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気候変動対策を共に

2023年02月06日 | 妙法

気候変動対策を共に――西アフリカのトーゴで森林再生プロジェクト2023年2月6日

  • 創価学会とITTO、REFACOFが共同推進
3:52

 気候変動の影響を強く受けている西アフリカのトーゴ共和国で、創価学会は、国際熱帯木材機関(ITTO)、「コミュニティ森林経営のためのアフリカ女性ネットワーク(REFACOF)」と共に、森林再生支援と女性のエンパワーメントのための共同プロジェクトを行っている。1月23日から25日まで創価学会の相島平和委員会議長、広報室の新井担当部長ら訪問団が、支援3年目に入って豊かな生態系が広がりつつある現地の状況を視察した。SDGs(持続可能な開発目標)に貢献する同プロジェクトの模様を紹介する。

学会代表がアグエガン村を訪問

 日本からパリ経由で約28時間。トーゴで日本からの友人を迎えるあいさつは、まず「暑いでしょう!」。
 
 「……いやあ、暑いです!」「暑いのがアフリカなんですよ!」。気候変動の影響を、じりじりと照りつける日差しで体感する。
 
 トーゴは、他の西アフリカ諸国と同じく、多くの環境問題に直面しており、気候変動に対して最も脆弱な国の一つとされる。
 
 世界銀行グループの気候変動に関する知識ポータルサイトによれば、2021年のトーゴの平均気温は、28・05度。1991年から1・28度も上昇している。月別にみると、2月、3月は最高気温が36度を超える。
 
 創価学会は、国連のSDGs達成推進と気候変動対策の一環として、2020年7月、熱帯林資源の保全と持続可能な森林経営を進めるITTOと、トーゴにおける森林再生支援プロジェクトへの協力協定を締結した。

貧困地域の女性の自立を支援

 トーゴで、創価学会、ITTO、REFACOFによる森林再生支援の共同プロジェクトが始まったのは、2021年1月である。
 
 ブリッタ県パガラガ村とラック県アグエガン村の2地域で実施されているが、今回は、アグエガン村を視察に訪れた。
 
 首都ロメから車で東へ向かう。右手は、きらめくギニア湾。やがて左手にトーゴ湖が広がる。最後は舗装されていない赤茶色の土の道を大きく揺れながら走り続けると、約1時間半で、ようやく村にたどり着いた。
 
 「見てください。こんなにも植生が回復しているのが、お分かりでしょう。このプロジェクトで回復した森林は、合わせて35ヘクタールにもなるんです。
 
 共にアフリカの森を回復させ、アフリカの女性たちの生活状態を全般的に向上させたい――それが私たちの願いです」
 
 REFACOFのセシル・ンジェベト代表が力を込める。国際会議のため訪れていたアメリカから、トーゴに駆けつけた。

森林再生の技術の習得を通して、地球環境の“変革の担い手”に
種をまき、苗を植え、井戸でくんだ水を注ぐ。新たに設置された井戸のプレートには、トーゴの国章、ITTO、REFACOFのロゴとともに「Soka Gakkai」と記されている。森林再生の現場には、子どもたちの姿もにぎやかに。未来のための労作業を見つめる
種をまき、苗を植え、井戸でくんだ水を注ぐ。新たに設置された井戸のプレートには、トーゴの国章、ITTO、REFACOFのロゴとともに「Soka Gakkai」と記されている。森林再生の現場には、子どもたちの姿もにぎやかに。未来のための労作業を見つめる

 農学者でもあるンジェベト代表は、森林再生およびジェンダー平等を推進するため、2009年にREFACOFを創設。現在、アフリカの20カ国で活動を展開している。
 
 昨年、「ワンガリ・マータイ森林チャンピオン」賞を受賞。また国連で最高の環境賞とされる「チャンピオン・オブ・ジ・アース」において「インスピレーションと行動」の分野での受賞者の一人となった。
 
 隣でほほ笑むリディア・アマ・アトゥトヌ博士は、REFACOFトーゴの中心者。プロジェクトの進展の様子を語る。
 
 「トーゴの女性たちが、森林再生と農作物の生産を行うアグロフォレストリー(併農林業)の技術について訓練を受けることができました。創価学会のおかげで井戸も完成しました。今は、人の手で桶を引き上げますが、今後は機械で水をくみ上げる装置も設置する計画です。
 
 私たちは、政府と地域コミュニティーの首長の支援も得て、森林再生のための土地を確保しています。そして、地域の食料安全保障とともに、農村における女性の自立や家族の生活向上を実現しているのです」

4万8千本の苗木を生産 35ヘクタールの森が回復
アグエガン村の森林再生地に緑が広がる。「2年前と今と比べると、森林が広範囲にわたって回復し、非常によい植生になりました」(ンジェベト代表)。当初、隣接する小学校の井戸の近くに苗床が設けられたが、新たな井戸が森林再生地にできたおかげで、作業効率が一段とアップした
アグエガン村の森林再生地に緑が広がる。「2年前と今と比べると、森林が広範囲にわたって回復し、非常によい植生になりました」(ンジェベト代表)。当初、隣接する小学校の井戸の近くに苗床が設けられたが、新たな井戸が森林再生地にできたおかげで、作業効率が一段とアップした

