八起きということを書きたいのではない。転んでもラッキーだったという話だ。
70歳を過ぎて、このような事故に会いだしたことを書いてみたい。
直近の転びは、昨日の猛暑の午後、ギャラリーの東の窓を覆っていた布織物をはずそうとしてだった。ローラーつきの肘掛椅子にのり、壁に布を止めてあるぴんを抜こうと焦っていた。あと5センチ足りぬ。背伸びするたびにぐらぐらと動く、危険だと思いつつも、やめなかったので、ズイット椅子が動き、そのままコンクリート床にむけて倒れこんだ。そばのパイプ椅子で、むねを打ったが、打撃は弱まって、右ひじから手首まで紫色になっただけで終った。
次はその一年前、バイパスに乗ろうとして、交通の止切れを待っていた乗用車にひきたおされた。ドライバーは右側から迫ってくる自動車の流れだけを注視していて、左がわからやってくる自転車などに気がつかない。いつものように、こちらも停車して、ドライバーを気づかせて前をよぎろうとしたとき、なぜか、ぐいと発進されて、自転車ごと引き倒された。スピードが無かったので、打ち身で終った。
自転車は修繕が必要だった。
同じく交通事故。その一年前、雨のふる夕方、スーバーくらし館」から、道路を過って反対車道に行こうとした瞬間、単車がつっこん出来た。単車は自転車を巻き込み、7,8メートル先で、単車と黒いヘルメットの男は死んだように倒れていた。ぼくは、なぜか車道に転げていた。やがて男は立ち上がり、ぼくも怪我は感じなかったので大丈夫かと声をかけた。彼は起きて単車で去っていき、ほっとした。さて、ぼくは帰ろうとして自転車がすすまない。重たい、引きずるようにしてやっと家にたどり着いたが、自転車そもののが、車輪があめのように支柱ともに曲がっていたのだ。足が悪かったのではなかったのかと、おおいに安心できた。
次は、イオンに行こうとして、バイパスをはしっていると、携帯が鳴り、手にとって調べていたら、幅一メートルほどの付属脇路にそれて、そのまま下の田んぼに転落した。転落寸前に気がつき、ハンドルをもって水平に落ちたため、反動で飛ばされたが、怪我も泣く、痛みがあっただけで、恥ずかしかっただけであった。
この転倒は不注意だったが、注意したために起きたのが、この事故だ。鉄道高架にそった道路を走って家路についていた。暗い、道路で、高架を過る自動車道の十字路をまっすぐに横断し、向こうに渡ろうとして、左右に車のないのを確認急いで横切った、その瞬間、激しい衝撃でぶっ飛ばされた。高さ15センチほどの歩道があったのだ。街頭の下にこの高架沿いの道は向こうまでつづくと信じていたのに、そこでぶっきれていたのである。幸い痛かっただけで済んだのだが。
この転倒の後、一年ほどして公園道路というのの入り口で、人口せせらぎという水路に沿って道はつづき、そのまま走っていると、自転が半メートルほど空中にとびあがり、またのつけねが焼けどしたような激痛が走った。花壇が設けられていてそのふちに激突したのだ。道をよぎって花壇とは想像を絶するデザインだ。ここでも怪我はなかったが、痛くて、足を引きずって帰ったが、前かごに入っていた手提げかばんを失ったを気がつかなかった。あとで派出所から連絡があり、手元にかえってきたのではあった。
7度目は、開通した青島バイパスを自転車で走っての帰途であった。このバイパスから一般道に出るために、付属の通路に入ったのだ。疲れだしたせいか、景色よりも下を見ていた。疲れてくると、ハンドルに上半身をかけて休憩するので、視線は下に落ちる。これで、助かったのだ。突然、道が階段に変わっていたのだ。そのまま、周辺の景観に見とれて、天下を取ったような気分で走っていたら、確実に、全身打撲、ショック死、複雑骨折、長期の療養、重篤の障害を負ったはずである。
最後の3事故は、すべて都市デザインの、デザインの、デザインのための、デザインナーの傲慢による事故であったといえる。こんな都市計画をやっているやつらからころされてはたまらぬわけである。津村市長は絶対に再選させない。落としたい。
さて、このようの事故は、一年に一度のわりで起きている。確率論的に言えば、これからもそういうことであろう。これに会わぬためには、自転車を止めるしかないのだが、そうはいかない。やめたいとは思わない。
やるべきことは、二つある。保険を続けること、寝たきりになっても楽しくすごせる手段を発見し、そうなったら、そうで、楽しめる方法を確立することである。幸いその方法は発見した。それともう一つ、いつもたいした怪我はしないが、多分、ぼくの唯一の規則的運動、ストレッチの成果と思う。暇があるとやっている。たいくつしのぎと肩と目のこりをほぐすために、なにが幸いしているのか人生の妙であろうと思う。
70歳を過ぎて、このような事故に会いだしたことを書いてみたい。
