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小説「新・人間革命」に学ぶ 第22巻 名場面編 2020年8月12日

2020年08月12日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第22巻 名場面編 2020年8月12日

 

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
 
絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。挿絵は内田健一郎。
 

 
師へのちかいが会館建設のいしずえ

 〈1975年(昭和50年)ごろから、学会は会館の整備にも力を注いだ。会館というと、山本伸一には、戸田城聖の事業が窮地に陥った時の、忘れられない思い出があった〉

 ある日、戸田と伸一は日比谷方面に出かけた。どしゃ降りの雨になった。傘もなく、タクシーもつかまらなかった。全身、ずぶ濡れになった戸田を見て、伸一は胸が痛んだ。弟子としていたたまれぬ思いがした。
 目の前に、GHQ(連合国軍総司令部)の高いビルがそびえ立っていた。そのビルを見上げて、伸一は戸田に言った。
 「先生、申し訳ございません。必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」
 弟子の真剣な決意を生命で感じ取った戸田は、嬉しそうにニッコリと頷いた。(中略)
 戸田は、会員のために、一刻も早く、広い立派な建物をつくりたいと念願していた。皆に申し訳ない気持ちさえ、いだいていた。
 しかし、そんな戸田の心も知らず、「学会も早く本部をつくらなければ、何をやるにも不便で仕方ありませんな。そろそろ、世間があっと驚くような、建物の一つももちたいものですね」などと言う幹部もいた。
 すると、戸田は強い口調で語った。
 「まだよい。かたちばかりに目を奪われるな。私のいるところが本部だ! それで十分じゃないか。今は建物のことより、組織を盤石にすることを考えなさい」
 山本伸一は、そんな戸田の言葉を聞くたびに、心に誓っていた。
 “先生、私が頑張ります。一日も早く、気兼ねなく皆が集える、独立した本部をもてるようにいたします”
 一九五三年(昭和二十八年)十一月、新宿区信濃町に学会本部が誕生した時、戸田はまるで、子どものような喜びようであった。(中略)
 戸田は伸一に言った。
 「将来は、日本中に、こんな会館が建つようにしたいな」
 伸一は、その言葉を生命に刻んだ。
 そして今、かつての学会本部をはるかにしのぐ、幾つもの大会館を、各県区に、つくれるようになったのである。
 (「新世紀」の章、11~15ページ)
 

 

真心の手紙は友のたましいしょくはつ

 〈7月、ハワイで行われたパレードに、支部結成間もない、ニカラグアのメンバーが参加し、喝采を浴びた。支部婦人部長の山西清子は、帰国後、山本伸一に感謝の手紙を送る〉

 すると、多忙を極める伸一に代わって、峯子から長文の返事が届いた。
 「お便り嬉しく拝見いたしました。ハワイでお元気な姿に接し、また、五人もの同志が参加なさいましたことは、条件の違いを考えますと、日本ならば五百人にも相当するものであったと思います。ニカラグアの初のパレードに対し、私どもも目頭を熱くしながら、拍手を送らせていただきました」
 山西の手紙に対して、伸一は峯子に、自分の真情を語り、返書を認めるように頼んだのである。峯子からの手紙は、伸一の心でもあった。彼らは常に、こうした二人三脚ともいうべき呼吸で、広宣流布の仕事を成し遂げてきた。(中略)
 山西への手紙に、峯子は記した。
 「ニカラグアは、今、最も重要な、そして、大変な、土台づくりの時を迎えていると思います。どうか、焦らず、着実に、堅固な土台をつくっていってください。(中略)メンバーの要となり、懸命に奔走される姿に、本当によくなさっていると、敬服しております」(中略)
 さらに、手紙には、伸一の激闘の模様をはじめ、日本の同志が、どういう思いで活動に取り組んでいるのかも、綴られていた。
 「世間では、不況がますます深刻になりつつあります。学会員の皆さんは『こういう時こそ、信心している人は違うという事実が、はっきりする時だ!』と、一段と元気に、仏法対話に励んでおります」
 そして、「末筆ながら、ご主人様に、よろしくお伝えくださいませ。また、皆様にも、よろしくお伝えくださいませ。御一家の御健康、御繁栄を心よりお祈りいたします。会長から、くれぐれも皆様によろしくとのことでございました」と結ばれていた。
 山西は、この手紙を涙で読んだ。
 “先生と奥様は、私たちのことも、みんな知ってくださっている。日本から遠く離れたニカラグアも、先生のお心のなかにある。先生も、奥様も、いつも、見守ってくださっている。頑張ろう。頑張り抜こう”(中略)
 生命の言葉は、人の魂を触発する。
 (「潮流」の章、186~188ページ)
 