 アグエガン村の森林再生地では、カヤ、タガヤサン、カマバアカシア(鎌葉アカシア)の木などの苗木を生産し、植林してきた。
 
 この森林によって温室効果ガスを吸収することで気候変動対策になると同時に、貧困地域の女性たちの社会的地位の向上も促す。 女性たちは研修を受け、苗床生産、森林再生の技術を身につけ、生態系を傷つけないよう留意して、苗木をアグロフォレストリーの手法で植えていく。
 
 従来のように、森を切り開いて畑をつくる手法ではなく、材木樹や果樹、農作物など多様な植物を混植することで、森林の保護・再生を支えながら商品作物を得られるようにするのが特色だ。
 
 食用作物としては、タピオカの原料ともなりアフリカの伝統的な食用作物であるキャッサバをはじめ、トウモロコシ、落花生などを栽培。家庭の食料として、また余剰分は販売用として貢献している。
 
 この共同プロジェクトは、気候変動による天候不順等に加え、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)や、ウクライナ危機による食料不足など、さまざまな困難な状況を乗り越え、続けられてきた。

環境・森林資源省を表敬(1月23日)。相島平和委員会議長ら訪問団が同省総務・財務本部のコンムラン・アウニョ本部長(右から2人目)らと懇談した。同本部長は創価学会が進める森林再生の共同プロジェクトへの賛同と感謝を述べた
環境・森林資源省を表敬(1月23日)。相島平和委員会議長ら訪問団が同省総務・財務本部のコンムラン・アウニョ本部長(右から2人目)らと懇談した。同本部長は創価学会が進める森林再生の共同プロジェクトへの賛同と感謝を述べた

 1月23日午前、訪問団は環境・森林資源省を表敬。午後、プロジェクトを支援しているアグエガン村の首長を訪ね、感謝を伝えた。
 
 この日、村で市場が開かれていた。日頃は人が少ないであろう広場や村の辻々も、この日ばかりはにぎやかに露店が軒を連ね、鍋など日常の生活用品や色とりどりの野菜や燻製の魚などの食品、さらに伝統の工芸品などが所狭しと並ぶ。
 
 案内役のアマ・アトゥトヌ博士が、歩きながら、露天の快活な女性店員たちと言葉を交わす。
 
 「あの店の女性たちの中にも、森林再生プロジェクトの参加者がいるんです」
 
 地域コミュニティーとの協働で豊かな成果をもたらす。環境を保全すると同時に、村に生きる女性が力を得て、家族の暮らしも向上させていける――プロジェクトの意義が雄弁に示されていた。
 
 今、気候変動対策において、大きな焦点の一つとなっているアフリカ。
 
 池田大作先生は1960年10月、ニューヨークの国連本部を視察し、独立間もないアフリカ諸国の若き代表たちの活力あふれる姿を目の当たりにした。
 
 トーゴの独立は、まさに、この年の4月27日であった。
 
 先生は「21世紀はアフリカの世紀」と、輝く未来を展望した。後に、こう述べている。
 
 「『アフリカの世紀』とは、一番苦しんだ人が、一番幸せになる世紀である」
 
 気候変動という人類的課題を前に、アフリカの女性たちと共に踏み出した一歩は、いまだ小さいかもしれない。しかし、その一歩一歩が積み重なって、希望の大道は開かれていく。それは、持続可能な地球の未来を照らす光源となるに違いない。

REFACOF創設者・代表 セシル・ンジェベト氏「創価学会の協働に深謝」

 私は、アフリカの森林経営のためのネットワーク「REFACOF」の創設者であり、代表を務めています。
 
 この分野で、アフリカにおける創価学会の最初の取り組みが行われているトーゴで、皆さんとご一緒できることを大変うれしく思います。創価学会の支援のおかげで、150人の女性が恩恵を受け、今では35ヘクタールの森林を回復させることができました。女性たちは4万8000本の植林木の苗木を生産し、2万5000本を植えました。この2年間だけで、非常によく植生が回復しつつあります。
 
 重要な点として、女性たちがアグロフォレストリー方式を選択したので、植林といくつかの農産物を組み合わせたということがあります。ここアグエガン村では、植林とともに、キャッサバやトウモロコシ、ピーナツなどを栽培しています。これは女性たちが家族の食料安全保障を向上させるのに役立ちました。キャッサバは、皆が食べますし、「ガリ」と呼ばれる粉末に加工し、余剰分を売ることで、ある程度の収入が得られるのです。
 
 私たちREFACOFの目的は、女性の生活環境を改善すること、そして環境を改善することです。つまり、アフリカの森を、生態系を回復させ、アフリカ大陸を復興させること、そしてアフリカの女性とその家族、全ての人の生活の質を向上させること。この二つの目標があります。
 
