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イスラエル首相の逮捕状請求 ハマス指導者も、戦争犯罪の疑い ICC検察官 5/20(月) 20:40配信 時事通信

2024-05-20 23:54:33 | 日記
イスラエル首相の逮捕状請求 ハマス指導者も、戦争犯罪の疑い ICC検察官
5/20(月) 20:40配信
時事通信

イスラエルのネタニヤフ首相=13日、エルサレム(EPA時事)


 【ブリュッセル時事】国際刑事裁判所(ICC、本部オランダ・ハーグ)のカーン主任検察官は20日、戦争犯罪や人道に対する罪などの疑いで、イスラエルのネタニヤフ首相やイスラム組織ハマス指導者らの逮捕状をICCの予審裁判部に請求したと発表した。


【写真特集】ガザ衝突~「最悪の虐殺」~


 今後、予審部が逮捕状の発付を判断する。


 発表によると、カーン氏が逮捕状を請求したのは、ネタニヤフ氏とイスラエルのガラント国防相に加え、ハマスの最高指導者ハニヤ氏やガザ地区トップ、ヤヒヤ・シンワル氏を含む3人。


 昨年10月7日のハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃以降の戦闘を巡り、「刑事責任を負うと信じるに足る合理的な根拠がある」と指摘した。


 カーン氏は、イスラエルにいかなる軍事目的があっても、民間人に意図的に危害を加えることは「犯罪行為だ」と指摘。戦闘手段として「飢餓を利用する影響は深刻だ」と懸念を示した。ハマスに対しても、「計算された残酷な」奇襲攻撃を巡り「説明責任がある」と述べた上で、イスラエルから連れ去った人質を即時解放するよう求めた。


 イスラエル側はICCによる逮捕状発付を警戒。ネタニヤフ氏は4月下旬、X(旧ツイッター)への投稿で「自衛権の侵害だ」と反発していた。米メディアは、ネタニヤフ氏が4月28日のバイデン米大統領との電話会談で、ICCが逮捕状を出さないよう支援を求めたと報じていた。 


モルガンSのウィルソン氏、弱気な見方撤回-S&P500は最高値更新へ 2024年5月20日 20:49 JST

2024-05-20 23:48:50 | 日記
モルガンSのウィルソン氏、弱気な見方撤回-S&P500は最高値更新へ
Farah Elbahrawy
2024年5月20日 20:49 JST

ウォール街で最も著名な弱気論者の1人、米モルガン・スタンレーのマイク・ウィルソン氏による米国株見通しがプラスに転じた。


  ウィルソン氏は2025年6月までにS&P500種株価指数は今の水準から2%上昇すると見込む。従来予想していた12月までの15%下落から大きな転換となった。


  同氏のS&P500種の予想値は5400と、従来の4500から引き上げられただけでなく、最高値の更新が見込まれている。


  同氏らがまとめた19日のリポートでは、「米国での良好な1株当たり利益の伸びに加えて、緩やかなマルチプルの圧縮」が予想されている。


Morgan Stanley's Wilson Hikes S&P 500 Target by 20% | Expects robust corporate earnings to drive stocks

原題:Morgan Stanley’s Wilson Capitulates on Bearish View of US Stocks


(抜粋)


最新の情報は、ブルームバーグ端末にて提供中


岸田首相、上川外相続投の方針 「うまずして」発言、野党批判 5/20(月) 18:46配信 時事通信

2024-05-20 23:45:23 | 日記
岸田首相、上川外相続投の方針 「うまずして」発言、野党批判
5/20(月) 18:46配信
時事通信



 岸田文雄首相(自民党総裁)は、同党の上川陽子外相が「うまずして何が女性か」と発言した問題について、その後に撤回しているとして問題視せず、上川氏を続投させる方針だ。


