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小説「新・人間革命」に学ぶ 第22巻 基礎資料編  

2020年08月05日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第22巻 基礎資料編  2020年8月5日

  • 連載〈世界広布の大道〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第22巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。挿絵は内田健一郎。
  

【物語の時期】1975年(昭和50年)5月30日~12月29日
 
「新世紀」の章

 1975年(昭和50年)6月、山本伸一は「新世紀」への飛翔のために、東京各区をはじめ、各地の首脳幹部との協議会に力を注ぐ。新会館の建設や記念行事の開催の決定など、新しい前進の目標が打ち出される。
 7月3日、戸田第2代会長の出獄30周年記念集会で伸一は、恩師が提唱した「地球民族主義」の大構想を実現するため、命の限り走り抜くとあいさつする。
 青年部は、7月に男子部、女子部の結成記念日を迎えることから、「聖教新聞」で、座談会「青年が語る戸田城聖観」を連載開始。師と共に新しい時代を開く青年の熱意があふれる紙面となった。
 また、伸一と文学界の巨匠・井上靖との手紙による語らいが、「四季の雁書」として月刊誌「潮」7月号から連載を開始。生死の問題をはじめ、幅広い対談は12回にわたり、77年(同52年)に単行本として結実する。
 さらに、伸一は、“経営の神様”といわれる松下幸之助とも、出会いを重ね、書面を通しての語らいを進めてきた。人間の生き方から、日本、世界の進路など、テーマは多岐にわたり、75年の10月、往復書簡集『人生問答』が発刊に至る。
  

 
ちょうりゅう」の章

 7月22日、山本伸一は、第12回全米総会を中心とした「ブルー・ハワイ・コンベンション(大会)」に出席するため、ホノルルへ。この大会は、アメリカ建国200年の前年祭記念行事として開催されることになり、大統領からもメッセージが寄せられていた。
 23日、伸一は、大会のコントロールセンターの開所式に臨み、スタッフを激励。その夜には、アルゼンチン、広島などの交流団の代表を、24日にはブラジル、ペルーの代表を宿舎に招いて懇談する。
 26日の全米総会には州知事も出席。伸一は、異民族同士の共存を可能にしてきたハワイの「アロハの精神」こそ、仏法で説く「慈悲」「寛容」に通じると述べる。その夜の記念パレードには、伸一との約束を果たし、5人が参加したニカラグアのメンバーの姿も。大会の最終日には、アメリカの建国の精神と歴史をうたい上げたミュージカルが披露された。
 伸一は、行事の合間も来賓との会見を重ね、29日には、大会を陰で支えたメンバーの労をねぎらう。
 15年前に、世界広布の第一歩をしるしたハワイから、再び平和の新しい「潮流」が起ころうとしていた。
  

 
とう」の章

 山本伸一は、ハワイから帰国すると、創価大学での夏季講習会で陣頭指揮を執る。8月3日の「五年会」の総会、4日の高等部総会での渾身の指導をはじめ、5日には総会に集った中等部員を、6日には少年・少女部員を見送るなど、激励を続ける。
 東京男子部の講習会では、外国航路で働く船員の集いである「波濤会」のメンバーと記念撮影。「波濤会」は、1971年(昭和46年)に結成された。大しけで遭難した貨物船の乗組員全員を救助し、総理大臣表彰を受けた「だんぴあ丸」の船長など、多くの人材が育つ。また、不況にあえぐ海運業界を勇気づけようと企画した「波濤会」の写真展は海外でも開催され、共感の波を広げる。
 9月9日、女子部学生局の幹部会に出席した伸一は、夜の会合の終了時間を午後8時30分とする「8・30運動」を提案。28日には、女子部の人材育成グループ「青春会」結成式へ。新時代の女性リーダーを育成するこの会は、その後、各方面でも結成される。伸一は21世紀を託す思いで魂を打ち込む。やがて広布の枢要な立場で活躍するメンバーや社会で重責を担う人材が育っていく。
  