 これらは、全て能力開発とともに行われます。私たちは優秀な技術者を抱えており、女性たちを訓練しています。また、女性たち自身によるトレーニングも企画・実施しています。具体的には、プロジェクトが実施されている二つの村同士で、女性たちが交流し、互いの経験を交換できるように努めています。
 
 創価学会からの継続的な協働に御礼を申し上げたい。私たちはアフリカの稀有な女性協会、女性ネットワークの一つであり、女性と共に働き、100%女性で構成されております。
 
 重ねてご支援に感謝いたします。

幼子を抱き、頭上で荷物を運ぶ女性――「アフリカの母と子の像」。REFACOFのンジェベト代表から寄せられた。代表は「池田先生は、21世紀はアフリカの世紀、女性の世紀といわれました。その先見に感動します。女性のエンパワーメントこそが、アフリカを復興させる原動力なのです」と語った
幼子を抱き、頭上で荷物を運ぶ女性――「アフリカの母と子の像」。REFACOFのンジェベト代表から寄せられた。代表は「池田先生は、21世紀はアフリカの世紀、女性の世紀といわれました。その先見に感動します。女性のエンパワーメントこそが、アフリカを復興させる原動力なのです」と語った
 
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世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第14回 二月闘争〈上〉

2023年02月01日 | 妙法

【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第14回 二月闘争〈上〉2023年2月1日

  • 〈出席者〉谷川主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長
師弟直結で「壁」を破れ
青空に浮かぶ飛行機を池田先生がカメラに収めた(2000年2月、東京・大田区の羽田空港で)。大田は「二月闘争」の舞台となった地。先生は「故郷・大田の繁栄を、私は、いつも祈り見つめている」と万感の思いを寄せている
青空に浮かぶ飛行機を池田先生がカメラに収めた(2000年2月、東京・大田区の羽田空港で)。大田は「二月闘争」の舞台となった地。先生は「故郷・大田の繁栄を、私は、いつも祈り見つめている」と万感の思いを寄せている

 ◆梁島 「伝統の2月」がスタートしました。今回から「二月闘争」の精神について、お聞きします。1952年(昭和27年)2月、池田先生が支部幹事として指揮を執った蒲田支部は、「201世帯」の弘教を達成しました。当時、一つの支部で月100世帯前後の拡大が限界でした。
  
 ◇谷川 「二月闘争」は、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成へ、愛弟子である池田先生が突破口を開いた戦いです。そこには、現状を打破し、「壁」を破るための要諦が幾つも刻まれています。
 その一つは、広布拡大において、どこまでも“師弟直結”が根本であるということです。
 51年(同26年)5月3日、戸田先生は第2代会長に就任します。就任式の席上、戸田先生は「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と宣言しました。
 当時、会員数は実質3000余に過ぎませんでした。恩師の願業を耳にしたある青年部員は、「戸田先生は、相当長生きされるのだと思った」と述懐しています。聖教新聞でも、「75万世帯」の文字は報道されませんでした。
 その中で、池田先生は師匠の心をわが心とし、“戸田先生の願業を断じて実現してみせる”との誓いを定められたのです。
 ところが、52年1月の学会の入会世帯数は635世帯。75万世帯へは、はるか遠い道のりでした。同月、戸田先生は支部長会で、「『雁行進』は、今月をもって、一切、打ち切りとする」と訴えます。
 さらに、「いよいよ大を出すか」と、池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命します。戸田先生が池田先生に期待したのは、「突破口を開け」ということでした。
 1月29日、池田先生は東京・大田で行われた蒲田支部の緊急組長会で力説します。「2月は日蓮大聖人の御聖誕の月であり、また、2月11日は、戸田先生の誕生の日であります」
 「報恩感謝の思いで、この2月を戦いきり、見事な勝利の結果をもって、戸田先生にお応えし、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか」
 師匠の恩に広布拡大の証しをもって応える――池田先生の強い思いが蒲田支部の全同志に伝播し、拡大の火ぶたが切られたのです。

谷川主任副会長に話を聞く梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
谷川主任副会長に話を聞く梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
「新しい人」に「新しい力」が

 ◆林 池田先生は緊急組長会で、「組」(現在のブロック)で2世帯の弘教という目標を掲げました。
  
 ◇谷川 当時の最前線の組織である組には、新入会の友が多く、組単位の活動には反対もありました。しかし、池田先生は、「新しい力」に絶対の信頼を寄せていました。
 当時の心境について、こう述べています。「“新しい人”だからこそ、“新しい力”をもっている。それを引き出そう。新鮮な若芽のような“新しい息吹”もある。それを伸ばそう――そこに私の着眼点があった。いわば新思考である。“新しい発展”は、この“新しい発想”から生まれた」
 先生は、組単位の活動に光を当て、折伏の仕方が分からない友がいれば、一緒に仏法対話に歩きます。「新しい力」と共に動き、組織に眠っていた“新しいエネルギー”を引き出しながら、拡大の突破口を開いたのです。
 さらに、新たな人材への真心の励ましにも徹しました。
 励ましについて、先生はこう述べています。「人間は、励ましによって育っていく。そして、人を励ます作業とは、生命を、知恵を、力を振り絞って、相手の心の扉を開き、深く分け入り、発心のための養分を注ぎ込む真剣勝負の対話といえよう」
 広布のリーダーにとっては、“地域のどれだけのメンバーに激励できたか”という点も大切でしょう。とともに、“励ましによって、同志がどんな体験をつかむことができたか”は、それ以上に重要です。
 「二月闘争」では、先生の真心の激励によって、信心の歓喜のドラマが次々と生まれ、「壁」が破られていったのです。

