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小説「新・人間革命」に学ぶ 第25巻 名場面編 2020年11月11日

2020年11月11日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第25巻 名場面編 2020年11月11日

  • 連載〈世界広布の大道〉

絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第25巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎。

ちゅうに燃え立つ広布のとうこん

 〈1957年(昭和32年)7月、青年部の室長の山本伸一は、大阪事件で不当逮捕される。文京支部に所属する福島の同志は、支部長代理を務める伸一が打ち出した“一班一〇闘争”(班10世帯の弘教)の大勝利を、いっそう固く誓い合い、奮闘した〉

 メンバーのなかに、一カ月前に、勤めていた会社が倒産してしまった壮年がいた。二人の子どもは病弱で、生活は逼迫していた。その彼が、弘教のために、二十キロほど離れた友人宅を訪れた。話に夢中になり、終列車を逃してしまった。やむなく、列車の線路に沿って歩き始めた。

 彼は、この日、仏法対話の最後に、友人が放った言葉が、胸に突き刺さっていた。
 「人の家に、宗教の話なんかしに来る前に、自分の仕事を見つけてこいよ。それに、そんなに、すごい信心なら、なぜ、子どもが病気ばかりしているんだ!」(中略)
 友人は、終始、薄笑いを浮かべ、蔑むような言い方であった。

 夜道を歩き始めると、無性に悔しさが込み上げ、涙があふれて仕方がなかった。涙に濡れた頰に、ピシャリと水が滴り落ちた。雨だ。あいにく傘は持っていなかった。雨は、次第に激しくなっていった。(中略)

 二時間ほど歩いたころ、文京支部の会合で山本伸一に激励されたことを、ふと、思い起こした。
 「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです」(中略)

 壮年は、伸一の指導を思い返すうちに、“山本室長は、今ごろ、どうされているのだろうか”と思った。(中略)
 “室長は、学会の正義を叫び、必死に獄中闘争を展開されている……。その室長と比べれば、自分は、なんと恵まれた環境にいるんだろう。こんなことで、弱気になったり、負けてしまったら、室長は慨嘆されるにちがいない。負けるものか!”(中略)

 雨は、一段と激しく降り続いていた。しかし、壮年は、意気揚々と大股で歩きだした。そして、雨に負けじと、学会歌を歌い始めた。
 広宣流布への闘魂は、この雨のなかで、強く、激しく、燃え上がったのである。
 (「福光」の章、72~74ページ)
 

 

学会はそんごくしょみんの団体

 〈56年(同31年)秋から山口開拓指導が展開され、山本伸一の激励で数多くの同志が立ち上がった。防府で行われた座談会では、伸一はさまざまな質問に答え、活況を呈した〉

 伸一が語るにつれて、参加者の疑問は氷解し、会場は、希望と蘇生の光に包まれていった。

 質問が一段落したころ、口ヒゲをはやした一人の壮年が発言した。友人として参加していた地域の有力者であった。
 「わしは、ここにおる者のように、金には困っとらん。今、思案しとるのは、これから、どんな事業をしようかということじゃ。ひとつ、考えてくれんか!」(中略)

 伸一の鋭い声が響いた。
 「学会は、不幸な人びとの味方です。あなたのように、人間を表面的な姿や立場、肩書で見て、蔑んでいるような人には、いつまでも、学会のことも、仏法もわかりません!」

 地域の有力者は、伸一の厳しい言葉にたじろぎ、あっけに取られたように、目をぱちくりさせていた。

 伸一は、諄々と語り始めた。
 「ここにおられる同志の多くは、経済的に窮地に立ったり、病で苦しまれています。しかし、その苦悩をいかに乗り越えていこうかと、真剣に悩み、考えておられる。しかも、自ら、そうした悩みをかかえながら、みんなを幸せにしようと、冷笑されたり、悪口を言われながらも、日々、奔走されている。(中略)

 本当に人間が幸福になるには“心の財”を積むしかない。心を磨き、輝かせて、何ものにも負けない自分自身をつくっていくのが仏法なんです。その仏法を弘め、この世から、不幸をなくしていこうというのが、学会なんです」(中略)

 話が終わると、大拍手に包まれ、友人のほとんどが入会を希望した。有力者の壮年も感服し、入会を決意した。(中略)

 有力者の壮年は、興奮を抑えきれない様子で語った。(中略)
 「すごい青年がいるもんじゃ。一言一言、胸をドンと突かれるようで、後ろにひっくり返りそうで、こうやって、手を畳について、体を支えておったんじゃ。こりゃあ、本当にすごい宗教かもしれんぞ!」
 (「共戦」の章、136~138ページ)
 