 

しんらいきずなでつくる人間組織

 〈9月、女子部の人材育成グループ「青春会」の結成式が行われた。山本伸一は、参加者の質問に答え、未来を託す思いで、渾身の力をふりしぼるように指導する〉

 質問は、さらに何問か続いた。いずれも、組織をどう発展させるかなど、広宣流布への一途な思いを感じさせる質問であった。
 伸一は、未来への希望と力を感じた。
 彼は、皆の質問に答えて、組織としての運動の進め方などについて述べたあと、最後に、魂を打ち込むように訴えた。
 「組織といっても、人間関係です。あなたたちが、自分の組織で、一人ひとりと、つながっていくんです。単に組織のリーダーと部員というだけの関係では弱い。周りの人たちが、姉のように慕ってくるようになってこそ、本当の人間組織です。
 組織を強くするということは、一人ひとりとの、信頼の絆をつくっていく戦いです。あなたたちが皆から、“あの人に励まされ、私は困難を克服した”“あの人に勇気をもらった”と言われる存在になることです。
 私も、そうしてきました。全学会員とつながるために、常に必死に努力しています。
 なんらかのかたちで、激励する同志は、毎日、何百人、何千人です。この絆があるから、学会は強いんです。
 その人間と人間の結合がなくなれば、烏合の衆になる。学会は、滅びていきます。この点だけは、絶対に忘れないでほしい」
 皆、真剣な顔で、瞳を輝かせていた。
 伸一は、笑みを浮かべた。
 「では、みんなで写真を撮ろう。これは、大事な、誓いの証明写真だ」
 伸一は、メンバーを前に並ばせ、自分は、後列に立った。フラッシュが光り、シャッター音が響いた。
 写真撮影が終わると、彼は、皆に視線を注ぎながら言った。
 「もし、ほかの人が誰もいなくなっても、このメンバーが残ればいいよ。私がまた、一千万にするから。一緒にやろう。みんな、何があっても、退転だけはしてはいけないよ」
 (「波濤」の章、299~300ページ)
 

 

はげまし」は創価の生命線

 〈11月、山本伸一は広島を訪問。当初予定のなかった呉を訪れ、勤行会を行う。広島市への帰途も、車中から激励が続く〉

 途中、生花店の前に、十人ほどの人たちが、人待ち顔で道路の方を見て立っていた。婦人や壮年に交じって、女子中学生や女子高校生もいた。
 伸一は、運転手に言った。
 「“うちの人”たちだよ。ちょっと、車を止めてくれないか」
 呉会館の勤行会に、間に合わなかったために、「せめて、ここで、山本会長をお見送りしよう」と、待っていた人たちであった。そこに黒塗りの乗用車が止まった。窓が開き、伸一の笑顔がのぞいた。歓声があがった。
 女子中学生の一人が、抱えていたユリやバラなどの花束を差し出した。伸一に渡そうと、用意していたのだ。
 「ありがとう! 皆さんの真心は忘れません。また、お会いしましょう」
 伸一は、こう言って、花束を受け取った。
 ――それから間もなく、そこにいた人たちに、伸一から菓子が届いた。
 また、しばらく行くと、バスの停留所に、何人かの婦人たちがいた。はた目には、ただ、バスを待っている人にしか見えなかった。
 「今、バス停に、“うちの人”が五人いたね。念珠と袱紗を贈ってあげて」
 伸一の指示を無線で聞いた後続車両の同行幹部が、念珠などを持って停留所に駆けつけると、確かに五人の婦人たちは、皆、学会員であった。同行幹部の驚きは大きかった。
 学会員は、皆が尊き仏子である。皆が地涌の菩薩である。その人を、讃え、守り、励ますなかに、広宣流布の聖業の成就がある。
 ゆえに、伸一は、大切な会員を一人として見過ごすことなく、「励まし」の光を注ごうと、全生命を燃やし尽くした。だから、彼には、瞬時に、学会員がわかったのである。
 「励まし」は、創価の生命線である。
 彼は、その会員厳護の精神を、断じて全幹部に伝え抜こうと、決意していたのである。(「命宝」の章、401~402ページ)

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