蒲田支部の支部幹事として同志に励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から、内田健一郎画)
蒲田支部の支部幹事として同志に励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から、内田健一郎画)
自分がまず動く 自分の目標に挑む

 ◆田島 当時、先生は24歳でした。周囲は年上の先輩たちばかりでした。
  
 ◇谷川 信心に役職や年齢は関係ありません。大切なことは、広布をわが使命と定め、真剣に戦うことです。
 池田先生は自ら対話に率先しました。アパートの隣人など、身近に縁する方々とも対話の輪を広げています。
 先生は、「私は、まず自分が動いた。自分が挑戦した」「リーダーは、まず自分が動くことである。自分が自分の目標に挑戦することである」と振り返っています。
 若き先生の率先の行動は、蒲田支部の同志に勇気を送り、一人また一人と、地涌の使命に立ち上がっていきました。
 緊急組長会の後、先生は徹底して組織の第一線を駆け回りました。
 大きな会合に人を集め、号令や指示をしていたのではありません。最前線に飛び込み、同志とスクラムを組みながら、拡大に挑みます。
 その後の“文京支部での戦い”や「大阪の戦い」でも、先生は「リーダー率先」に徹し、最前線の友を鼓舞しながら、拡大の金字塔を打ち立てていきます。それらの戦いの原型は、「二月闘争」にあります。
 52年2月の1カ月で、201世帯の弘教を達成した蒲田支部は、3月、4月も200世帯を突破しました。5月には300世帯を超え、11月には400世帯を上回る拡大を成し遂げます。この年、会員数は2万2000世帯を超えました。
 先生はつづっています。
 「青年の私は、『二月闘争』を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。表面的な方法論ではない。学会は『一人立つ信心』そして『師弟共戦の信心』で勝つ、という永遠の軌道を固めた」
 先生がとどめられた勝利の方程式とは、策や方法ではなく、どこまでも、「師弟」と「信心」に立ち返ることにありました。それが、創価の青年が歩むべき“永遠の軌道”なのです。
  
 ◆先﨑 池田先生は「御義口伝」要文講義(「大白蓮華」2022年12月号)で、「師弟」と「信順」についても教えてくださっています。
  
 ◇谷川 要文講義では、次の一節が引かれています。
 〈文句の一に云わく「『如是』とは信順の辞なり。信ずれば則ち所聞の理会し、順ずれば則ち師資の道成ず」。詮ずるところ、日蓮等の類いをもって「如是我聞」の者と云うべきなり云々〉(新986・全709)
 この御金言を通して先生は、「信順とは、信じて順じる――教えに基づき生きる。つまり師弟の道です」と述べています。
 さらに、「師の言われたことの本質に肉薄し、それを過たずに実践する」「師弟こそ『如是我聞』の本質です。ここに『不信』を打ち破る要諦もある」と強調しています。
 まさに、「二月闘争」とは、戸田先生の言われることの本質に肉薄し、過たずに実践する戦いでした。
 「伝統の2月」の先陣を切るのは青年です。「伝統」とは、変わらないために、変わり続けることでもあります。師匠が示した広布の方程式は不変です。変わり続けるのは、自分自身です。
 自身の「壁」を破りながら、池田先生の指導を実践していく――その連続闘争で、勝利を飾る「凱歌の2月」にしていこうではありませんか。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第5巻「烈日」「驀進」
 ◆小説『新・人間革命』=第3巻「平和の光」、第29巻「力走」

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1・26「SGIの日」 1975年1月26日、グアム

2023年01月26日 | 妙法

きょう1・26「SGIの日」 1975年1月26日、グアム 池田先生の指導を動画で2023年1月26日

3:59

 きょう1月26日は「SGI(創価学会インタナショナル)の日」。
 
 1975年の同日、グアムの国際貿易センタービルに世界51カ国・地域の代表158人が集ってSGIが発足し、48周年となる。池田大作先生は記念の随筆を寄せた。
 
 あわせて、発足式となった第1回世界平和会議での池田先生の指導(一部抜粋)を動画で紹介する。

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きょう「大阪事件」無罪判決の日

2023年01月25日 | 妙法

きょう「大阪事件」無罪判決の日2023年1月25日

  • 戦いは絶対に負けたらあかん!