【主な経歴】上川 陽子(かみかわ ようこ)氏

上川 陽子(かみかわ ようこ)
〔衆議院〕
選挙区 衆院選挙区 静岡
氏名 上川 陽子(かみかわ ようこ)
性別 女(71歳)
生年月日 1953年03月01日
出身地 静岡県
最終学歴 1988年ハーバード大学大学院修了
出身分野 企業・団体
党派 自民党
当選回数 衆議院 7回
主な経歴 1977年4月三菱総合研究所研究員
1988年12月グローバリンク総合研究所代表取締役
2000年6月衆議院議員
2004年10月自民党女性局長
2005年11月総務大臣政務官
2007年8月少子化・男女共同参画担当大臣
2007年9月少子化・男女共同参画担当大臣(福田内閣、再任)
2012年12月衆議院議員
2013年9月総務副大臣(第2次安倍内閣)
2014年9月衆議院厚生労働委員長
2014年10月法務大臣(第2次安倍改造内閣)
2014年12月法務大臣(第3次安倍内閣)(再任)
2015年11月自民党女性活躍推進本部長
2017年8月法務大臣(第3次安倍第3次改造内閣)
2017年11月法務大臣(第4次安倍内閣)(再任)
2018年10月自民党一億総活躍推進本部長
2020年9月法務大臣(菅内閣)
2021年11月自民党幹事長代理
2022年8月自民党幹事長代理(留任)
2023年9月外務大臣(第2次岸田再改造内閣


 政府関係者が20日、明らかにした。これに対し、野党は「配慮を欠く発言だ」と批判を強めている。


 発言は18日の静岡県知事選の応援演説でのもので、自民推薦候補に言及する中で「この方を私たち女性がうまずして何が女性か」と語った。上川氏は19日に「真意と違う形で受け止められる可能性がある」として撤回している。


 林芳正官房長官は20日の記者会見で、上川氏から一連の経緯について電話で報告を受けたと明らかにし、「発言は撤回した。それに尽きる」と表明。「引き続き外相の職務をしっかり果たしてもらいたい」と上川氏の続投を明言した。 


ピラミッド群沿いの「幻の水路」をついに発見、ナイル川支流の跡、ギザのピラミッドも 5/20(月) 18:51配信 ナショナル ジオグラフィック日本版

2024-05-20 23:35:55 | 日記
ピラミッド群沿いの「幻の水路」をついに発見、ナイル川支流の跡、ギザのピラミッドも
5/20(月) 18:51配信


ナショナル ジオグラフィック日本版
ピラミッド建設の「幹線道路」か、予想をはるかに上回る大きさ、古代エジプト
ジェセル王の階段ピラミッドの空撮写真。今は砂漠の中にあるが、すぐそばに灌漑農場がある。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NAT GEO IMAGE COLLECTION)


 現在、ギザのピラミッドは、砂と岩ばかりの砂漠の景色の中にたたずんでいる。そこは、青々としたナイル川の岸辺から何キロも離れている。


ギャラリー:ピラミッド群沿いの「幻の水路」をついに発見 写真5点


 だからこそ、姿を消した王国の壮大な遺跡という印象が強いのだろう。しかし、昔からずっとそうだったわけではないようだ。5月16日付けで学術誌「Communications Earth & Environment」に掲載された新たな研究によると、かつてピラミッドはナイル川の大きな支流沿いにあり、たくさんの船がそこを往来していたという。


「この支流は、古代エジプトの幹線道路だったと考えています」と、米ノースカロライナ大学ウィルミントン校の地形学教授エマン・ゴネイム氏は話す。


幻の支流、アフラマト
 現在、エジプトの西方砂漠と呼ばれる台地のふもとには、紀元前27世紀から前18世紀という1000年ほどの間に建てられた31基のピラミッドが並んでいる。これらのピラミッドは、今は干上がったナイル川の支流沿いに建てられたのではないかという説は昔からあった。これまでの研究でも、いくつかの場所で水路の痕跡が見つかっていた。


 しかし、ゴネイム氏らは、その水路の一部を地図に描くことに初めて成功した。そして、その支流は予想よりもはるかに大きいものだったと明らかになった。


 今回の論文には、衛星写真から今はなきナイル川の支流をゴネイム氏の専門的な目を通して発見し、その経路を地形学的に検証したことが記されている。


 その結果、カイロから50キロほど南にあるリシュトという町からカイロ近郊のギザのピラミッドに至るまで、消えた支流が約64キロにわたって地図に描き出された。


 そのうち今も残っている水域は、アブシールのピラミッド近くにあるバハル・エル・リベイニ運河と呼ばれる小さな場所だけだ。しかし、この支流はかつて、場所によっては川幅が約700メートル、深さ25メートルにも及んだという。論文では、アラビア語でピラミッドを指す言葉にちなみ、この支流を「アフラマト支流」と呼んでいる。