 
みょうほう」の章

 この世で最も尊厳な宝は、生命である。山本伸一は、9月15日、ドクター部の総会に初めて出席。この日は、「ドクター部の日」となる。
 11月7日夕刻、広島入りした伸一は、落成間もない広島文化会館を視察。夜には開館式に出席する。8日には、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、祈りを捧げる。
 9日、被爆30年を迎えた広島で本部総会を開催。伸一は、この地上から一切の核兵器が絶滅する日まで、最大の努力を傾けることを宣言し、広島での国際平和会議の開催など、具体的な取り組みを提案する。さらに、創価学会の社会的役割などに言及し、講演は1時間20分にも及んだ。終了後、来賓のレセプションを終えた伸一は、広島未来会第2期の結成式へ。少年少女合唱団も招き、交流のひとときをもつ。
 10日には、海外メンバーの歓迎フェスティバル、原爆犠牲者の追善勤行会などが続くなか、広島会館へ。会館前の民家の主人とも対話を交わす。11日、予定を変更し、呉会館を初訪問。駆け付けたメンバーと勤行する。また、広島文化会館に戻る途次にも、学会員を見つけては、励ましを送る。

 

 

【山本伸一の平和旅】1975年7月 アメリカ・ハワイ
 
浮島の舞台が設置された第12回全米総会(1975年7月、ハワイで)
浮島の舞台が設置された第12回全米総会(1975年7月、ハワイで)
 
ホノルル市内の会館で各種行事を支えたメンバーと勤行した後、ガーデンパーティーで激励する(1975年7月、ハワイで)
ホノルル市内の会館で各種行事を支えたメンバーと勤行した後、ガーデンパーティーで激励する(1975年7月、ハワイで)
 
【山本伸一の激励行】
 
とう
海外航路に従事する船員のグループ「波濤会」のメンバーと、記念撮影に臨む(1975年8月、創価大学で)
海外航路に従事する船員のグループ「波濤会」のメンバーと、記念撮影に臨む(1975年8月、創価大学で)
 
女子学生部
女子部学生局(当時)の幹部会に出席(1975年9月9日、東京の旧・創価文化会館で)。この日が後に「女子学生部の日」に制定される
女子部学生局(当時)の幹部会に出席(1975年9月9日、東京の旧・創価文化会館で)。この日が後に「女子学生部の日」に制定される
 
ドクター部
東京・信濃町の学会本部で開催された第3回ドクター部総会(1975年9月15日)。これが「ドクター部の日」の淵源となった
東京・信濃町の学会本部で開催された第3回ドクター部総会(1975年9月15日)。これが「ドクター部の日」の淵源となった
 
広島
激務の合間を縫って、広島・呉会館を訪れる池田先生。来訪を心待ちにしていた同志を激励(1975年11月)
激務の合間を縫って、広島・呉会館を訪れる池田先生。来訪を心待ちにしていた同志を激励(1975年11月)
 
【識者との語らい】
文豪・井上靖氏㊧と池田先生が語り合う(1975年3月、旧・聖教新聞本社で)。両者は、月刊誌「潮」で往復書簡を連載。後に『四季の雁書』として発刊された
文豪・井上靖氏㊧と池田先生が語り合う(1975年3月、旧・聖教新聞本社で)。両者は、月刊誌「潮」で往復書簡を連載。後に『四季の雁書』として発刊された
 
芳名録に記帳するパナソニック創業者の松下幸之助氏㊧(1980年12月、東京・創価国際友好会館<当時>で)。池田先生と松下氏は67年に初めて出会って以降、親交を深める。両者の往復書簡は『人生問答』として出版された
芳名録に記帳するパナソニック創業者の松下幸之助氏㊧(1980年12月、東京・創価国際友好会館<当時>で)。池田先生と松下氏は67年に初めて出会って以降、親交を深める。両者の往復書簡は『人生問答』として出版された
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