 きょう25日は「大阪事件」の無罪判決が出された「民衆勝利の日」。1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は不当逮捕・勾留された。その後の法廷闘争は4年半、公判は84回を数えた。「大阪事件」を通して、関西に刻まれた「負けじ魂」は今、世界の模範と輝く。ここでは、その広布史を不敗の原点とする友のドラマを紹介する。

最終陳述での叫び

 国の重要文化財であり、大阪のシンボルの一つでもある中之島の大阪市中央公会堂。1957年(昭和32年)7月17日、同公会堂で「大阪大会」が行われた。
 その2週間前の7月3日、池田先生は事実無根の公職選挙法違反の容疑で、不当逮捕される。検事は取り調べで、“罪を認めなければ戸田会長を逮捕する”と恫喝した。池田先生は、恩師と学会を守るため、法廷闘争で潔白を証明すると決断した。
 17日に出獄した先生は、大阪大会で烈々と宣言した。“最後は信心しきったものが必ず勝つ!”。この師子吼は、関西同志の永遠の誓いともなった。
 同年10月18日から、大阪地方裁判所で裁判が開始。84回の公判で、先生は23回、出廷している。
 61年(同36年)12月16日、最終陳述が行われた。先生は「選挙を行うのは憲法に保障された国民の権利であり、義務であります。われわれが選挙運動をやってなぜ悪いか」と堂々と訴えた。
 閉廷後、そばに寄ってきた公判担当の検事には、こう強調した。
 「民主主義が続く限り、私たちは正々堂々と行動し、絶対に勝っていきます」

「大阪事件」無罪判決の日である1月25日は「北大阪総県の日」。同総県の男子部、池田華陽会、学生部のメンバーが大阪市中央公会堂の前で(1月15日) 
「大阪事件」無罪判決の日である1月25日は「北大阪総県の日」。同総県の男子部、池田華陽会、学生部のメンバーが大阪市中央公会堂の前で(1月15日) 
北区
「勝って泣く」の誓い

 大阪市中央公会堂、大阪地方裁判所は、どちらも大阪市北区に立つ。
 池田先生が勾留された大阪拘置所もかつて、北区にあった。だからこそ、友は「無罪判決」に至るまでの歴史と、そこにとどめられた精神をひときわ大切にする。
 梅原悦子さんも、その一人だ。54年(同29年)、4歳の時に家族で入会。56年(同31年)の「大阪の戦い」では、母・國重睦子さん(故人)と共に、池田先生の早朝の御書講義に参加したこともある。
 「大阪の戦い」の折、睦子さんのもとに先生から激励のはがきが届いた。以来、「負けて泣くより、勝って泣く」が睦子さんの誓いとなる。
 だが57年(同32年)4月、参議院大阪地方区の補欠選挙で、学会が推薦する候補者が落選。さらに、同年7月3日、池田先生が事実無根の容疑で逮捕された。睦子さんの頬を、悔し涙が濡らした。
 それでも、睦子さんは一歩も引かなかった。2週間後の17日、娘と一緒に大阪大会に参加。当時、まだ7歳だった梅原さんは、公会堂までどのように行き、どう帰宅したのかすら記憶にない。
 ただ、幼いながらも強烈に印象に残ったことがある。公会堂周辺に集った大勢の大人たちが皆、スピーカーから流れる音声に、真剣に耳を傾けていた姿だ。
 梅原さんが「大阪大会」の背景を知ったのは後のこと。その歴史を知れば知るほど、あの日、大人たちがなぜ、大雨に打たれながらも、その場から離れようとしなかったのかが理解できた。
 梅原さんは、母の「勝って泣く」との誓いを自らの信条とした。母は長年、茶道と生け花を地域で教え、友好の輪を広げてきた。その道に、梅原さんも続いた。
 「大阪事件」の判決日の前日である62年(同37年)1月24日、大阪市中央公会堂で関西女子部の幹部会が開催された。席上、関西の新本部の建設計画が発表された。過去と今を重ねつつ、梅原さんは力を込めた。
 「関西池田記念大講堂の計画が進む今、常勝関西の新たな歴史を開く戦いに勝利し、自身の人間革命の実証を地域に示していきます」