 

どうはげましが心を動かす

 〈酒田英吉も、山口開拓指導の折に、山本伸一の激励を受けた一人だった。彼は山本室長に会うため、40キロほどの道のりをバイクで駆け、伸一のいる旅館に向かった〉

 彼(酒田英吉=編集部注)が旅館に到着すると、座談会が行われていた。(中略)

 目の不自由な一人の婦人が手をあげて質問した。――子どもの時に失明し、入会して信心に励むようになって一カ月ぐらいしたころ、少し視力が回復した。しかし、このごろになって、また、元に戻ってしまった。果たして、目は治るのかという質問である。(中略)

 伸一は、その婦人の近くに歩み寄って、婦人の顔をじっと見つめた。そして、彼女の苦悩が自分の苦悩であるかのように、愁いを含んだ声で言った。
 「辛いでしょう。本当に苦しいでしょう」

 彼は、婦人の手を取って、部屋に安置してあった御本尊の前に進んだ。
 「一緒に、お題目を三唱しましょう」
 伸一の唱題の声が響いた。全生命力を絞り出すような、力強い、気迫のこもった、朗々たる声であった。婦人も唱和した。

 それから、伸一は、諄々と語っていった。
 「どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくことです。心が揺れ、不信をいだきながらの信心では、願いも叶わないし、宿命の転換もできません。(中略)
 あなたは、自分も幸せになり、人びとも幸せにしていく使命をもって生まれた地涌の菩薩なんです。仏なんです。一切の苦悩は、それを乗り越えて、仏法の真実を証明していくために、あえて背負ってきたものなんです。(中略)
 何があっても、負けてはいけません。勝つんですよ。勝って、幸せになるんですよ」

 誰もが、伸一のほとばしる慈愛を感じた。婦人の目には、涙があふれ、悲愴だった顔が明るく輝いていた。

 酒田は、指導、激励の“魂”を見た思いがした。“指導というのは、慈悲なんだ。同苦する心なんだ。確信なんだ。その生命が相手の心を揺り動かし、勇気を呼び覚ましていくんだ!”
 (「薫風」の章、277~279ページ)
 

 

青年よ、未来のために学べ

 〈77年(同52年)5月、山本伸一はオープン間もない熊本文化会館へ。到着後すぐに、石碑の除幕式に臨んだ〉

 歴代会長の文字を刻んだ石碑、熊本文化会館の由来の碑が次々と除幕された。

 「じゃあ、県の青年部長! この碑文を皆さんに読んで差し上げて!」
 突然の指名であった。県青年部長の勝山平八郎は、驚き慌てた。しかし、「はい!」と言って、碑の前に進み出た。(中略)

 由来を読む勝山の、大きな声が響いた。
 「熊本文化会館 由来
 懐かしき雄大なる阿蘇の噴煙……」

 (中略)三行ほど読んだ時、言葉がつかえた。「法旗翩翻と」の「翩翻」の読み方が、頭に浮かんで来ないのだ。思い出すまでに、二、三秒かかった。さらに、その数行あとの「聳ゆ」でつまずき、最後の段落の「冀くは」で、また、口ごもってしまったのである。

 読み終わった勝山の額には、汗が噴き出ていた。伸一は、勝山に言った。(中略)
 「県の中心会館となるのが熊本文化会館なんだから、碑文は事前によく読んで、しっかり、頭のなかに刻みつけておくんです。急に言われて、上がってしまったのかもしれないが、そういう努力、勉強が大事なんです。

 戸田先生の、青年に対する訓練は、本当に厳しかった。(中略)
 お会いした時には、必ず、『今、なんの本を読んでいるんだ』とお聞きになる。いい加減に、本の名前をあげると、『では、その作品は、どんな内容なんだ。内容を要約して言いなさい』と言われてしまう。ごまかしなんか、一切、通用しませんでした。
 戸田先生が厳愛をもって育んでくださったおかげで、今日の私があるんです。青年は、未来のために、どんなに忙しくても、日々、猛勉強するんだよ」

 青年部のメンバーは、全員が創価学会の後継者であり、次代の社会を担うリーダーたちである。(中略)

 それだけに伸一は、教養を深く身につけ、一流の人材に育ってほしかった。だから、あえて、厳しく指導したのだ。
 (「人材城」の章、308~310ページ)