衛星画像を読み解く
 エジプトで育ったゴネイム氏がはじめてアフラマト支流の痕跡に気づいたのは約2年前、可視光や目には見えない波長の光で撮影したマルチスペクトル衛星画像を見たときのことだった。さらに、衛星レーダーのデータから抽出したデジタル標高モデルを詳しく調べ、この一帯の地形の標高や異常な点を割り出した。


 地形学者は、地形を変化させるプロセスの専門家だ。その経験を積んだゴネイム氏は、今や砂漠に覆われたり何世紀にもわたって農地化されたりしている、ずっと昔に失われた水路の痕跡を発見した。


 このような衛星データが手に入るようになったのは、ごく最近のことだ。そのため、今回のように、かなりの長さにわたって消えた川が見つかるのも前例がないようだ。


「実際の水路だけでなく、幅や深さや長さ、そしてピラミッドとの近さも新しい発見です」とゴネイム氏は述べる。


荒れたナイルの時代
 ナイル河谷での初期の文明の発展に関しては、エジプト研究者たちがおおまかな年代をまとめている。


 この地域が砂漠からサバンナのような環境に変わったのは約1万2000年前。最後の氷河期の最終段階が過ぎ、世界中で海面が上昇した結果だ。


 1万2000年前から5000年前ごろのナイル河谷は、水位の高い沼のような環境が多く、人が住みにくい場所だった。今回の研究には関与していないが、英ケンブリッジ大学の地質考古学者であるジュディス・バンベリー氏によると、これは「荒れたナイル」と呼ばれる時代だという。


 人がナイル河谷に住み始めたのは、その後の時代だ。目的は魚だったかもしれないと氏は言う。そして紀元前2700年ごろには、いくつかのナイル川の支流は十分「穏やか」になっており、エジプト古王国の基礎を担うようになっていた。ただしこのころも、大規模な洪水は頻繁に起こっていた。


ピラミッド建設の水上輸送
 ゴネイム氏は、紀元前2200年ごろまで続いた古王国期の間、アフラマト支流は重要な水路だったに違いないと考えている。つまり、この川の流路がわかれば、重要な文化遺跡の調査や保護に役立てることができる。


 重要な点は、当時建設された多くのピラミッドの資材を、この支流を使って船で運べただろうということだ。「古代エジプト人には、非常に重い建築資材や作業員をピラミッド建設現場まで運ぶ水路が必要でした。そこで、この支流を幹線道路のように使ったのです」とゴネイム氏は話す。


 アフラマト支流とピラミッドが数百メートルしか離れていない場所もあった。多くのピラミッドは、港のような役割を果たした可能性がある河岸の神殿と歩道でつながっていた。


 いくつかの地点で土壌のサンプルを集め、数カ月に及ぶ地球物理学的な調査を行った結果、アフラマト支流ははるかに想像を超える大きさだったことがわかり、研究者たちを驚かせた。


 川幅は一般的な場所で400メートル以上あり、ギザに近い北端部ではさらに広がって入り江ができていたようだ。


「これは大きな支流で、幅は現在のナイル川と同じくらいでした。ピラミッドに近いことから、古代エジプトで非常に重要な役割を持つ水路だったと考えられます」

大きな水路が消滅へ
 にもかかわらず、現在、アフラマト支流はほぼ完全に姿を消している。研究によると、川は紀元前2000年ごろに東へ移動し、徐々に浅くなり始めたという。これは、地質活動や西方砂漠から風で運ばれる砂による影響と考えられる。


 紀元前2040年から1780年ごろのエジプト中王国期に建てられたピラミッドは、古王国期のものよりも東にあることがわかっている。これはおそらく、東に移動していたアフラマト支流に近づけるためだ。


 ただしバンベリー氏は、ピラミッドの建設自体がアフラマト支流の消滅を早めた可能性もあると考えている。さらに、この川が埋まるプロセスは、もう少し早い紀元前2500年ごろに始まっていた可能性もあるという。


 そのころ、サッカラとダハシュールという場所の間に造られたのが、「シェプセスカフ王のマスタバ墳」(完全なピラミッドではなく、屋根が平らな墓)だ。建設が急がれた理由は、アフラマト支流が縮小していたからかもしれない。「水路での輸送が難しくなってきたので、最低限の作業で済ませたのかもしれません」とバンベリー氏は言う。


 ノルウェー、ベルゲン大学博物館の花粉学者ハデル・シェイシャ氏も、今回の研究には参加していないが、ギザの近くに水路があったことを示す古代の環境の証拠を調査したことがある。そこは、当時アフラマト支流があった場所かもしれない。