都島区
がむしゃらに広布一筋

 北区に隣接する都島区。ここにも、師の足跡が刻まれている。56年(同31年)の「大阪の戦い」の折、池田先生は幾度も同区を訪れた。
 激戦の最中、同区の友を励まし、模造紙に「大勝」としたためた。またある時には、座談会に出席。新来者22人のうち、20人が入会した。
 同区の柏木良子さん(故人)は、大阪大会に参加した数カ月後、長男の邦彦さんが脳性小児まひを患った。
 良子さんは長男を背負い、仏法対話に歩いた。罵声を浴びせられても、信心の確信が揺らぐことはなかった。
 60年(同35年)には、夫が経営する印刷会社が倒産。家族5人、四畳半一間のアパート暮らしが始まった。良子さんは宿命の嵐にも、負けじ魂を燃やして立ち向かった。
 邦彦さんは体調がいい時、座談会に参加。精いっぱい生きる姿が地域の友に勇気を送った。母の慈愛に包まれ、39歳で新たな生へと旅立った。
 長女の横山瑞枝さんは、信心に懸命に励む母の背中を見てきた。「母は広布一筋に、がむしゃらに戦う人でした」
 その母に触発され、瑞枝さんも「100%以上の戦いをしないと、納得できないようになりました」と笑う。「5・3」へ、200人との対話を目標に、都島を奔走する。
 次男の柏木清宏さんは学生部の時、座談会で行った「大阪大会」の劇で、山本伸一の役を担った。
 参加者が皆、感動の面持ちだった。その方々の姿を通して、「大阪大会」が自分が思った以上に、大切な歴史であることを胸に刻んだ。
 真珠腫性中耳炎や咽頭がんなど、数々の病を乗り越えてきた。3年前には心筋梗塞で緊急手術。その宿命も信心で勝ち越えた。
 柏木さんは語る。
 「2026年秋に完成予定の『関西池田記念大講堂』は都島区内に建ちます。だからこそ、私たちが負けるわけにはいきません。断じて凱歌の歴史を築きます!」
 それは、わが地域を愛し、幸の連帯を広げる、都島の全同志の誓いである。

1957年7月17日、大阪市中央公会堂で行われた「大阪大会」。約2万人の同志が集い、“戦いは負けたらあかん!”との「関西魂」が燃え上がった
1957年7月17日、大阪市中央公会堂で行われた「大阪大会」。約2万人の同志が集い、“戦いは負けたらあかん!”との「関西魂」が燃え上がった
東成区
「私は一生涯 祈りをおくります」

 大阪市東成区の井上正子さんは幼少の時、父親の河野正三さん(故人)が事業に失敗。54年(同29年)7月、一家で信心を始めた。
 大阪支部が1万1111世帯の弘教という「不滅の金字塔」を打ち立てた56年(同31年)5月、正三さんも弘教を実らせている。
 正三さんは「大阪大会」にも参加。師を心のど真ん中に置いた父の生き方を、井上さんも継いだ。
 81年(同56年)、井上さんは夫の邁さんと結婚し、東成の地へ。翌82年(同57年)5月4日、関西文化会館での東成区の「5・3」記念勤行会に、池田先生が出席。その場に夫婦で集った。
 この年、東成区の同志は、年頭から怒濤の勢いで対話に奔走。4月にはブロック1の弘教を達成し、全関西をリードする拡大を成し遂げた。その喜びの中で、師を迎えた。
 勤行会には当初、先生の出席予定はなかった。それが急遽の変更となったのだ。
 先生は「ぜひ一目でも、皆さんにご挨拶をと思い、来させていただきました」と語り、勤行・唱題の実践の意義を強調した。
 勤行会から10年後の92年(平成4年)、井上さんは区婦人部長の任命を受けた。そして翌93年(同5年)11月、関西国際友好会館(現・東成文化会館)で、師との生涯の原点を刻んだ。
 25日、同会館を訪問した先生は、関西最高会議(26日)、関西栄光総会(27日)、関西広布功労者の懇親会(28日)に出席。29日、岡山へ出発する前に、井上さんをはじめ、東成区の代表の友が会館に集った。
 先生は館内で記念のカメラに納まると、同会館訪問の間に、当時の本紙に連載されていた小説『新・人間革命』第1巻「錦秋」の章の執筆が進んだことを紹介した。
 井上さんは「東成で書かれたのは、差別について言及されている場面でした。“私たち東成のメンバーが、創価の人権闘争に立ち上がろう”と決意しました」と述懐する。
 師への感謝を胸に、東成の隅から隅まで歩いた。友と会い、互いに励まし合った。その“戦い”は今も続く。
 先生はかつて、東成の友に万感の思いを寄せた。
 「尊き わが佛子である
  皆様に 私は一生涯
  祈りをおくります。
  同志の心は
  美しく永遠なり」

1989年10月、池田先生ご夫妻が大阪・東成区の関西国際友好会館(当時)を訪問。この折、先生は「臆病であったり、名聞名利に流された弱い心では、人々を守ることはできない。強盛な信心で、心美しく、たくましきリーダーに」と関西の友に望んだ                                                                        
1989年10月、池田先生ご夫妻が大阪・東成区の関西国際友好会館(当時)を訪問。この折、先生は「臆病であったり、名聞名利に流された弱い心では、人々を守ることはできない。強盛な信心で、心美しく、たくましきリーダーに」と関西の友に望んだ                                                                        
城東区
一人も残らず福運と長寿の人生を

