、どれほどの豊かさと広がりをもって顕れることだろうか。
創立の師・牧口常三郎先生も、戸田城聖先生も、さぞ、お褒めであろう。
「君も勇敢であった」「あなたも忍耐強かった」「私も負けなかった」「私たちは断固と勝った!」
全世界の宝友と互いの奮闘を労い讃え合いながら、我らの「創立の日」を祝賀しようではないか!
「11・18」は、牧口先生が、日本の軍国主義の横暴に屈せず、不惜身命、死身弘法の殉教を遂げられた日でもある。
先生の信念は、不当に逮捕され、牢につながれても、微動だにしなかった。一年四カ月に及ぶ過酷な獄中闘争の間、家族に宛てられた手紙には、「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=ほんのわずか)です」等と綴られている。
先生ご所持の御書には、「開目抄」の一節「大願を立てん」の箇所に二重線が引かれ、欄外に大きく赤い文字で「大願」と記されていた。
「創立」の魂とは、「誓」を「立」てることだ。
牧口先生は、いかなる状況にあっても、人類の幸福と平和を実現するという創立の誓願を絶対に手放されなかった。
どんな大難の嵐が吹き荒れようとも「風の前の塵なるべし」(御書二三二ページ)との大確信で、勇猛精進され続けたのである。
インド独立の父マハトマ・ガンジーも、植民地支配からの解放を求めて非暴力・不服従の運動を起こし、何度も投獄された。中でも、有名な「塩の行進」を敢行したために牢獄に入ったのは、学会創立の年と同じ、一九三〇年であった。
ガンジーは、獄中から弟子に「誓願の重要性」について書き送っている。
「誓いをたてるというのは、不退転の決意を表明すること」「なすべきことを、なにがなんでも遂行する――これが誓願です。それは不抜の力の城壁になります」
過日の「世界青年部総会」で、五大州の創価の青年たちは、三代を貫く誉れの「誓」を胸に刻み、創立百周年へ出発してくれた。これほど嬉しく、頼もしいことはない。
必ずや世界広宣流布を成し遂げてみせる!――この誓願に地涌の青年が一人立つところ、いずこであれ、「人間革命」と「宿命転換」の新たな劇が幕を開けるからだ。
試練の時代に敢然と躍り出る、わが後継の愛弟子たちへ、私は若き日に書き留めた戸田先生の指導を贈りたい。
「苦しみが大きければ、大きいほど、その後にくる楽しみも大きい。苦しさと、真正面からぶつかって、南無妙法蓮華経と唱え切りなさい。苦しいときも、楽しいときも、御本尊を忘れるな」と。
学会創立の原点の書『創価教育学体系』は、世界大恐慌の苦難の時代に、牧口・戸田両先生も自ら人生の辛苦を耐え抜き、発刊された。
牧口先生は、価値創造の教育によって、若き命が一人ももれなく幸福を勝ち開き、やがて「人類の永遠の勝利」をもたらしゆくことを願われた。
戸田先生も、教育の英知を光源として宗教の独善を退け、普遍的な平和の光で「地球民族」を結ぶことを展望された。
今、コロナ禍で、教育の場が、かつてない制約を受ける中、創価大学、東西の創価学園、アメリカ創価大学、ブラジル創価学園、また札幌、香港、シンガポール、マレーシア、韓国の創価の幼稚園では、皆が負けじ魂を燃え上がらせ、学び、鍛え、凜々しく、たくましく成長してくれている。
かのトインビー博士も創価教育に大きな期待を寄せてくださっていた。
博士が絶賛し、「イスラム世界の英知」とも評される大歴史家にイブン・ハルドゥーンがいる。十四世紀に大流行した疫病(黒死病)の脅威と向き合った学者でもあった。
十六歳の時に両親を黒死病で失うなどの悲嘆を乗り越え、あらゆる経験を後世のために書き残すという“終生の使命”を自覚したのだ。主著『歴史序説』で、その労作業の意義を誇り高く語った。「かならずや後世の歴史家が見倣うべき手本となるであろう」と。
自身の悲哀や艱難を越え、「未来のために」との誓いを貫く時、青年は限りなく強くなる。偉大な智慧、偉大な創造、偉大な連帯を築けるのだ。
今、創価の若人たちが世界の諸課題に挑み、人びとの心を、分断から協調へ、不安から安心へ、不信から信頼へと転じゆく知性と誠実の対話を、一人また一人と拡大する――この粘り強い開拓こそ、後世の人類の希望となり、鑑となると、私は確信してやまない。
明二〇二一年、我らは、御本仏・日蓮大聖人の「御聖誕八百年」の大佳節を迎える。
大聖人は「報恩抄」で、「源遠ければ流ながし」との譬喩に続けて仰せだ。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし」(御書三二九ページ)と。
この御本仏の無量無辺の「慈悲曠大」を、健気な母たちをはじめ、無名の民衆が真っすぐに受け継ぎ、百九十二カ国・地域へ、妙法を弘め抜いてきたのが、創価学会である。
あの地も、この国も、まさに尊き“一粒種”の一人、ごく小さな集いから全てが始まった。“ガンジスの大河も一滴から”という言葉の通りだ。
しかし、それは、微弱な“一滴”では断じてない。「大海の始の一露」(同一二四一ページ)である。「大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり」(同一二〇〇ページ)と仰せの如く、無限にして尊極の可能性を具えた一人ひとりの生命なのだ。
誰もが、経済苦、失業、病気、家庭不和等々、あらゆる苦悩を抱えながら、宿命の嵐と戦っている。社会全体が戦乱や災害、疫病等に脅かされる場合もある。苦難の中で生きねばならないのが、人間の厳しき現実だ。
戦後、学会が再建の歩みを開始した当時、「幸福」という言葉など自分には無縁だ、と人生を絶望していた庶民は少なくなかった。その凍え切った心の中に、人間の尊厳の熱と輝きを蘇らせ、胸を張って立ち上がる勇気を鼓舞してきたのが、学会の父母たちである。
今この瞬間にも、「何としても、この人を励ましたい」「苦しむあの人を助けたい」と自行化他の題目を唱え、行動する同志がいるではないか。
自らも苦悩の中でもがき戦いながら、縁を結んだいかなる友も放っておけない、一緒に勝利しようと懸命に励ます心は、すでに仏の「慈悲曠大」と一体であり、その振る舞いは「人を敬う」不軽菩薩そのものである。
末法の一切衆生を救わんとの大聖人の大慈大悲を源として、「不軽」そして「地涌」の振る舞いを地域に社会に広げ、永遠なる人類の幸福と平和の大潮流を起こしていく。ここに、広宣流布の大いなる意義があるのだ。
牧口先生が殉教されたのは、一九四四年十一月十八日の朝六時過ぎであった。しかし、その死は、奇しくも同じ獄中で地涌の使命を覚知された戸田先生の新たな生の出発と結びついている。広布に一人立つ闘魂が、妙法の誓火をつなぐのだ。
「妙とは蘇生の義」(御書九四七ページ)である。
師弟は不二であるゆえに、後継の弟子は、創立の師の「師子王の心」を、わが命に、毎日毎朝、蘇らせて立つのである。
牧口先生の如く、戸田先生の如く、我らは「広宣流布の闘士」として、すなわち「正義と人道と平和の価値創造者」として、日に日に新たに、師弟の共戦譜を勝ち光らせていこうではないか!
(随時、掲載いたします)
<引用文献>ガンジーの言葉は『獄中からの手紙』森本達雄訳(岩波書店)、イブン・ハルドゥーンは森本公誠著『イブン=ハルドゥーン』(講談社)。