 シェイシャ氏は、アフラマト支流の大きさや深さは、一部の既存の説を覆す可能性があると述べている。たとえば、ピラミッド建設の輸送に使われた水路は狭く浅かったため、いつも船で混雑していたという説もそうだ。しかしゴネイム氏は、アフラマト支流には、船が上りと下りの双方向に往来できるだけの広さがあったと考えている。


 研究チームの次の目標は、埋もれている植物片や貝殻の放射性炭素年代測定を行い、アフラマト支流が使われていた年代を確定させることだ。また、ピラミッドに近い長さ60キロほどの範囲だけでなく、その南北の川の地図を作ることも計画している。


「今回明らかになったのは、支流のうちエジプト北部にあった部分だけです。中部と南部は、まだ調査できていません」とゴネイム氏は話す。「さらに調査を広げて、この支流がどこで始まっていたのかを突きとめたいと思っています。おそらく、スーダンとの国境近くではないかと考えています」


文=Tom Metcalfe/訳=鈴木和博




じつに「サルらしい顔」になってきた暁新世の霊長類…それでも「空白の2000万年間」に、横たわる「ヒト直系祖先の謎」 5/20(月) 6:43配信

2024-05-20 23:22:42 | 日記
じつに「サルらしい顔」になってきた暁新世の霊長類…それでも「空白の2000万年間」に、横たわる「ヒト直系祖先の謎」
5/20(月) 6:43配信









現代ビジネス
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 長い長い進化の中で、私たちの祖先は、何を得て、何を失い、何と別れてきたのかーー


 約46億年と言われる地球の歴史において、生命が誕生は、遅くとも約39億5000万年前と言われています。そして、最初の人類が登場するのは、約700万年前。長い地球の歴史から見れば、“ごく最近”です。


【画像】霊長類分布の謎…南米で発見されたサルは「どうやって大西洋を渡った」のか


 しかし、そのホモ・サピエンスも、突如として誕生したわけではありません。初期生命から現在へと連綿と続く進化の果てに、生まれたのです。私たち「ホモ・サピエンス」という一つの種に絞って、その歴史をたどってみたら、どのような道程が見えてくるでしょうか。そんな道のりを、【70の道標(みちしるべ)】に注目して紡いだ、壮大な物語がです。


 この『サピエンス前史』から、70の道標から、とくに注目したい「読みどころ」をご紹介していきましょう。今回は、サルらしい顔を印象付ける鼻の変化、そして安定した視野を獲得した眼窩後壁の獲得について解説します。


 *本記事は、『サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。


 **記事中にある「○番目の特徴」は、地球上に脊椎動物が登場してから、ホモ・サピエンスに至るまでに獲得された70の特徴の順序を示したものです。『サピエンス前史』を通してお読みいただくと、その道程がより詳しくご理解いただけます。


真っ直ぐな鼻をした直鼻猿類
アーキセブス。メガネザル類。中国に分布する始新世の地層から化石が発見された illustration by hidenori yanagisawa


 曲鼻猿類と直鼻猿類。このグループ名は、漢字そのまま、鼻の構造のちがいを指している。すなわち、曲鼻猿類では鼻の内部が曲がっており、“ヒトに至る系譜”を内包する直鼻猿類では鼻の内部が真っ直ぐだ(サピエンスに至る道標としての特徴は47番目にあたる)。


 そして、曲鼻猿類と分かれた直鼻猿類は、さらに二つのグループに分かれることになった。


 「メガネザル類」と“ヒトに至る系譜”である。


 最古級のメガネザル類の一つとして、中国科学院のニイたちが中国に分布する約5500万年前ーー始新世初頭の地層から発見・報告した「アーキセブス(Archicebus)」がいる。最古級のメガネザル類であると同時に、直鼻猿類としても最古級の存在だ。また、メガネザル類としては、最初期の種の一つでもあるという。


 ニイたちの分析によると、アーキセブスにはオモミス類と共通する特徴がみられるという。こうした点は、オモミス類が直鼻猿類の祖先であることを示す証拠になり得るとされている。


 アーキセブスの生息していた約5500万年前の時点で、メガネザル類と“ヒトに至る系譜”は袂を分かっていたという点だ。暁新世の開幕から約1100万年ほどの時間で物語はここに至っていた。