 「私は『大阪大会』には参加していませんが、その精神は広布拡大の戦いの中で、先輩方から骨身に染みるほど、何度も教わってきました」――大阪市城東区の達城良明さんは、そう語る。
 小学3年生の時、交通事故に遭った。2週間ほど意識を失った。目が覚めた時、最初に耳に入ってきたのは、母の題目の声だった。
 “母の祈りに救われた”。信心の力を実感し、学会の庭で自らを鍛え、育んできた。
 原点は、78年(昭和53年)10月11日、池田先生が出席して、豊中市の関西戸田記念講堂で開催された「城東区総会」。この時、達城さんは壇上役員の任務に就いていた。
 総会は「熱原の法難」700年の意義をとどめていた。席上、先生は語った。
 「広布のために尽くすことは、自分自身のために尽くすことでもある。また、その自分に連なる一家が、楽しく無事安穏の人生を送っていくためのものでもある」
 「広布の前進も、大河の時代に入った今日においては、一人の犠牲者もなく、一人も残らず福運と長寿の人生を勝ち取っていくことが大切であり、それが私の心からの祈りであり、願いである」
 さらに、御書の「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)を、自らの魂とし、最高に充実した人生を送ることを訴えた。
 師の全幅の信頼は、城東中に歓喜を広げた。師が総会で拝した「開目抄」の一節の暗唱運動が起こった。一人一人が、御文を「自らの魂」にする挑戦を開始した。
 その戦いが花開いたのは、5年後の83年(同58年)。この年、城東の友は関西を牽引する対話拡大を達成。以来、師弟共戦の誉れの歴史をつづってきた。
 達城さんは決意する。
 「昨年、関西池田記念大講堂の基本構想が発表された喜びを前進の力として、青年を先頭に、新たな常勝の金字塔を打ち立てていきます」

我らは信心の王者なり

 北、都島、東成、城東の4総区からなる北大阪総県。
 88年(同63年)1月2日、池田先生は60歳の誕生日を迎えたその日、一枚の色紙に揮毫した。
 「信心の王者 北大阪」
 以来、35星霜。今、北大阪のあの地、この地で、痛快な広布勝利のドラマが始まっている。友は「我らは信心の王者なり」との誇りで進む。
 先生は語っている。
 「一念の力は無限だ! 一念の力は偉大だ! 『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」

1988年1月2日、池田先生は色紙に「信心の王者 北大阪」と揮毫した
1988年1月2日、池田先生は色紙に「信心の王者 北大阪」と揮毫した
 
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勇気・忍耐・団結で進め!

2023年01月23日 | 妙法

VOD新番組に収録された池田先生の指針――勇気・忍耐・団結で進め!2023年1月23日

  • 立正安国の道を貫く三代の師弟
  • 御聖訓 たゆむ心があってはならない

 池田先生のスピーチを収録した新番組「電光石火の行動で勝利へ前進!」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でのスピーチである。「青年・凱歌の年」のスタートを勢いよく切り、新たな広布の峰へ勇躍して進む友への指針として、その要旨を掲載する。※VOD番組の時間は10分、番組コード=AB16。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。

2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)
2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

 きょうは、よく晴れた。
 きょうの晴天は、完勝の5月3日への、希望の瑞相であると申し上げたい。
 わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。
 「勇気」である。
 そして「忍耐」である。「団結」である。この三つで学会は勝ってきた。これを忘れてはならない。
 勇気。忍耐。そして互いが仲良く団結して、守り合っていくことだ。
 日蓮大聖人は「異体同心」と仰せである。信心を根本とした団結こそ、御書に仰せのとおりの姿なのである。
 今、学会は日本をはじめ全世界に、広宣流布の「創価の旗」を、にぎやかに振り始めている。
 これほど発展するとは、だれも、わからなかった。
 本当にすばらしく、尊いことだ。荘厳なことである。
 創価学会は、皆さま方の正しき信心、大いなる勇気、そして誠実と努力によって、この時代に大勝利の歴史を刻むことができた。われらは、栄光の5月3日を目指して、威風も堂々と進みたい。
 この佳き日を、勝利、勝利の万歳を皆で朗らかに叫んで迎えましょう!
 ともあれ私は、皆さま方のご健康とご多幸を真剣に祈っている。自分だけの願いではない。皆のことを心から祈っていくのがリーダーだ。その決心を貫き通していかねばならない。
 とくに、会合の会場を提供してくださっている方々を最大に大切にし、そのご恩に対して、厚く御礼を申し上げていただきたい。
 その心がある限り、学会は発展する。

学会創立100周年の2030年へ、飛躍を誓う第12回本部幹部会。席上、2007年3月の新時代第5回本部幹部会での池田先生のスピーチが上映された(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
学会創立100周年の2030年へ、飛躍を誓う第12回本部幹部会。席上、2007年3月の新時代第5回本部幹部会での池田先生のスピーチが上映された(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
スピードで勝て