直近の転びは、昨日の猛暑の午後、ギャラリーの東の窓を覆っていた布織物をはずそうとしてだった。ローラーつきの肘掛椅子にのり、壁に布を止めてあるぴんを抜こうと焦っていた。あと5センチ足りぬ。背伸びするたびにぐらぐらと動く、危険だと思いつつも、やめなかったので、ズイット椅子が動き、そのままコンクリート床にむけて倒れこんだ。そばのパイプ椅子で、むねを打ったが、打撃は弱まって、右ひじから手首まで紫色になっただけで終った。
次はその一年前、バイパスに乗ろうとして、交通の止切れを待っていた乗用車にひきたおされた。ドライバーは右側から迫ってくる自動車の流れだけを注視していて、左がわからやってくる自転車などに気がつかない。いつものように、こちらも停車して、ドライバーを気づかせて前をよぎろうとしたとき、なぜか、ぐいと発進されて、自転車ごと引き倒された。スピードが無かったので、打ち身で終った。
自転車は修繕が必要だった。
同じく交通事故。その一年前、雨のふる夕方、スーバーくらし館」から、道路を過って反対車道に行こうとした瞬間、単車がつっこん出来た。単車は自転車を巻き込み、7,8メートル先で、単車と黒いヘルメットの男は死んだように倒れていた。ぼくは、なぜか車道に転げていた。やがて男は立ち上がり、ぼくも怪我は感じなかったので大丈夫かと声をかけた。彼は起きて単車で去っていき、ほっとした。さて、ぼくは帰ろうとして自転車がすすまない。重たい、引きずるようにしてやっと家にたどり着いたが、自転車そもののが、車輪があめのように支柱ともに曲がっていたのだ。足が悪かったのではなかったのかと、おおいに安心できた。
次は、イオンに行こうとして、バイパスをはしっていると、携帯が鳴り、手にとって調べていたら、幅一メートルほどの付属脇路にそれて、そのまま下の田んぼに転落した。転落寸前に気がつき、ハンドルをもって水平に落ちたため、反動で飛ばされたが、怪我も泣く、痛みがあっただけで、恥ずかしかっただけであった。
この転倒は不注意だったが、注意したために起きたのが、この事故だ。鉄道高架にそった道路を走って家路についていた。暗い、道路で、高架を過る自動車道の十字路をまっすぐに横断し、向こうに渡ろうとして、左右に車のないのを確認急いで横切った、その瞬間、激しい衝撃でぶっ飛ばされた。高さ15センチほどの歩道があったのだ。街頭の下にこの高架沿いの道は向こうまでつづくと信じていたのに、そこでぶっきれていたのである。幸い痛かっただけで済んだのだが。
この転倒の後、一年ほどして公園道路というのの入り口で、人口せせらぎという水路に沿って道はつづき、そのまま走っていると、自転が半メートルほど空中にとびあがり、またのつけねが焼けどしたような激痛が走った。花壇が設けられていてそのふちに激突したのだ。道をよぎって花壇とは想像を絶するデザインだ。ここでも怪我はなかったが、痛くて、足を引きずって帰ったが、前かごに入っていた手提げかばんを失ったを気がつかなかった。あとで派出所から連絡があり、手元にかえってきたのではあった。
7度目は、開通した青島バイパスを自転車で走っての帰途であった。このバイパスから一般道に出るために、付属の通路に入ったのだ。疲れだしたせいか、景色よりも下を見ていた。疲れてくると、ハンドルに上半身をかけて休憩するので、視線は下に落ちる。これで、助かったのだ。突然、道が階段に変わっていたのだ。そのまま、周辺の景観に見とれて、天下を取ったような気分で走っていたら、確実に、全身打撲、ショック死、複雑骨折、長期の療養、重篤の障害を負ったはずである。
最後の3事故は、すべて都市デザインの、デザインの、デザインのための、デザインナーの傲慢による事故であったといえる。こんな都市計画をやっているやつらからころされてはたまらぬわけである。津村市長は絶対に再選させない。落としたい。
さて、このようの事故は、一年に一度のわりで起きている。確率論的に言えば、これからもそういうことであろう。これに会わぬためには、自転車を止めるしかないのだが、そうはいかない。やめたいとは思わない。
やるべきことは、二つある。保険を続けること、寝たきりになっても楽しくすごせる手段を発見し、そうなったら、そうで、楽しめる方法を確立することである。幸いその方法は発見した。それともう一つ、いつもたいした怪我はしないが、多分、ぼくの唯一の規則的運動、ストレッチの成果と思う。暇があるとやっている。たいくつしのぎと肩と目のこりをほぐすために、なにが幸いしているのか人生の妙であろうと思う。
と、断言できます。道路をデザインする人は自転車が被る危険を分かっているのか?
歩道が切れて、続きが反対車線から始まっていたりして。
安全は安くないですね!
そう思いませんか。