 あいも変わらず、進化は急速に進んでいたのである。


 さて、実は、ここまでみてきたすべての動物たちの頭骨には、共通する特徴があった。


 「眼窩」である。

眼の後ろに壁を獲得する
カトピテクス。真猿類。エジプトに分布する始新世の地層から化石が発見された illustration by hidenori yanagisawa


 眼球を入れる空間が頭骨にすっぽりと“開いて”いる。頭骨を見るとき、眼窩を覗けば、頭骨の内側を見ることができる。


 しかし、私たちヒトの頭骨ではそれができない。ヒトの頭骨において、眼窩は「孔」ではなく、「穴」となっている。つまり、眼窩の奥(後ろ)に壁ができていて、脳へと続く神経の通り道の小さな裂け目を除き、正面以外は塞がっている。


 この骨の壁は「眼窩後壁(がんかこうへき)」と呼ばれる。眼をしっかりと保持する役割を担う。サピエンスに至る道標(第48の特徴)といえる眼窩後壁は、メガネザル類と袂を分かったのちの直鼻猿類に獲得された。眼窩後壁をもつこのグループを「真猿類」という。「真の猿」という字面が、いよいよ、ヒトに近づいていることを示唆している。


 1996年、デューク大学(アメリカ)のエルウィン・L・サイモンズと、D・タブ・ラスムセンは、エジプトで発見された長さ5センチメートル弱の頭骨の化石を分析し、そこに眼窩後壁があることを見出した。今のところ、この頭骨の主である「カトピテクス(Catopithecus)」が、眼窩後壁が確認できる最古の種とされている。


 全身の姿についてはよくわかっていないが、真猿類という分類群を考えれば、およそ“サルっぽい”と考えておけば、当たらずとも遠からずだろう。


カトピテクスを育んだ環境
 カトピテクスの化石が産出した場所は、エジプトの「ファイユーム盆地」と呼ばれる場所だ。ここには、約3600万~約3200万年前の地層が分布している。この年代値は、始新世末から、その次の時代である漸新世初頭を指している。現在では、乾燥した土地の一つだけれども、地層の分析からカトピテクスが生きていた時代は、現在の熱帯林のものに似た植物が茂る沼沢地(しょうたくち)だったとみられている。


 カトピテクスのみならず、多くの霊長類の化石のほか、ヤマアラシ、テンジクネズミ、オポッサムなどの多様な哺乳類がいたことがわかっている。


 そんな多様な種を育む森の中で、眼窩後壁によって保持された視界は、大いに役立ったにちがいない。不安定な樹木の上で視界を安定させることは、姿勢を安定させることとともに大切だったはずだ。



2000万年近い時間に横たわる「謎」
ヒトに至る道の案内図。アダピス類、オモミス類から曲鼻猿類の関係は前回の記事を参照されたい illustrations by hidenori yanagisawa


 さて、お気づきの読者もいるかもしれない。


 アーキセブスが示唆するメガネザル類と真猿類の分岐は、遅くとも約5500万年前だ。この時点で、メガネザル類はすでに登場し、“ヒトに連なる系譜”とは別の道を歩み始めていた。


 そして、“最古の真猿類の化石”であるカトピテクスの化石は、約3600万年前である。


 両者の間、真猿類が登場したとされる“理論上の時期”と、“最古の化石”の間には、実に2000万年近い時間が空いている。


 眼窩後壁は、真猿類の最も重要な特徴とされるものの、じつはさほど丈夫ではない。原始的な眼窩後壁ほど脆もろいとされており、化石化の際に壊れやすかったとみられている。そうなると、発見は至難といえる。事実、カトピテクスの眼窩後壁が報告されて以降、四半世紀以上の歳月が経過しているにもかかわらず、カトピテクスより古く、原始的な眼窩後壁をもつ真猿類の化石は発見されていない。


 こうなると、真猿類の登場時期と、最古の種の姿が気になってくる。


 これが謎だ。


 さらに言えば、前回の記事でに書いたように、オモミス類とアダピス類の関係も不鮮明であり、当然のことながら、その先にあるメガネザル類との関係にも疑問符がつけられている。混沌としており、今後の発見と研究の進展に期待したいところである。


 さて、真猿類はその後、二つのグループに分かれた。


 一つは「広鼻猿類(こうびえんるい)」であり、もう一つは「狭鼻猿類(きょうびえんるい)」である。続いて、この二つのグループについて見ていこうと思う。


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サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語
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ブルーバックス編集部(科学シリーズ)