 文永11年(1274年)の3月8日――。佐渡流罪中の日蓮大聖人のもとに、幕府からの赦免状が届いた。生きては帰れないと言われた、2年半に及ぶ佐渡流罪を、大聖人は厳然と勝ち越えて、鎌倉に戻られたのである。
 赦免状が届いた後、大聖人は、3月13日には佐渡の一谷を出発され、26日には鎌倉に到着された。
 そして4月8日には、幕府の権力者・平左衛門尉に対面され、峻厳に諫暁なされた。赦免状が届いてから、1カ月後のことだった。
 大事なのは、行動である。スピードである。
 大聖人は、電光石火で行動を起こされた。学会も、電光石火だから勝った。スピードがあったから勝った。
 師匠である戸田先生の指導を、私は弟子として、そのとおりに実行した。
 だからこそ先生は、「大作を見ろ。ここに真実の学会がある。私の精神がある」とまで言ってくださった。
 大聖人は後に、平左衛門尉に諫暁した御心境を、こう記しておられる。
 「国を助けたいために申すことを、これほどまでに怨まれるのであるから、佐渡流罪が許された時、佐渡の国からどのような山中・海辺にもまぎれて入るべきであったが、このことを今一度、平左衛門尉に言い聞かせて、蒙古が日本国に攻めてきた時、幸いにも生き残る衆生を助けようと鎌倉に上ったのである」(全1461・新1958、通解)
 大聖人は、ただただ民衆の幸福のため、権力の魔性に、真っ向から立ち向かわれた。
 この、御本仏の大精神を忘れてはならない。
 これが、「正義の声」であり、「真実の勇気」であり、「正しい人生」である。私たちも、これで行こう!
 私は、すべてを、この御聖訓の心のとおりにやってきた。
 大聖人の歩まれた大道に、まっすぐに連なり、立正安国を進めているのが、創価の三代の師弟である。そして、誉れの皆さま方である。
 平左衛門尉との対面を終えられた後、大聖人は、池上兄弟に仰せになられた。
 「強盛に歯を食いしばって、たゆむ心があってはならない。たとえば、日蓮が平左衛門尉のところで、堂々と振る舞い、正義を言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない」(全1084・新1475、通解)
 この御文のままに生きぬくことが、大聖人に正しく直結する究極の信心であり、学会精神であると訴えたいのだ。

第12回本部幹部会で披露された音楽隊・創価ルネサンスバンガードの演奏と演技(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
第12回本部幹部会で披露された音楽隊・創価ルネサンスバンガードの演奏と演技(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
真の勇者とは

 ここで、東西の英知の言葉を贈りたい。
 古代ギリシャの大詩人ホメロスは、傑作『イリアス』に綴っている。
 「アカイアの勇士たち、そこで、敵が攻めてくるのを待っていてはいかん。ひとりひとり、相手をさだめて向かって行くんだ」(『完訳 イリアス』小野塚友吉訳、風濤社)
 われらの言論戦も、その根本は折伏精神である。戦いは、受け身になっては、絶対、勝てない。最後まで攻めぬいたほうが勝ちである。
 日蓮大聖人は「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(全502・新600)と記しておられる。
 攻めて攻めぬけ!――大聖人の教えどおり、また戸田先生の指導どおり戦ったから、学会は勝った。これを忘れてはならない。
 さらに、ホメロスの名作『イリアス』から。ある人物が勇者に向かって言う。
 「おぬしは剛勇の武将、敵に向かっては一歩も退かず、怯んだ仲間を見れば、必ず声をかけて勇気づける。ぜひ、これからも逢う者には声をかけてやってもらいたい」(前掲『完訳 イリアス』)
 青年部の諸君も、正義のためには、先頭に立って、「邪悪な敵」と戦いぬいていく人であってもらいたい。
 そして、誠実に行動する同志には、どんなときも、「励ましの声」を贈り続ける、真実の勇者に育っていただきたいのである。

音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツによる記念演奏も(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツによる記念演奏も(1月7日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
なすべきこと

 話題は変わるが、私が20代のころ、親しくお会いした作家に、長編小説『徳川家康』で有名な山岡荘八氏がいる。後に、山岡氏は、この縁を大切にされ、小説『高杉晋作』を「聖教新聞」に2年4カ月にわたり連載してくださったのである。(=『山岡荘八歴史文庫 高杉晋作』〈講談社〉に収められている。以下、同書から引用)
 この小説のなかで、晋作は言う。
 「元気を出せ!」「躓いたからといって落胆せぬこと。ただちに次の策を立てて進むばかりだ」
 広宣流布の戦いにあっても、たとえ何があろうと、落胆する必要などない。動いた分だけ、祈った分だけ、福運は積まれているのである。
 大事なのは次だ。前へ進むことだ――これを合言葉としていきたい。
 また、幕末の思想家・佐久間象山と晋作の対話のなかで、象山が次のように言う場面がある。
 「何もせぬものには何もできぬ」
 これが結論である。
 私たちは、広宣流布の勝利のために、きょうも「なすべきこと」を厳然となしていこう!
 そのたゆみなき積み重ねによってのみ、「勝利」の扉は開かれるのであり、これほど尊い生き方はないのである。
 こう強く申し上げて、私のスピーチを終わります。
 ありがとう!

第12回本部幹部会の会場となった巣鴨の東京戸田記念講堂に掲げられた記念パネル
第12回本部幹部会の会場となった巣鴨の東京戸田記念講堂に掲げられた記念パネル
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